静寂の支配
サイラスの覚悟が告げられた瞬間、エレノアから表情が消えた。
代わりに浮かんだのは、諦めと失望が混ざった冷たい顔。
「……それがアンタの答えかい、サイラス」
確かめるように低く呟く。
「ええ、ぼくたちは兵器じゃない……人間だ」
エレノアは深く、長い溜息を吐いた。
「なら、仕方ないね……まぁどちらにせよ、やることは変らないよ」
ロビーの空気が冷たさを帯び始める。
「|Dominion of Stillness《ドミニオン オブ スティルネス》」
彼女が口にした能力の名と共に、その力がこの場を支配しようと発動された。
精神を凍らせるような支配の圧力。
空気そのものが重くなり、呼吸すら奪われる。
拓人は黄金のオーラで、サイラスは黒い霧で自分を守っていた。
そして、文翔はエレノアに向かい、ゆっくりと歩き出していた。
「さて、ようやく私の出番ですね」
魔眼により増幅された魔力で、エレノアの精神支配を防ぎながら彼女へと近付いていく。
「お見合いの続きをしましょう」
余裕を装っているが、その足取りは決して軽くない。
「私は貴女へ、結婚の申し込みをしにここまで来ました」
相手はあらゆる面で格上。
それに色々な意味で緊張もしていた。
「だから、私と結婚してもらいます」
それでも、アキラとの約束を果たすには、彼女を納得させるしかなかった。
「……そういえば、さっきもふざけたことを抜かしてたね、小僧」
冷たい視線。
人を人として見ていない温度。
「一体なんのつもりだい?命乞いの代わりとでもいうのかい?」
私の言葉をまともに取り合うつもりはないのだろう。
「本気ですよ、心から貴女と結婚したいと思ってます」
あと三歩で彼女に手が届く距離。
それに合わせて、老執事が警戒を強めていた。
「ハッ!馬鹿言ってんじゃないよ!小僧と結婚して、アタイになんの利点があるんだい!?」
エレノアは鼻で笑う。
彼女はすでに全てを持っていた。
世界一の財力、世界一の権力、誰もが屈する能力。
そんな相手に差し出せるものなんて、たったひとつしかない。
「私が貴女へ差し出せるものは、約束です」
彼女が心から望んでいるもの。
「約束だぁ?なにを約束するっていうんだい?」
エレノアが、訝し気にこちらを見る。
私はさらに一歩踏み込み、真っ直ぐ彼女を見つめた。
「エレノア・ブラックウッド……貴女のことを、生涯テラから守るという約束ですよ」
それしかなかった。
彼女は、それだけを望んでいた。
「な、なにを……」
初めて見せるエレノアの動揺。
ほんの一瞬だけ覗いた弱さ。
その瞬間を逃さずに、彼女へと手を伸ばす。
老紳士がとっさにそれを阻止しようとするが、拓人が攻撃を仕掛け、その動きを封じる。
事前に打ち合わせた通りの行動を果たしてくれた。
そして文翔は、彼女の精神世界へ入っていった。
エレノアの幼少期は、心が削られる日々だった。
理由はただひとつ——自分のすぐそばにテラがいたからだ。
人類の宿敵。
世界最恐。
視線だけで人を殺す存在が真横にいる状況は、彼女の心を削り続けていた。
テラが食事をするたび、自分が食べられてる姿を幻視してしまう。
テラが自分と遊ぼうとする時、そこには常に死の恐怖が纏わりつく。
テラが自分に触れると、本能が生きることを諦めた。
テラの機嫌を損ねないよう、泣くことすら許されない日々。
それは、年を追うごとにエレノアの呼吸を浅くさせていった。
テラの恐怖というのは、普通の人間はあまり気付かない。
しかし、相対する人間の力に比例して、より強くその絶望を知覚出来てしまう。
成長するごとにその身へ宿した力が増していたエレノアは、ゆっくりと星に押し潰されるような圧力を常に感じていた。
そんな地獄のような生活でも、かろうじて生きていけたのは、父がそばにいたからだ。
父の膝の上だけが、世界で一番安全な場所だった。
父は自身にかけられた呪いを解除するために、テラの従者である黒猫と共に研究所へ籠ることが多かった。
エレノアも出来る限りそこへ同室していたが、危険な実験をする際は部屋から出されてしまう。
その間、家の中には母と私とテラの三人だけとなった。
テラのそばより危険な場所なんて存在しないというのに。
母は父を魂を懸けて愛していたが、テラへの恐怖により心身を壊し、亡くなってしまった。
自身の死やテラへの恐怖よりも、父のそばにいることを望んだ結果だ。
それは、緩やかな自殺といってもよい死に様だった。
