Silas Vayne(サイラス ヴェイン)
文翔が拓人の腕を掴んで、走行中のタクシーから強引に外へ跳んだ。
アスファルトへ転がり落ちる瞬間、浮遊感を感じゆっくりと地面へ降りる。
「なにが起きた!?」
「問題ありません、私の能力です……それより、来ますよ」
文翔が言い終えるより早く、タクシーの後部から黒い影が飛び降りた。
四つん這いでアスファルトを走り、獣のような速度でこちらへ迫ってくる。
二人の背後では、三台のSUVが包囲するように停車した。
「……これ、逃げられねぇよな?」
「ハウンド部隊は、逃げ道を作らないのが鉄則らしいですよ」
文翔が、着地でズレた眼鏡を指で押し上げる。
「安藤君、ここからは私も戦います」
その言葉に思わず息を呑む。
文翔の声は静かだが、その体からはさっき銃弾を止めた時と同じ、異質な気配が滲み出ていた。
「……お前、何者なんだよ」
「後で説明します、まずは目の前のことに対処しましょう」
黒い影が、獣のような咆哮を上げて飛びかかってきた。
「いきます」
文翔が手を上げる。
その瞬間、空気が歪んだ。
黒の装束に身を包んだ影の動きが、まるで空へ縫い付けられたように止まる。
「今です!」
俺は地面を蹴り、空中で硬直した影の顎へ拳を叩き込んだ。
オーラを纏った拳が骨を砕き、影は壁へ吹き飛ぶ。
だが、SUVのドアが次々と開き、さらに三つの影が姿を現す。
「マジかよ、まだいんのか!」
「ハウンド部隊は、群れで動きますからね」
文翔が影の集団に向かい、手のひらを構えた。
「車の台数を考えると、まだまだ来ますよ」
夜の街に、獣のような足音が響く。
彼らは背骨が異様にしなり、手足の関節が人間の可動域を超えていた。
その姿は、まるで人間の皮を被った狼のようだった。
「……あれ、本当に人間かよ……」
「“元”人間です、フォンリンさんと同じ、SCPRで生み出された兵器ですよ」
影の一体が、アスファルトを爪で抉りながら突進してきた。
「来やがった!」
チャクラを脚に集中させ地面を蹴る。
衝撃でアスファルトが割れ、身体が弾丸のように前へ飛ぶ。
影の顎が、俺の首を噛み砕こうと開かれた瞬間、相手の体が固まる。
「オラァッ!」
突き出した膝が、影の顎を下から砕いた。
骨が砕ける鈍い音と共に影は吹き飛び、路地の壁に叩きつけられる。
だが、倒れない。
顎が砕けても、血を流しても、影は立ち上がる。
「……痛覚ねぇのか」
「ありません、痛みを切り捨てた兵器ですから」
文翔の声はあくまでも冷静だ。
影が二体、左右から同時に襲いかかる。
俺はチャクラを両腕に集中させ、拳を構えた。
「来いよ……!」
右の影が跳びかかるが、文翔の力で硬直した。
その隙を逃さず拳を叩き込む。
骨の砕ける音が響き、影の顎が砕け、身体が吹き飛ぶ。
仲間の様態を気にもせず、左の影が爪を振り下ろした。
体勢の整っていない俺は腕で受け止めようとしたが、鋭い爪が刺さる寸前でまたしても影が固まる。
「助かったぜ!」
回し蹴りで影を吹き飛ばし、残りのひとりを探した時に、文翔から声が聞こえた。
「安藤君、下!」
その声と同時に、三体目の影が地面を滑るように接近し、俺の足首を掴もうとしていた。
反射的にチャクラを爆発させ、地を這う影の腕を踏みつける。
その勢いで、影ごと地面が陥没し、衝撃波が路地全体を揺らす。
「クソッ、動きがトリッキー過ぎる……!」
「まだ来ますよ」
文翔が指差す先、路地の入口からさらに四つの影が現れた。
「……あんなにいるのかよ!」
「一気に片を付けます」
文翔が、眼鏡を押し上げ静かに息を吸った。
「どういうことだ?」
それには答えず、ただ手を前に出す。
その瞬間、世界が揺らいだ。
影たちの動きが、まるで水の中にいるように遅くなる。
「おい、なにしたんだ!」
「今のうちに全員倒してください……長くは持ちません」
文翔の声が押し殺したように低くなっていた。
「敵の動きを阻害しているだけなので急いでください」
額に汗が滲んでいる。
おそらくかなりの負荷が掛かっているのだろう。
「……上等だ……全員ぶっ飛ばしてやるよ!」
俺は拳を握りしめ、全身のチャクラを回す。
