目は口ほどにものを言う
生徒会室での用事を終え、校門を出たところで、幸江の姿が目に入った。
「アキラさん、ちょっといいですか?」
おそらくアキラのことを待っていたのだろう。
こちらに気付くと、柔和な笑みを浮かべたままアキラを呼び止める。
「さっちゃん、どうしたの?」
アキラもそれに微笑みを返した。
「少し、お話がありまして……お時間をいただけませんか?」
今日一日、幸江の周りには休み時間のたびにクラスメイトが群がっていた。
転校初日だというのに質問攻めにされて、きっと疲れているだろう。
だが、その笑みは、朝見た時と少しも変わらないものだった。
「いいよ、近くに公園があるからそこへ行こうか」
そして二人は連れ立って、以前、雪乃と話をした公園へ向かう。
公園に着き、並んでベンチに腰を下ろす。
だが、二人の間に空いた空間は、許嫁のものではなく、知り合い程度の距離だった。
「お付き合い頂き、ありがとうございます」
幸江は背筋を伸ばし、ゆっくりと頭を下げる。
「大丈夫だよ、今日はもう予定無かったし」
アキラはゆったりと座りながら、少しも姿勢を乱さない幸江を見つめた。
「実は、お話というのは二つありまして、それをお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「もちろん、何でも聞いていいよ」
幸江は、アキラの気さくな反応に、軽く息を吐きながら言葉を続けた。
「ひとつ目は、アキラさんと私の許嫁の件です」
「アキラさんがご病気になられて破断となりましたが、今はとてもお元気になられたようですね」
「ならば、アキラさんは私との婚約破棄について、どうお考えでしょうか?」
確かめるようにアキラを見て問う。
柔らかな表情の中に、探るような視線があった。
「ああ、それね。このままでいいんじゃない?」
さして興味が無さそうに軽く答えるアキラに、幸江の瞳がわずかに揺らぐ。
「さっちゃんも、その方がいいでしょう?」
アキラは答えがわかっているように聞く。
「……ええ、もし可能であればこのままの関係でお願いしたいです」
少し安心したように、幸江が答えた。
きっと幸江は自分の事を嫌っている。
アキラはそう思っていた。
それは、幼い頃にマナを使っているのを見られた時の、彼女の反応を見たからだ。
幸江が自分に向けた瞳。
そこには、激しい怒りと深い憎しみが映しだされていたのだ。
だから、沙耶から破談になったと聞いた時に、その方が幸江のために良かったのだろうと思った。
それに、今の自分に誰かと結婚をする意志は無い。
この先、たくさんの女性と子供を成さなければならないのだ。
その為には、結婚という契約に縛られるわけにはいかなかった。
出来るだけ人類が決めたルールを破らずに生きる。
それは人類神アルの信念。
太古の昔、人類はアルが決めたルールを厳守していた。
だが、気付けば人々は独自の文化を作り、自分たちでルールを考えて、それを守るようになっていた。
人々が真剣に考え話し合い、決めたルール。
それを自分が勝手に破り、新たに上書きすることはしたくない。
自分が勝手に人々の決めたルールを変えて、新たなルールを作り、再び神として人類を導いていく。
そうなれば、人々は絶大な力を持つアルを盲信し、自分で考え進むことを辞めてしまうだろう。
人類の成長と進化を心から望む自分が、その妨げになることは避けたかったのだ。
「……実は、この学校へ転校してきたのは、アキラさんの様子を窺うためでした」
安心したためか、幸江が事情を話し出す。
「大和家の会議により、もしアキラさんが元に戻っているならば、婚約破棄の話を無かったことにしても良いという話が出ました」
「だから、貴方が回復しており、婚姻の意思を再び望むかを自分の目で確かめに来たのです。」
「ですが、アキラさんにその意思が無いのならば、おそらく現状のままでいられるでしょう」
柔らかな笑顔は、朝からずっと変わっていない。
しかし、そこにわずかだが安堵にも似た光が宿っているように見えた。
「まあ、僕は一条を継ぐ気は無いからね。きっと大和もそれを知れば、僕に興味を無くすでしょ」
その言葉に、幸江は今日初めて表情をわずかに崩した。
「……回復したのに、一条の跡継ぎへと戻らないのですか?」
声の奥に、探るような色が混じる。
「うん、実家はマサトに任せたよ。僕は一条に縛られたくないんだ」
その瞬間、空気がかすかに揺らいだ。
それは、幸江の周囲から滲み出るもののように感じられた。
「……そう、ですか」
声が固い——だが、すぐに元の柔らかい声へと戻る。
「では、ふたつ目のお話をさせて頂きます」
幸江は何かを振り切るように、話題を切り替えた。
「実は、アキラさんのお父様、一条マコト様へ大和家から招集が掛かっております」
「つきましては、アキラさんもそれに御同行して頂きたくお願いいたします」
淡々とした口調。
その響きに、感情の揺れは一切感じられない。
それを受けて、アキラは髪を掻き上げる。
「わかった、行くよ」
きっと、父の処分の件だろうと思い至った。
出来るだけの事はしたが、その結果を聞かされるのだろう。
「いつ行けばいいの?」
「おそらく近日中に、迎えが来るかと思います」
幸江の笑顔は形だけのものだった。
そこに温度はなく、ただ役目を果たすための仮面のように見えた。
「なら待ってるよ」
どのような結果になるかはわからない。
最悪の事態も想定しなければならないだろう。
「行くのは大和の本家でいいのかな?」
「はい、そう聞いております」
確か大和の本家は、千代田区にあったはずだ。
昔、母に連れられて行った記憶がある。
距離的にはウチのマンションから三十キロ以内だろう。
また、沙耶さん頼りにはなるが、テラを家から出さないようにお願いするしかない。
とはいえ、先日の横浜へ行った時以来、ずっとテレビやゲームに夢中で一歩も外へ出てはいないのだが。
「それじゃ、話は終わりかな?」
そう言って、アキラがベンチから立ち上がり、出口へ歩き出す。
「……ええ、ありがとうございました」
幸江もゆっくりと立ち上がるが、その場で留まっていた。
「また学校でね」
アキラはそう告げ、幸江を気にせずそのまま公園を出て行った。
アキラの背が遠ざかっていく。
その姿を、幸江はベンチの脇に立ったまま、じっと見つめ続けていた。
その顔は、先ほどの柔らかな笑顔が消えている。
瞳の奥に浮かんでいたのは、あの日よりも濃く、深く沈んだ憎しみだった——。




