大和幸江は、微笑みを絶やさない
嵐のような週末が明け、月曜の朝。
アキラはいつものように学校へ向かっていた。
登校途中に出会った、尾の赤い豆柴に吠えられる。
この豆柴の正体は、火星の使徒ルカリオス。
アキラが街中で出会う頻度は異様に高く、どうやら匂いを辿って待ち伏せされているらしい。
すでに顔見知りとなった飼い主の女性に軽く挨拶し、うるさい豆柴は無視して通り過ぎた。
教室に入ると、クラスメイトがざわついている。
聞こえてきた話だと、またこの特進クラスに転校生が来るらしい。
そのためか、自分の隣に空席が作られていた。
ちなみに反対側の席の哲也は、まだ海外から帰ってきていない。
アキラはその話を特に気に留めず、いつものように雪乃へ挨拶をする。
そして、いつものように無視された。
まだ、デートで先に帰った事を怒っているのだろう。
今度、何か美味しい物でも食べに行こうと誘ってみよう。
美味しい食べ物は世界を救う。
現に、沙耶は毎日人類を救っている。
テラを餌付けし、飼い慣らしてるのだから。
アルの百万年に及ぶ人生の中では、いわゆる恋愛というものをほとんどした記憶がなかった。
アルが過去にしてきた女性との付き合い方は、基本的に相手から望まれて子供を作る事が多かったからだ。
そして集団の長として、王として、神として、多人数を娶る事が当たり前だった。
アルが自ら女性を選んだ場合など、相手は感激して泣きながら喜び、時に興奮しすぎて失神するほどだった。
それと比べると、現代の恋愛を難しく感じてる自分がいる。
ここ五百年くらいは、魂の痛みをなんとかするために奔走していたので、今の人類の恋愛観を理解する機会もなかった。
アキラとしての記憶の中にも、特に恋愛の経験は無かった。
だから、参考に出来る情報が無く、少し困っていたのだ。
雪乃や心寧が、なぜ突然怒り出すのかがわからない。
沙耶が教えてくれる話に、気付かされる事も多かった。
好意を確認してから体に触れ、愛を囁き、口づけを交わし、子供を作る。
そのように、ちゃんと段階を踏まないといけないという忠告も守っているはずだった。
二人からは今も確かな絆や愛情を感じているのだ。
そして、すでに子作りも了承してくれていた。
それでも、愛を囁いたりキスをしたら怒られる。
その理不尽な現実に、首を捻るばかりだった。
唯一、綾乃だけは、なにも怒らず子作りを受け入れてくれて、自分に対して変わらぬ愛情を見せていた。
それゆえに、アキラはますます困惑する。
現代の女性は、年が若いと感情の制御が難しいのかもしれない。
もしかしたら、ある程度、年嵩のある、魂の綺麗な女性を探した方がいいのか。
そんな考えが頭をよぎる。
しかし、まだ答えを焦る必要はないかと思い直し、髪を掻き上げた。
「まあ、地道にやっていくさ」
アキラは一人静かに呟く。
原始時代の氷河期に、人類が千人を下回った時に比べれば大した事はない。
あの時は生きる為に、死んだ身内の肉を喰らい、その皮を羽織って寒さに耐えていたのだ。
そして、一人また一人と必死に子供を増やし、絶滅を逃れて広がっていった。
それに比べれば、大抵の苦労は些細な事だった。
古い記憶に沈み感傷へ浸っていたアキラは、教室の扉が開く音で現実に引き戻された。
担任教師の後ろから、ひとりの女子が静かに入ってくる。
「転校生を紹介する」
その一言で、ざわついていたクラスがぴたりと静まり返る。
視線が一斉に転校生へと集まった。
「初めまして、大和 幸江です。皆さん、よろしくお願いいたします」
柔らかく澄んだ声が、朝の空気を優しく震わせる。
長い髪は窓から差し込む朝日に照らされ、淡い茶色の光を帯びて輝いていた。
耳の上から後頭部へと編み込まれたハーフアップは、毛先にゆるやかなカールがかかり、ふんわりとした雰囲気をさらに引き立てている。
