海王星のセリグナス
自宅のマンションのリビングに、前触れもなく、いきなりアキラが姿を現した。
リビングで、シマエナガの餌をあげてた沙耶は当然驚く。
「ア、アキラ様、どうされたのですか?」
「驚かせてごめんね、バケツってあったっけ?」
アキラのその手には、薄ピンクのスライム状のモノが握られていた。
それを見てシマエナガがピチチと騒ぐ。
「しょ、少々お待ち下さい!」
きっと緊急事態なのだろうと、紗夜は慌ててベランダへ向かう。
そこには確かバケツがあったはずだ。
「騒がしいわね、なんなのよ」
沙耶の慌てた様子と、シマエナガの鳴き声を聞き、黒猫がソファーから様子を見にやってきた。
そして、アキラの手に握られた物体へ気付きその目を丸くする。
「……うそ!セリグナスじゃないの!」
「そうなんだよ、なんでか近所の水族館にいたんだ」
その溶けたスライムにしか見えない物体は、海水を滴らせてペチャリと潰れていた。
沙耶が水を入れたバケツを持ってきたので、アキラは蛸をその中へ放す。
二人と二匹が見つめる中、そのメンダコは水の中で膨らみ出した。
「………………塩……クレ」
水を震わすようなくぐもった声がバケツから響く。
沙耶がそれを聞き、慌ててキッチンへ走る。
そして、食塩を入れた容器を手に、どれくらい入れればいいのか悩んでいると、バケツから声が掛かった。
「全部イレロ」
それを聞いてもなかなか思い切りが付かない沙耶を見かねて、アキラが容器を受け取り中身を全て入れた。
すると、バケツの中でしばらく縮んだり伸びたりしながら藻掻いていた蛸が、ようやく落ち着いた。
「助カッタ」
そう言ってバケツの底に沈む。
次の言葉を待っていた一同だが、そのまま蛸は沈黙し続け底に張り付いていた。
「あのー、もしかしてこの蛸の方って九星の使徒様でしょうか?」
常識外に慣れてしまった沙耶が、今までの経験から導き出された答えを口にする。
それに対して、黒猫がいつものように説明をした。
「そうよ、コイツは海王星の使徒『セリグナス』、基本的に烏賊とか蛸とかに転生して深海にいるのよ」
「やっぱりそうなんですね!……でも普段、深海におられる方がなんで水族館にいらっしゃったのでしょうか?」
「多分だけど、セグリナスは予知が使えるから、わざと漁師の網にでも引っ掛かったんじゃないの?」
それに対して正解だとでも言うように、バケツに気泡がコポリと浮かんだ。
「それでどーすんのよ?そこの鳥みたいに、コイツもここで飼うの?」
黒猫が横目でアキラを見ると、眉を寄せて悩んでる素振りを見せていた。
隣でシマエナガが不満げにジージーと鳴き声を上げる。
その声は、飼われているのではなく、仕えているのだと言っているようだ。
「セリナには昔、世話になったことがあるからなー……でも水槽用意したり飼育が面倒だよな」
バケツを見ながら思案するアキラ。
「うん、やっぱり海に帰そうか」
それを聞いたメンダコは、耳のようなヒレをばたつかせ水面に浮かんできた。
「星ノ声ヲ聞イタ……ココニ集ヘト」
水を揺らし、声の様な音を出す。
「セリナの予知か、それじゃあ仕方ないかな」
そして、諦めたように髪を掻き上げたあと、沙耶にお願いする。
「沙耶さん、悪いんだけど水槽を注文してくれるかな?小さいのでいいから」
「……オオキイノガ良イ」
ヒレを動かし水面へ向けてアピールするメンダコ。
「わかりました、大きめの水槽を用意しますね!」
そう言ってメンダコへ向けて微笑む沙耶。
「感謝スル」
そう告げてまたバケツの底へ沈んでいった。
沙耶がさっそくタブレットを開いて水槽を調べ出している横で、黒猫は思案していた。
先程メンダコが告げた『ここに集え』の意味を。
現時点で、近所で飼われているであろう火星の使徒を合わせて、ここには使徒が集まりすぎている。
地球上に九体しかいない使徒が、六体もこの狭い界隈にいるのだ。
セリグナスの予知は、基本的に外れる事はなかった。
これも何かの前触れなのかもしれない。
「警戒をしておいた方がよさそうね……」
誰に告げるでもなく呟く。
黒猫は知っているのだ、この世界は危うい均衡で成り立っているという事を。
テラとアルが本気で衝突したら、地球が生物の住めない星となる可能性があるからだ。
過去には二人の戦いのせいで地球に甚大な影響を与えた事が実際にあった。
そして、使徒には一体だけ、テラとアルの脅威となりえる存在がいた。
その動向は誰にもつかめないものだった。
気を引き締めた黒猫は、自分の役目をまっとうする為にテラの側へと向かう。
そこには、この騒動に全く関心を見せずに、ゲームを夢中でしているテラがいた。
先日来訪したヒルコが、テラに教えた現代のゲームの数々。
それにハマったテラは、沙耶に各種ゲーム機本体とソフトを買ってもらい、それからずっとやり続けている。
睡眠時間すら削り出したテラに思うところはあった。
だが、それを忠言出来るはずもないので、邪魔にならぬよう見守った。
黒猫には他の九星とは違い、二種類の使命があった。
ひとつは水星の使徒として、この星を守るための導く者としての役割。
もうひとつが、地球の衛星である月から受けた、地球に付き従うという役目である。
その使命は過酷なものであった。
テラは自由に生きる事を使命としており、その暴走により黒猫が命を落とした事は数知れず。
テラに自身が食べられてしまった事も一度や二度では無かった。
それでも魂に刻まれた使命を全うする。
それが黒猫の生きる意味であるからだ。
アルと共にいる事に対しては、しがらみや目的の一致という理由もあるが、なにより長年の付き合いによる情もある。
だが最優先させるべきは、テラの存在なのは変わらない。
黒猫のテラに対する視線は、忠実な従者、そして子を見守る母のように注がれていた――。