このままでは自分も母のようになるだろう。
精神が限界を迎えていたエレノアは、愛する父の元を自ら離れる決断をした。
父は、エレノアが家を離れることを悲しんだ。
だが、娘の独り立ちを応援し、たくさんの路銀を持たせて送り出した。
こうして、彼女は旅に出たのだ。
エレノアの家族は、人との交流がほとんど無い荒野で暮らしていた。
だから彼女は、旅に出るまで世間の常識というものを知らなかった。
当時のアメリカはまだ未開拓の地が多く、女性の一人旅などあり得ない選択だった。
男と出会えば必ず襲われた。
場所も時間も関係なく。
一人旅だと知られれば、男たちは下卑た笑みを浮かべて近寄ってくる。
エレノアを獲物としか見ず、下半身をいきり立たせて襲いかかる男という生き物。
そのあまりにも動物的な行動は、エレノアを深く失望させた。
結果、彼女は極度の男嫌いとなってしまう。
普通なら、一度でも襲われれば、旅を諦め父の元へと帰るだろう。
それを選ばなかったのは、テラのいる家の方が、男たちのいる世界よりもはるかに危険な場所だったから。
エレノアにとって、テラ以外の存在は敵ではなかった。
彼女には、母親から受け継いだ魔力があったのだ。
母は古くから生きる伝説の魔女だった。
『Dominion of Stillness』
その魔法は、相手を屈服させることに特化していた。
発動すれば、その場を完全に支配できる。
エレノアは、男どもが青い顔をさせて、息も絶え絶えになっていく姿を冷酷に見つめ、その顔を蹴り上げる。
だが、幾度となく繰り返されるやり取りに疲れた彼女は、男装をして大陸を旅することにした。
当時、アメリカは独立運動の真っただ中だった。
イギリスの圧政に苦しむアメリカ植民地の姿は、テラの恐怖に苦しんだ自身と重なり、彼女は戦争へ参加することを決めた。
エレノアは男装の姿で輝かしい戦果を挙げ、その結果一人の男と出会う。
彼の名はジョージ・ワシントン。
強い愛国者でプライドの高い軍人だった。
彼は優秀で、当時のアメリカ男性の中では比較的誠実な男だった。
エレノアは、魔法でジョージを屈服させると、植民地総司令官となった彼と共に、独立戦争を戦い抜く。
どんなに厳しい戦いだったとしても、エレノアがいる部隊は生き残った。
魔力により強化された体は、銃弾すらも通さない。
大砲の弾すら素手で弾き返す力によって、どんな窮地も切り抜けてきた。
そして、彼女と共に戦うジョージは独立の英雄となっていく。
彼は、彼女のそばこそが一番の安全地帯だと知っていた。
それゆえに、司令官でいながら前線で戦い続ける豪傑として名を馳せていった。
結果、独立戦争はアメリカの勝利となり、彼は初代大統領となった。
しかし、エレノアに屈服させられ、彼女の力によって勝たせてもらったという想いが、彼のプライドを深く傷つけていた。
そのため、造られた英雄としての卑屈さが、度を超えた謙虚さとなって表された。
そして、エレノアの奴隷に成り下がっていたことが、奴隷制度への嫌悪となって、のちの奴隷解放へと影響を与えた。
多くの時間を過ごしたジョージを含め、国家の中枢となる者たちはエレノアが女性で、彼女こそが本当の英雄だと理解していた。
だが、当時のアメリカは男尊女卑が激しく、女性を表舞台に立たせることはできない。
そのため、国家の相談役として、裏でアメリカを支えて欲しいと彼女に願い出た。
『アメリカはエレノアの物である』
それが、歴代首相の合言葉として伝わっていく。
彼女の存在は“自由の女神”というアメリカの象徴として、代が変わっても権力者たちに崇め讃えられた。
絶大な権力と富を手に入れたエレノアは、それを惜しみなく使い、アメリカを発展させていく。
目的はひとつ、テラを討伐できる戦力を手に入れるため。
だが、数々の戦争に勝ち、国を丸ごと手に入れたとしても、彼女の心は休まることを知らなかった。
百対一の戦力差。
軍靴が破れ、血が滲みながら裸足で歩く行軍。
凍てつく吹雪の中、凍る河を渡る作戦。
真横で人が次々と死んでいく戦場。
それら全てと比べても、テラの恐怖に比べれば遊戯に等しかった。
苦痛ではあっても恐怖には程遠い。
エレノアは決意した。
このアメリカという国を育て、テラを打倒せしめる兵器を開発すると。
こうして、アメリカは世界最強の軍事国家としての道を歩み始めた——。
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