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お見合いは、胸が高鳴るだけではない

 道場でのアキラとの邂逅以後、幸江の人生は一変した。

 

 今までは、自分が人に称えられることのためだけに精進していた。

 その生活が、アキラを信仰することへ捧げられるようになったのだ。


 まず、部屋に神棚を造り、そこへアキラが使った木刀の柄を御神体として(まつ)った。

 これは、あの場にいた道場生との奪い合いの末、決して譲らなかった幸江の至宝。


 朝晩、必ずそれを拝み、アキラへの感謝を捧げる。


 そして、大和の修練にも、今まで以上に熱心に取り組んだ。

 少しでも、アキラの存在する頂きへ近づくために。


 そこには、かつて幸江を突き動かしていた承認欲求など、欠片も残っていなかった。

 それまでの輝きに満ちていた生活など、アキラを信仰することに比べれば、あまりにも浅く空虚に思えたのだ。


 あの日、アキラの腕に抱かれた時。

 自分の一生を、彼を(あが)(たてまつ)ることと決めた。

 

 それは初恋や憧れなどという次元ではなかった。


 言葉にするならば“狂信”。


 そして、それは少年部の人間も同じだった。


 あの場にいた道場生。

 彼らもアキラを神聖化し、あの時の経験を心の柱として修練を積んでいた。

 素振りをし、黙想し、礼をする時、その目の前に居るのはアキラだった。


 皆が彼の教えに恥じぬよう、鬼気迫る勢いで修行に取り組んでいた。

 それが彼らを、より武の高みに押し上げていく。

 

 その実力は、あっという間に青年部の剣士たちを凌駕した。

 少年部の驚くべき成長に、大人たちは困惑を伴いながらも喜びをみせた。


 そしてその実力を見届けた大和当主は、皆に異例ともいえる早期の陰陽術の習得を許可する。


 それによって、幸江を筆頭とした、アキラを信望する大和最強の集団が出来上がっていったのだ。


 

 アキラと初めて会ってから半年後。

 幸江のもとに思いもよらぬ話が舞い込んできた。


 御当主に両親ともども呼ばれ、日ごろの研鑽を褒められる。

 以前ならば自尊心が満たされていたであろうその言葉。

 だが、今の幸江にとって、取るに足らないものとなっていた。

 

 しかし、次に告げられた言葉に激しい衝撃を受ける。


「大和幸江、オヌシは一条アキラと婚姻を結ばせる」


 その言葉の意味を、心が受け入れられなかった。

 隣で喜びをみせている両親の姿をみても実感がない。


 ——この私が、あのアキラと結婚する。


 その畏れ多い未来を、幸江の信仰心が拒否していたのだ。

 それは、自らの神と対等になれと告げられたのと同じ。


 幸江の体が震え出す。

 それをその場の人間は感激しているのだろうと解釈した。

 

 一条に嫁ぐという意味。

 それは遙が手中に収めている一条家を継がせるという、名誉あるものだったからだ。


 このことが成立すれば、幸江は大和の中で特別高い地位につけるのは間違いなかった。

 だが、幸江にとっては、すでに大和など眼中にない組織だった。


 神の恩恵を受けた者が、神と並び立つことなどあってはならない。

 その思いが心を占めていた。



 後日、両家の顔合わせが一条家で行われる事となった。


 幸江は、この日のために(あつら)えられた桃色の着物を着付け、不安と緊張に全身を包まれていた。

 一条の屋敷へ近づくごとに、その圧は胸の奥で膨れ上がっていく。


 私などが、アキラの伴侶になるなど不敬ではないか。

 そう思うたびに瞳が揺れる。

 だが、同時に高揚感も抱いていた。

 

 また、あの方に会える。

 その僥倖に、考えるだけで心臓が早鐘を打つ。


 そうして、車が屋敷に着くころには幸江の心は消耗しきっていた。


 客間へと通され、そこへ足を踏み入れると、確かにそこにはアキラがいた。


「さっちゃん、お久しぶりです」


 あの時より、少し大きくなったアキラの姿。

 だが、優し気な微笑みは変らない。


 その姿を目の当たりにした幸江の足が、激しく震える。

 それは立っているのが困難なほど。

 

 返事をしなければならないのに声が出せない。


 胸に様々な想いが溢れすぎて喉がしまる。

 息つぎすら出来ず、酸欠で顔が青く染まっていく。

 

 そして、自分の事を覚えてくれていた事への感激に、心臓の鼓動が激しくなった。


 それらは幸江を、気絶寸前まで追い込んでいた。


 隣に立っている両親は、そのことに気付かず、向こうの親と挨拶を交わしていた。


 だんだんと意識が混濁し、視界が暗くなり始める。

 頭から血の気が引き、足から力が抜け、その場に倒れ込んだ。

 

 だが、床へぶつかる前に、いつのまにか誰かに支えられていることに気付く。

 そして目の前には、アキラの顔。


 それは、あの時の再現のようだった。

 

「さっちゃん、大丈夫?」


 耳に届く声は、柔らかく、温かく、そしてあまりにも近い。

 支えられた肩から伝わる体温に、その存在が確かなものだと感じられた。

 

 世界は音を失い、視界の中心にあるのは彼だけだった。


 どうにか言葉を返そうとしても、喉が震えるだけで声にならない。

 卒倒した幸江に気付き、両親や一条家の人々の慌ただしく動く。

 