黄金の光が体に纏われて、力が無尽蔵に沸いてくるのを感じた。
スローモーションのまま一斉に飛びかかってくる四つの影を、一瞬で叩き伏せる。
夜の街に、骨の砕ける音と、チャクラの爆ぜる音が響き渡った。
拓人は息を吐きながら周囲を見渡す。
倒れたハウンド兵は八体。
だが、どれも死んでいない。
文翔がサポートしてくれたおかげで手加減が出来た。
しかし、彼らは折れた骨を鳴らしながら、まだ立ち上がろうとしている。
「おい、もう終わりだろ!死ぬぞ!」
決着は着いたと口にした俺へ、文翔は声を低くした。
「拓人さん、気を抜かないでください……まだ本命が来ていません」
「本命……?」
その瞬間、路地の奥、闇の中から何者かがこちらへ近づいてきた。
「……誰だ」
足音はない。
ただ気配だけが、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
路地の奥の闇が揺れ、そこから黒いパーカーを着たひとりの青年が現れた。
フードを深く被り、顔の半分が影に沈んでいる。
身長は180前後。
スラリと伸びた足から、細身で華奢な印象を受けた。
髪はチャコールブラック。
前髪は長く、右目を隠している。
左目だけが見え、そこには灰青の瞳が夜の光を受けて冷たく光っていた。
肌は白く、表情はほとんど無い。
だが、その無表情の奥に、言葉にできない哀しみが潜んでいるように見えた。
まるで影が人の形を取ったような朧げな存在感。
ただひとつ、首元に光る銀の細い鎖に吊るされたクロスだけが、現実の重みを持って揺れていた。
「はじめまして、ぼくは|Silas Vayne」
名を告げながら、サイラスは一歩踏み出す。
その瞬間、彼の体から黒い靄がふわりと漏れた。
それを受けて、周囲の空気が一気に冷え込む。
「ぼくは魂を壊すために生まれた」
さきほどまでの影とは明らかに違う。
「きみたちの魂は、とても綺麗だ」
肉体的な強さではない、もっと根源的な恐怖を纏っている。
「だから、とても申し訳ない気分だけど、ぼくはきみたちの魂を壊すよ」
その言葉は、静かで、優しく、殺意すら感じられない。
「……やれるもんならやってみろ……俺の魂はダイヤモンドよりも固ぇぞ」
俺の言葉を聞いて、サイラスはふっと微笑んだ。
「きみは、面白い人だね」
サイラスの身体を包む黒い靄が、まるで生き物のように蠢き始める。
空気が震え、夜の温度がさらに下がった。
こちらに向かい戦闘態勢を取っていた影たちが、霧に包まれて徐々に動きを失っていく。
その異様な光景に、思わず息を呑む。
「……なんだよ、これ」
文翔が青ざめた顔で呟く。
「彼こそ『ソウル・ブレイカー』、人の魂を壊す者……先ほど言った本命です」
サイラスがさらに踏み出す。
黒い霧が近づいてきて、俺の中にある何かが揺らぎ始めた。
「っ……ぐ……!」
頭が締め付けられ、痛みで視界が白く染まる。
「チャクラを頭部に集中して下さい!」
肉体ではなく、魂が攻撃される感覚。
「やべぇ……!これ……死ぬほど痛ぇぞ……!」
思わず頭を抱え込んだ。
「肉体じゃ防げません!気の力で頭にある魂を覆うイメージです!」
文翔のアドバイスで俺は必死にチャクラを回し、オーラを頭部へ集める。
黄金の光が侵食してきた黒い霧を弾く。
それにより、痛みが治まっていった。
それを見て、サイラスがわずかに首を傾けた。
「二人とも、ずいぶんと耐性があるんだね」
その呟きで黒霧が揺らめく。
「直接当てないとダメかな」
サイラスは、肩を少しすぼめて、軽く息を吐いた。
その仕草はあまりにも普通で、これから人を殺そうとする者のものではなかった。
「安藤さん、相手の攻撃が当たったら、終わりだと思って下さい」
おそらく大蔵も、自身を必死に守っているのだろう。
先ほどよりも疲労が顔に出ていた。
「……直接触らなきゃいいんだろ?」
俺は腰に手をやり、相棒の骨で作られた得物を握りしめる。
「なら……こいつの出番だぜ」
右手に持った白く輝くロッド。
「恨みはねぇが……彼女のためだ、骨折られるのは覚悟しな!」
お互いの、魂を懸けた戦いが、始まろうとしていた——。




