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女体は好きだが女は嫌い

 放課後、アキラは新井出哲也の家を訪れていた。

 

 高級住宅地の外れにある、築四十年以上は経っているであろう古びたアパート。

 外壁には(ひび)が入り、郵便受けの名札も、カバーが無くなっているせいで(かす)れていた。


「金持ちのご子息に上がって貰うには、相応しくないボロ屋で悪いな」

 

 どこか自嘲気味にそう言いながら、哲也はお茶を差し出す。


「気にしないよ、それでなに?」

 

 何も気にしていない様子でアキラがお茶をすすると、哲也は少し逡巡(しゅんじゅん)しながら口を開く。


「…………聞きたいことがある、お前は女との“性体験”はあるか?」

 

 神妙な顔で尋ねてくるその視線は、数式と向き合っている時と変わらなかった。


「あるよ」


 アキラは特に驚いた様子もなく微笑みながら答える。


「……どのくらいだ?」

「数えきれないくらいかな」

 

 哲也はその言葉に衝撃を受け、口を開き体を一瞬震わせた。

 それは羨望と自分が探していた人物を見つけた事による、喜びが混じったような身震いだった。

 

 そして、意を決したようにアキラに頭を下げる。


「オマエに頼みがある!本物の『女体』の詳細なデータを、オレに教えてくれ!」

 

 汗の浮き出た坊主頭を必死に下げるその姿は、まさに真剣そのものだった。


「新井出くんはそれをなにに使うの?」

「テツヤでいい、オレもアキラと呼ぶ」

「わかった」


 顔を上げて、アキラを見据えるその表情は鬼気迫るものがあった。

 そして話し出す、誰にも伝えた事の無い彼の心に秘めていた思いを。

 

 

「誇張なく言って俺は天才だ。今の学校も頭脳の優秀さを買われ、全額免除の奨学金で入学した」

「そして、俺は女体が好きだ、愛していると言ってもいい」

「男の体とは違う、神秘ともいえるフォルム、機能、弾力、香り、声、鼓動、どれも魂を揺さぶられるほど愛おしい」

「だが、女体には意識があってそれらはオレを拒絶する、オレも女体の意識の方には興味がない」

「しかし、オレは愛すべき女体を、思うがままに色々と触り研究することを諦めきれない、書物や動画では限界があるのだ」

「金を払って風俗店に行く事も考えたが、それでは処女の女体を知る事は出来ないだろうし、研究の為に毎日通うとなると非現実的な金額が必要になる」

「なにより、本気で好意を持っている相手に対する女体の反応を、知ることは出来ない」

「オレは自分に本気で好意を持つ、穢れの知らない処女の女体を存分に研究し堪能したいのだ」

「だから、オレはこの頭脳を駆使し、自分の自由に出来る理想の女体を持つ、普通の生命体と全く遜色無いレベルのバイオロイドを制作することにしたんだ」

「オレの頭脳と計画には必ずスポンサーが付く、それは近い未来に現実可能な目標だ」

「しかし、オレは女体の意識に拒まれて、生の女体のデータを集めることが困難だった」

「出来る事といったら、わざと女体の意識に嫌がられるような言動や行動を取り、女体に罵倒され、暴力を受ける事でデータを収集することくらいだ」

「しかし、それでは裸の処女の女体を直接触る様なデータは取れず、体液や匂い体温の変化などの詳しい状態は到底入手出来ない」

「そこでアキラ、お前の存在だ!」

「オレと同等以上の頭脳を持ち、そして女性経験豊富なお前なら、正しく正確な女体のデータを、オレに齟齬(そご)無く伝えてくれる事が出来るだろう!」


 開口一番、勢いそのままに言葉を並べた。

 その目には狂気と呼べる程の執念が貼りついていた。

 アキラはその(たぎ)るような熱い思いを、微笑みを崩さず聞く。


 オレは真摯にアキラを見つめ、交換条件を口にする。


「データの見返りにお前へ渡せる物は、俺がバイオロイドを造った際に得られるだろう莫大な金だ」

「それを全て渡す、出世払いにはなるがな」


 アキラはそれを聞いて嬉しそうに笑った。


「いい輝きだよ哲也、“全て”ってのがさらにいいね、受けるよその話」


 その答えを聞き、オレは初めて素直な笑顔を浮かべた。


「そうか!受けてくれるか!感謝するぞ、アキラ」

「だけどお金はいらない、その代わり僕のお願いも、ひとつ、聞いて欲しいんだ」

 

 オレは一瞬だけ戸惑うも、真剣に頷く。

 将来得るだろう莫大な金以外に自分が渡せるものなんて、頭脳しかないだろうと思った。


「聞こう、オレに出来る事なら何でもするつもりだ」


 目的の為なら全てを差し出す、そんな覚悟のある瞳でアキラの言葉を待つ。


「哲也には、僕の娘と結婚して、子供を作ってもらいたいんだ」


 アキラは微笑みながら、さらりと、とんでもない条件を口にする。

 

 部屋の空気が、時を止めたように静まり返った。


 「……は?」


 あまりにも想定外すぎて、言葉に詰まる。

 

「娘って、誰だ……?というか結婚?」

「それはまた今度会わせるよ。でも、哲也にならきっとお似合いだと思う」


 

 オレの脳内は、常に整頓された秩序が占めていた。

 複雑な数式も、混沌とした現象も、構造を解きほぐして並べ直せば美しい(ことわり)に変換できる。


 ——はずだった。

 

 『誰かと結婚して、子どもをつくる』

 

 それは感情、偶然、縁、そして不可逆な選択の連なり。

 オレが最も遠ざけていた、人間の不確実性そのもの。


 そして、過去の経験から女という生き物に、自分が完全に拒絶されるということも深く理解していた。

 

 その太り過ぎた醜い外見と低い運動能力、優秀過ぎたが故に他者に理解されず、自身も他者を見下し歩み寄ることをしない。

 それらが全て、女に嫌悪され忌避されるということを。

 

 オレの頭は、アキラのお願いを受け止めようと、瞬時に仮説と変数と因果関係を構築しようとした。

 しかし、そこにはただ真っ白な空白が広がっていた。


 それが自分にとって、どれほど異常な事だったか。

 天才を自負している自身が、それを一番理解していた。

 

 まるで異星語を聞かされたように、ぽつりと呟いた。


「……理解不能だ」


 アキラは、オレの頭の中の混沌を全て見透かしているかのように、透き通った微笑みをみせる。


「そのまま受け入れればいいよ——お互いの目的の為に」


 それは穏やかで柔らかな微笑だったが、同時に逃げ道を塞ぐような圧を秘めていた。

 

 その笑みに、オレは思わず息を呑む。

 だが一瞬の間のあと、自然と頷いている自分がいた。

 

 嬉しそうに笑う彼の瞳に、心が動かされたからだった。

 

 

 理屈では処理できない、何万もの式を並べても導き出せない“何か”が、そこにはあった。

 それは、彼が初めて出会った理論の及ばない存在。

 

 そしてこの瞬間こそが、新井出哲也にとって、世界のはじまりだった——。


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