 だが、幸江の世界は、アキラの瞳と、その腕の中だけにあった。

 

「……っ、あ……」

 

 かすれた声が漏れる。

 それは返事にもならない、ただの息。

 けれどアキラは、まるでそれを十分な答えと受け取ったかのように、微笑んだ。

 

「無理しないでください、少し座りましょう」

 

 導かれるまま、畳にゆっくりと膝をつき体勢を整えた。

 

 だが、そのことでアキラの支えが離れたことに、喪失感で胸に穴が空いた気持ちになった。

 

 肩の辺りにはさっきまでアキラの温もりが残っている。

 それを失わないように、幸江はそっと自分の肩を握り続けていた。


 

 休憩を挟み、あらためて両家の顔合わせが行われた。

 

 幸江は、まだ胸の奥に残る鼓動の余韻を抱えたまま、座卓の前に座っていた。

 

 畳の香りと磨き上げられた床柱の艶やかさが、場の格式をいやがおうにも感じさせる。

 正面には、一条家当主のマコトとその妻である遙が静かに座していた。

 

 その隣には、背筋を伸ばしたアキラ。


「本日はお日柄もよく——」

 

 父の声が、儀礼的な挨拶を紡ぐ。

 母もそれに続き、柔らかな笑みを浮かべて言葉を添える。

 幸江は、口を開くべき時を待ちながらも、視線を上げられなかった。

 

 顔を上げれば、目の前にアキラがいる。

 それを思うだけで、着物の袖口から覗く自分の手が震えた。

 もし彼を直視すればまた倒れてしまいそうで、ずっと下を向き続けるしかなかった。

 

「幸江さん、これからよろしくお願いしますね」

 

 そう告げた遙の声に、幸江はようやく顔を上げる。

 そこへ、アキラの視線が真っ直ぐ自分を射抜いた。

 

 その瞬間、胸の奥が熱を帯びる。

 

「あらためて、よろしくお願いします」

 

 アキラは穏やかに微笑み、深く頭を下げた。

 その所作は、神前に手向ける礼のように清らかで、幸江の心をさらに揺らす。

 

「……よろしく……お願い……いたします」

 

 かろうじて声を絞り出すと、遙が満足げに頷いた。

 

 形式的な挨拶が続く。

 家同士の縁、これからの関係、互いの家の歴史——。


 だが幸江の耳には、ほとんど届いていなかった。

 意識は全て、目の前に座るアキラの存在感に引き寄せられている。

 

 

 やがて、両家の大人たちが別室で話をするために席を立つ。

 客間には、幸江とアキラだけが残された。

 

 障子越しに、遠くで交わされる声がかすかに響く。

 二人は座卓越しに正面で向かい合い、座ったまま。

 

「さっちゃん」

 

 アキラが、柔らかく名を呼ぶ。

 その声に、幸江の肩が小さく震えた。

 

「はい……」

 

 かすれた返事を返し、視線は机に落ちたまま。

 

「今日は、久しぶりに会えて嬉しかったです」

 

 その言葉は、まるで日常の挨拶のように穏やかだった。

 だが、幸江の胸には鋭く突き刺さる。

 

 ——嬉しい。

 

 アキラが、自分の存在を喜んでくれている。

 その事実に、脳が痺れ、呼吸が浅くなる。

 言葉を返そうとしても、喉が震えるだけで声にならない。

 

「道場のみんなは元気ですか?」

 

 アキラが、自分が関わった者を忘れず気に掛ける。

 その姿勢に、幸江は深く感激する。

 

「はい……アキラさんの……教えを……大切にしております」

 

 事実、彼らはそれを支えに修練を積んでいた。

 

「また、道場へ行ってもいいですか?」


 道場生が狂喜乱舞しそうな提案を受けた。


「もちろんです……きっと皆も……喜びます」


 そして私も——そう言いたかったが畏れ多くて口に出せない。


「さっちゃんの剣は、きっとあの時よりもっと綺麗になってるのでしょうね」

 

 その言葉を聞き、幸江は、言葉にならない声を漏らした。


 ——アキラが自分の剣に期待してくれている。


 その事実が心を揺らし、抑えきれない感情の濁流があふれた。

 

 そして震える声で、思わず口にする。

 

「あの……(わたくし)で……良かったので……しょうか?」


 感情の波に呑まれ、ずっと抱えていた不安を吐き出してしまった。


「婚約のことですか?」


「……はい」


 神に是非を問う気持ちだった。

 その不敬に身を震わせながらも、どうしても聞いておきたかったのだ。


 いっそ、気乗りしないとでも告げられたら、自分が出家してでもこの話を無かった事に出来る。


 だが、アキラの答えは幸江の予想を大きく外すものだった。


「僕には、まだ結婚というものがよくわかりません」

「ですから、さっちゃんと一緒にそれを学んでいけたらと思っています」


 ——きっとこの言葉を一生忘れない。

 

 自然とあふれ出た涙が、膝に落ちて着物へ染みをつくる。


 神が、自分と共に歩んで下さると(おっしゃ)った。

 ならば、自分はそれに恥じない存在となる。

 

 そう心に刻みながら、幸江は静かに涙を流し続けていた——。

広告の下にある☆☆☆☆☆から、作品の率直な評価をよろしくお願いします。


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