微笑む顔立ちは整っていながらも、どこか包み込むような温かさを宿しており、見る者の心を自然と和らげる。
ややふくよかな体つきは、背筋の伸びた立ち姿と相まって、育ちの良さと華やかさを同時に感じさせた。
その佇まいは、一目で良家の子女とわかるほどの高貴な気配を放っていた。
教室の空気が、彼女の登場とともにわずかに変わった。
静けさの中に、好奇と期待の入り混じった視線が交錯する。
アキラは、その名前と姿に過去の知り合いの面影を重ね、思わず声を上げた。
「あれ?さっちゃん?」
それが届いたのか、幸江はアキラに向け笑みを見せて軽く会釈をする。
そして、教師に指定された空席へと、音も立てず静かに歩み寄った。
アキラの横の席に腰を下ろすと、穏やかな声で告げる。
「お久しぶりです、アキラさん」
おそらく、五年振りになる再会。
彼女の優し気な微笑みは、昔の面影を残したままだった。
「久しぶり、元気だった?」
「はい、私の方はお陰様で変りなく」
思わぬ出会いに、アキラの記憶が蘇る。
幸江とは、家同士の決めた許嫁という関係だった。
母の実家である大和家と一条家が、お互いの関係をより強固とするために組まれた縁談。
それはアキラの母である一条遙の思惑が、色濃く含まれたものだった。
本人同士も、二ヵ月に一度は顔を合わせていた。
アキラの記憶にある彼女は、いつも静かに笑っていて、自己主張を一切しない女の子だった。
深い話をしたことも無い。
聞いたことには返事をするが、彼女からこちらに何かを問いかけられた覚えはほとんどない。
その姿は、まるで人形のようだと感じていた。
ただ、たまに思いがけない場面で涙を流す事があった。
そのことがいつも不思議で、なにか悪い事でもしたのかと申し訳なく思った。
大和の本家で会った際には、そこの道場で何度か木刀による手合わせをしたことがある。
そこにいた若い道場生の中で、剣が一番上手な女の子。
それがアキラの持つ、幸江の印象の全て。
ただ——ひとつだけ鮮明に覚えている事があった。
それは、一条の庭園で、アキラがひとりで遊んでいた時のこと。
アキラは幼少時の頃から、自らの五感全てでマナを感じ取ることが出来た。
気付いた時には地球の巨大なマナと繋がっており、目に見える全ての物がアキラに親愛を見せていた。
それゆえに、マナの操作も熟練の精霊使いを超えた腕を持ち、ひとりの時にはそれで遊んでいたのだ。
その日も、庭園で草木と戯れ、石を愛でていた。
そして、弱っている花にマナを使った回復を施していると、花はすぐ元気に咲き誇った。
だが、回復させることに集中していて周囲への注意を怠っていたのだろう。
その場面を幸江に見られたのだ。
人に見せてよい力ではない事を理解していたアキラは、それを慌てて誤魔化した。
しかし、超常の力を目の当たりにした、幸江の瞳は——。
「アキラさんは随分とお元気になられたようですね、もう御体の方は回復されたのですか?」
幸江は、微笑みながらアキラの体調を気遣う言葉を掛けてきた。
「ああ……うん、もう大丈夫」
過去を思い出していたアキラは、一瞬遅れて返事をする。
「それは幸いです」
それだけ告げると、ちょうど一限目の授業が始まった。
幸江は教科書を用意し前を向き、それ以降は何も言葉を重ねることはなかった。
そして、アキラは強い視線を感じ、そちらに目を向けた。
すると、雪乃が射るような目でこちらを見据えている。
理由はわからないので、とりあえずまた笑顔で手を振っておいた。
放課後、アキラは生徒会室へ向かった。
生徒会長の大蔵文翔に、資金集めの経過を報告をするためだ。
部屋をノックをして、返事があったので入室する。
「失礼します」
目の前には、アキラへ爽やかな笑顔を向ける文翔が座っている。
今日は生徒会の役員も揃っていた。
「やあ、一条君、どうしたのかね?」
自然体を崩さずに聞く文翔へ、アキラは淡々と事実を告げる。
