僕は“いい子”
倉庫内にはかなりの人数が集まっているのに、聞こえてくるのはただ一人の足音のみ。
黒いブーツが、コンクリートの床を叩く音。
コツリコツリと均等なリズムが心拍に同期するように倉庫全体に響いていた。
その音が向かう先は、一人の少年。
鋼鉄を貫いた男を前にしても、微笑みを崩さない異質な存在、一条アキラ。
美藤拓人は目を細める。
少年の笑みには、虚勢も威圧もない。
それは自分と対等であることの証明。
いや、もしかすると、それ以上。
俺は感じていた。
目の前の少年は、深い。
その笑顔の奥に宿っているのは、底知れぬ力と圧倒的な余裕。
そしてそれは、孤独の高みにいる自分だけが気付けるものだった。
アキラの目の前に立ち、全身に気を張る。
おそらくロッドを作ってから、初めての全力を解放する準備をした。
足元のコンクリートに亀裂が走った瞬間、俺の拳は、アキラの手のひらに収まっていた。
当たった音すら起きなかった。
しかし、鋼鉄をも貫くその拳が触れているその手から、確かにアキラの体温を感じていた。
床の亀裂が増える。
空気の割れる音が激しく鳴り響いて、窓ガラスが割れた。
たった数秒の間に打ち込まれた拳は、周囲からは数えきれるものでは無かっただろう。
それら全てを、アキラは左手一本にて受け止める。
その微笑みは未だ崩れず。
繰り出された拳の風圧によって、倉庫内では目を開けるのも難しい状況だった。
しかしどちらにせよ、普通の人間がいる位置より、遥か高い場所で行われている戦いを目に収められるものは誰もいなかった。
右の回し蹴りを放つ。
その威力は、10tトラックが突っ込んでくるのに等しい。
アキラは左腕をたたみそれを優しく受け止める。
本来なら腕ごと胴が分断されてもおかしくないその攻撃が、音も無く受け止められる。
違和感というレベルでは無かった。
当たっているのに触れたような感触しか感じられない。
拳、肘、膝、蹴り、竜巻のような連続攻撃は、絶え間なく続けられた。
俺は自分の力の上限を知らない、何故なら今までそれを試されたことが無かったからだ。
だが、今、確かにそれが見えてきていた。
戦いの中で息を切らし汗を掻く、それすら初めての経験だった。
アキラは変わらない笑みを浮かべたまま、一歩たりともそこから動いていない。
自分の孤独では、アキラの孤高に届かない。
そう感じ始めたのは戦いが始まり五分ほど過ぎた頃だった。
しかし、そこに焦りも苛立ちも無い。
なぜなら、あれだけ焦がれた自分を理解してもらうという望みは、確かに叶ったのだから。
荒く息を吐きながら、決着の見えてしまった勝負に、それでも足掻き続けるのは何の為か。
アキラに近づいてみたい。
それが新しく芽生えた希望。
攻撃を止め、深く息をする。
そして、生まれてからずっと感じ続けていた、自らの体内にある力の根源を強く意識する。
それは俺が産まれる前から持っていたもの。
美藤拓人の一番初めの記憶は、真っ白い部屋にある大きなテレビで流れていた教育番組だった。
拓人は広い部屋の中で、沢山のおもちゃに囲まれ、寝ているとき以外は常に流されているテレビを観ていた。
番組の内容は決まっている。
『ひとをたたいてはいけません』
アニメ、ぬいぐるみ、人形劇、フォーマットは違えどいつも結末は同じ。
暴力はいけないこと、それが主題だった。
部屋には、自分以外に人間の姿をしたロボットしかいなかった。
ロボットのみが拓人の相手だった。
彼らが話し相手であり、遊び相手であり、添い寝をする存在であった。
食事の時だけ部屋に白衣を着た人間が現れる。
彼らは自分に向ける感情は恐れ。
興味を持って近づくと、怯えたように部屋から出ていく。
トイレや浴室も部屋に備わっていたが、それらの使い方もテレビで学び、いつも一人で入っていた。
拓人が部屋にあるロボットやおもちゃを壊すと、全ての電気が消された。
真っ暗な部屋を怖がり、泣き叫ぼうとも誰も助けてくれなかった。
そんな生活を何年も送る内に、拓人から“壊す”という思考が奪われた。
自分が少しでも力を入れて触れると、物は簡単に壊れてしまう。
だから極力何も触れないように、触れても力を込めないようにと習慣がついた。
年齢が上がるにつれ、徐々に人間と接する機会が増えていった。
そのことで、人というのはロボットとは違う多様さを持っていることを知った。
そんなある日、拓人はお願いをした。
『ガラス越しじゃなくて、外を直接見てみたい』
部屋にある、分厚いガラス越しに見える外の景色を、直接見てみたいと思ったからだ。
その願いは通り、ずっと眺めていた中庭に出ることを許された。
全身を拘束され、車椅子で運ばれながらではあったが。
だが、それでも初めて見た本物の植物や、本物の空と太陽は、拓人の脳を焼いた。
『なんで今までこんな美しいモノを、僕は取り上げられていたんだ』
それは、拓人の内に絡みついた鎖のような感情だった。
部屋でテレビを観ながら、ロボットと話しながら、おもちゃで遊びながら。
毎日続く同じ景色に自分の世界の狭さを感じ、拓人はその鎖を太くしていった。
その後も、日に一度だけ、拘束された状態で中庭に出ることが許された。
それが、彼の一番の楽しみとなった。
時折、中庭で同じ年くらいの子供達を見かけた。
彼らは自分とは違い、縛られず自由に遊んでいた。
それが羨ましくなって、『自分も自由に遊びたい』と訴えた。
