彼女はのちに深く後悔する
アキラの変化に、初めに気付いたのは西園寺蕚だった。
彼女は出産を控えており、実家に里帰りしている。
チトと分離した後も虫を使うことが可能だった蕚は、相変わらずアキラの毎日を観察していたのだ。
アキラの体を観察する事に関しては、他の追従を許さない彼女が、その異変を観察記録に記載する。
『前日より、アキラ君の身長が五ミリ伸びた』と。
次に気付いたのは沙耶だ。
普段からアキラの健康を気にしている彼女は、ふと目線の高さが変わったことに気付いた。
「あら?アキラ様、背が伸びましたか?」
先週までと違う高さ。
沙耶は驚きながらも、彼の成長を知って微笑む。
「うん、大人になろうと思って」
その言葉に、先日の会話を思い出した。
そういえばアキラに、結婚はまだ早いのではないかと伝えていた。
大人になってから考えれば良いと。
大人になんて、なろうと思ってなれるものではない。
それでもアキラの素直さに好感を持った。
付き合っていた彼女さんの話は、まったく聞かなくなってしまった。
前の出来事もあったし、残念ながら別れてしまったようだ。
だけどアキラなら、これからいくらでも新しい出会いがあるだろう。
その時のために、今から大人になろうとがんばるのも良いと思った。
そういえばここ何日か、食事をいつもより多く食べていた。
その成果が出ているのだろうか。
彼はいつだって真っ直ぐだ。
本当にすぐ大人になってしまうかもしれない。
沙耶はアキラの成長を、微笑ましく見守った。
そしてついに、黒猫から突っ込みが入る。
「アンタ、なんで身長のばしてるの?」
毎日五ミリほど伸びていくアキラを見て、呆れたように言う。
「とりあえず、外見から大人になろうと思ってさ」
そう、アキラは沙耶に言われたアドバイスを真正面から受け取ったのだ。
その結果、自ら身長を伸ばし始めた。
「そういうことじゃないと思うわよ」
呆れを増して目を細める黒猫に、アキラは首を振る。
「僕は人の感情はわかるけど、気持ちには寄り添えないからさ」
だからせめて、それを一番理解してるであろう沙耶の言葉に従う。
アキラはそう言っていた。
「まぁいいけど……それより、実際どうすんのよ?」
「なにが?」
心当たりが無いと首を傾げる。
「大人を目指すってことは、沙耶と結婚するの?」
主人の望みも絡んでくる話だ。
そこはちゃんと聞いておきたかった。
「僕はしなくても良いんだけど、沙耶さんが望んでくれたら叶えたいと思うんだ」
その時のために成長している。
そう笑うアキラを見て、黒猫が溜息を吐く。
駄目だこれは。
アキラの彼女たちなら、魂から望むような願いだろう。
だが、沙耶はアキラに恋心を抱いていない。
あくまで年下の子供として見ている。
このままでは結婚に結びつくことはないだろう。
それでは、いつまで経っても『沙耶の母乳を飲みたい』という主人の望みが叶わない。
黒猫は、テラに自分の母乳では駄目なのかと進言していた。
そのためならば、アルと子供を作ることすら辞さない覚悟だった。
だが、沙耶が良いと言い張る主人の心は揺るがない。
ならばそれを叶えてあげたかった。
テラは沙耶と共にいることを何よりも望んでいる。
しかし、主人と暮らせる人間なんて、まずいない。
だから黒猫の中では、アルに沙耶と結婚してもらい、今の生活を維持させるしかないという結論に至っていた。
だが、アルはそれを自ら望む事は無いだろう。
彼の望みは昔から変わらない。
人を増やし、広げ、進ませること。
そして、それの障害になるものを排除すること。
アルはその使命に生きていたし、黒猫も自身の使命に生きてきたからよくわかる。
魂に刻まれた使命は、人格そのものを形成するほど強い。
たかが一匹の獣が、星の意思を受け取る重みは、自我の存在を押し潰した。
自身の望みなど、ほとんど持つ余地が無いほどに。
しかし、そこに多少の綻びが起きていた。
アキラは沙耶のためだけに、太陽からの使命を曲げた形で叶えようとしている。
それこそ、彼女の気持ちに寄り添おうとしているのだ。
アル自身が気付いていない不整合。
それは、彼の中に残っていた人間らしさの表れだ。
そのことに気付きさえすれば、アルが自ら結婚を望むかもしれない。
「アンタ、沙耶に男が出来たらどうすんのよ?」
とりあえず、軽く言葉でつついてみることにした。
「それはもちろん嬉しいよ、沙耶さんの子供ならきっと良い子が生まれるだろうし」
だが、アキラは微笑みながら問題ないと答える。
独占欲を刺激したところで、持っていないものは反応しない。
「でも、そうするとアンタの子供は産んでくれなくなるわよ」
「え?そうなの?うーん、残念だけど仕方ないかな」
駄目か。
人類神には執着が無い。
人が死のうと殺し合おうと、人類の営みだと考えているほどだ。
「なら、その男が酷いことをして沙耶を泣かせたらどうすんの?」
「それは当人同士の問題だから、なにもしないよ」
人の争いに手は出さない。
神が決めたルール。
「もちろん、沙耶さんが望んだらいくらでも助けるけど」
人の自立を望む人類神として、当たり前のこと。
「それに、沙耶さんはそんな男を選ばないよ」
そして、いつでも人を信じている。
「選ぶわ……沙耶は必ずダメ人間を選ぶわよ」
嘘ではない。
「きっと、女にだらしなくて、暴力振るうような最低の男よ」
沙耶のように慈悲深く、目の前の困っている人を見過ごせない人間は、悪い男に騙されやすい。
「可哀そうな沙耶……きっと毎日泣いて暮らすのよ……」
少しオーバーに言ってはいるが、十分起こり得る話だ。
「でも、沙耶さんは優しい人が好みだって言ってたし」
「馬鹿ね!そういう男は最初だけ優しいのよ!」
人類という生き物をよく観察してきた黒猫は、人の習性をよく理解していた。
「そのうち、痣とか作って、お給料も巻き上げられて、下手したら殺されるかもしれないわ」
「それは嫌だけど、沙耶さんが自分で決めたなら仕方ないよ」
駄目だコイツ。
人の意思を何よりも尊重する縛りが、解けそうもない。
自分が沙耶を泣かせるのは許さないが、人がすることは全て許容する。
たとえ彼女に悲劇や惨劇が起きようとも。
やはり情で訴えるのは意味が無かった。
ならば、最後の手段をつかうしかない。
だが、それはとんでもない劇薬だ。
どのような結果になるかわからない危険な賭けとなる。
しかし、深い逡巡の末に、黒猫は口を開く。
「……沙耶の旦那が彼女を泣かせたら、テラ様はきっと怒って人間を滅ぼすわよ」
全ては主人の望みを叶えるため。
人類神の習性を利用する。
「それ、有り得るな……」
アキラの体から熱気が溢れる。
太古から行われていた戦いの準備。
この手を使うと、下手をすれば再びあの大戦争が起こる可能性すらあった。
人と魔と龍が争う終末の争い。
大陸がひとつ消し飛んだ、千五百年前の戦い。
「ニクス……どうすればいい?」
その危険をおかしてまで、黒猫は賭けに出た。
全ては主人の望みを叶えるため。
「沙耶にプロポーズをするのよ……もうそれしか人類を救う手立てはないわ」
黒猫は、テラのことになるとポンコツになる。
確かにそれは本当だった。
後にこの行動が、彼女の主人を、死に至らしめることとなるのだから——。