「実は、五千億円は何とかなりそうなので、その報告に来ました」
その言葉で、役員たちの目が大きく見開かれる。
文翔の笑みは崩れないが、その目がわずかに細くなった。
「残りの二兆五千億円はまだなのですが、渡せる段階になったらどうすればいいか教えてもらえますか?」
アキラは、朗報のつもりだったが、文翔にしてみれば予想外の問いだった。
「……とりあえず、保留させて貰っていいかな?まだこちらの準備が整ってないんだ」
冷静さを崩さず、にこやかに答えるが、内心では焦りを浮かべる。
役員たちは、現実の話なのか判断つかず、話に聞き入っていた。
「わかりました、それではまた追って報告させてもらいます」
一礼して退出するアキラ。
部屋の全員が、その姿を目で追っていた。
扉が閉められると、役員の視線が文翔に集まった。
誰もが、話の真偽を確かめたいという色が濃く滲んでいる。
「……ゲームの話だよ」
文翔がそう告げると、皆は納得したように仕事へ戻っていった。
それほどまでに、事実よりも嘘の方が現実的な話だ。
だが、きっとハッタリでは無いのだろう。
文翔は、アキラへの警戒をさらに強めた。
魂の見える文翔は、常人よりも人の嘘を見抜く力が優れていた。
人の魂は、嘘を吐いたり動揺すると、揺れを伴う。
それに、魂の光の強さによって、その人の持つ潜在能力も測れる。
この人物ならそれを成すか、成さないか。
それが分かっていれば、大体の行動パターンも読めてくる。
その洞察力を、生まれてからずっと磨いてきたのだ。
だが、アキラには魂が無い。
正確に言うと、彼の魂は見えない。
それは自分の能力が通用しないということだった。
昨日、心寧にアキラのことでメッセージを送った。
どんな人物だったかと。
山岸心寧は直接的で裏表がない。
そして、誰もが知る有名人で可愛らしい。
そんな女子に対して警戒心を抱くのは難しいだろうと考え、調査をお願いしたのだ。
さらに、心寧は人の心をかき乱すのが得意でもあった。
それによってアキラの本性が垣間見えることもあるかもしれない。
自分の差し金だと露見しても構わなかった。
アキラへの牽制も兼ねていたからだ。
だが、その目論見は失敗した。
返ってきたメッセージは一言。
『アッキー最っ低!!!』
それ以降、彼女からのメッセージは無い。
電話を掛けても出なかった。
彼女はああ見えて律儀な性格だ。
頼まれたことはキッチリとこなしてくれる。
だが、まるでそれを放棄するような態度だった。
それは、過去の恩で縛ってあるはずの心寧が、自分から離れていったように感じられた。
生徒会室を出たアキラの足音が廊下に消えていく。
その音が完全に遠ざかるまで、文翔は机の上に組んだ指を解かなかった。
役員たちは、まだ先ほどの聞いた会話の余韻を引きずっている。
誰もが口には出さないが、『もしあれが本当なら』という仮定が頭を離れないようだ。
「……今日はもう終わりにしましょう、各自、明日の準備をしてください」
文翔の声に、役員たちは小さく頷き、それぞれの荷物をまとめ始めた。
彼らが部屋を出ていく背中を見送りながら、文翔は内ポケットからスマートフォンを取り出す。
このまま静観するのは危険だ。
だが、正面から探りを入れれば、今回のようにこちらが呑まれる可能性もある。
間接的に、揺さぶるしかない。
文翔は数人の信頼できる情報網に連絡を入れた。
アキラの過去、交友関係、そして魂が見えない理由を探るために。
もしかして自分は、想像していたよりもとんでもない化け物と交渉をしてしまったのではないか?
文翔は深く息を吐き、そんな胸の奥のざわめきを押し殺した。
その答えがいつわかるのか、それは誰にもわからない。
だが、きっとそう遠くないのだろう。
一条アキラと関わってしまった。
それが文翔にとっての、新たな世界の始まりなのだから——。