しかしその結果、しばらく中庭に出ることすら許されなくなった。
その罰は、拓人の内側の鎖を、さらに重く、太くするものだった。
テレビから流れる内容は、年と共に人間関係をテーマとしたものを主軸とした内容に変化していった。
『人と仲良くしましょう』
『人の嫌がることはしてはいけません』
『嘘を付いてはいけません』
『暴力は絶対に使ってはいけません』
道徳を基礎とした同じような内容を延々と流し続けていた。
その中で“家族”というものが頻繁に出てくるようになった。
父親、母親、兄弟、祖父母。
それらは自分には馴染みがなく、上手く理解が出来なかった。
しかし、画面の中で笑い合い、食事を囲み、笑顔で抱き合う家族。
いつか自分にも、そういったものができるのだろうか。
それを想像すると、心の中の鎖が少しだけ軽くなるように思えた。
部屋にあるロボットは男性と女性のタイプがいて、それを自分の父と母に見立ててみた。
しかし、映像のように抱きしめても、抱きしめ返してはくれなかった。
なにより、少しも力を込めることの許されない呪縛が、その抱擁という行為に実感を持たせてくれなかった。
ある時、拓人は検査を行っていた白衣の男に聞いてみた。
『僕にも家族がいるの?』
すると、白衣の男は『いるよ、君がいい子にしていたらきっと会えるよ』と答えた。
その言葉は、拓人の世界に初めて差した希望だった。
それからというもの、拓人は“いい子”になる為の努力を全力で尽くした。
白衣の人間に、いい子になるには何をすればいいかと聞いた。
すると、自分たちの言う事をよく聞き、検査に協力するのが一番いい子だよと教えてくれた。
それから拓人は、言われたことを進んで行った。
白衣の人間たちはその変化を喜んだ。
毎日注射をし、変な狭い機械に入れられ、色んな薬を飲まされた。
それらはとても辛く、体の不調を伴ったが、黙って素直にこなすことが“いい子”への近道だと言われた。
従順な態度をとる拓人へ対し、白衣の人間たちの要望はエスカレートしていった。
体中に変な機械を付けられて、指定された運動を限界までやってみるように命令される。
他にも様々な痛みを与えられ、それを我慢しろなどの苦痛を伴う辛い命令を出されるようになったのだ。
虐待といえるようなそれらを、拓人は黙々とこなす日々が長く続いた。
拓人は勉強にも打ち込んだ。
映像では、勉強を頑張る子供を家族が褒めている場面もあったからだ。
家族と会った時に自分も褒めて欲しい。
そう思った拓人は、勉強をしたいと申し出た。
勉強道具は、言えばすぐに用意してくれた。
ロボットの助けも借りながら、それらを必死にこなしていった。
拓人の腕と足は注射の跡で常に内出血を起こしており、薬の副作用で常に気持ち悪く食事もあまり取れなかった。
過度な運動と自らの体を使う実験のストレスで、睡眠もしっかりとれないほど日常的に疲労していた。
目の下のクマはひどく、体はガリガリと言っても良いほど痩せ細っていった。
ただし、薬の影響か、身長だけは止まることを知らないように伸びていった。
それは、彼の痩せた体をさらに強調させる変化だった。
それでも拓人は文句を言わずに、淡々と辛い日々を過ごす。
全ては“いい子”になって家族に会うため。
そんな生活を何年も送っていたある日、中庭で初めての事が起きた。
拓人の車いすを押す白衣の人間がいないのを確認して、一人の少年が自分に声を掛けてきたのだ。
「お前、なんでそんな恰好なの?」
その少年のことを拓人は知っていた。
中庭の隅で本を読んでいるのを、何度も見かけたことがある。
自分とは真逆で、丸々と太っているのが特徴的だった。
同年代の子供と話をしたことが無い拓人は、多少緊張しながら答えた。
「……ぼ、僕は力が強くて危ないから、こうしてないと外に出ちゃいけないんだって」
それを聞いて少年は言う。
「そんなに力が強いなら、自由に外に出ればいいじゃないか」
拓人は表情を曇らせた。
「それは人に迷惑をかける事で、いい子じゃないから無理だよ」
少年は、それがどうしたという表情を見せる。
「いい子じゃないと何か問題でもあるのか?」
拓人は目を輝かせて答えた。
「いい子でいたら、家族が迎えに来てくれるんだって!」
しかし、少年はそれを聞いて鼻で笑った。
「お前、何も知らないんだな。僕らはとっくに家族に捨てられてるんだよ、国のモルモットってヤツさ」
妙に大人びた口ぶりで告げられた言葉を、うまく呑み込めずにいた。
「……でも、白衣の人が言ってたよ!いい子でいたらきっと会えるって!」
それは拓人にとっての希望だった。
その未来があったからこそ、全ての事を耐えてきたのだ。
「そりゃ嘘だな、もし本当ならとっくに会いに来てる」
「ここには時々、家族と面会してる子供もいるけど、あれが捨てられてないやつだよ」
告げられた事実は希望を断つモノだった。
「まぁ、ここは衣食住用意してくれるし、望めば大抵の物は手に入るから、オレらみたいなのは我がままに過ごせばいいんだよ」
きっとその太った少年は、拓人の事を励ましたかったのだろう。
施設内の中庭ですら自由を奪われ、長年、ただ空見つめていた拓人を不憫に思っていたのかもしれない。
「じゃ、またな」
白衣の人間がこちらに近づいて来るのを見て、少年は手を上げ去っていった。
拓人は、その姿を見送ることなく、ただ呆然と空を見上げていた。
そして、自分の体内で、心の鎖が鈍く軋む音を聞いた——。




