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彼女は走れと叱ってくれた

 土曜日の夜。

 アキラの家に、雪乃の怒号が響き渡る。


「貴様ら!一体どういうつもりだ!」


 明らかに怒りを滲ませている声と表情。

 その矛先は、玄関の扉前に立つ幸江と蕚へと向けられていた。


「騒々しいですわね、何事ですか?」


「ほんま、ようお元気でいはりますなぁ」


 私の怒りをまともに浴びても、二人は笑顔を崩さない。

 それはいつものことなのだが、今日はいつも以上に余裕を感じる。


 全体に纏う雰囲気が、はっきりと変わっていた。

 

 以前よりもさらに強さを帯びる、凛とした姿勢。

 そして何より、その瞳が強い覚悟を宿したように、静かに輝いていた。


「貴様ら……妊娠したらしいな、何があった詳しく話せ」


 思わず怒りを収めるほどの変貌ぶり。

 彼女たちを変えてしまう出来事が起きていたのは、明白だった。


「ここで話す話題ではありませんので、先日のお店にでも行きましょう」


「それが、よろしゅうおす」


 諭すように幸江が言い、蕚がそれに追従した。

 普段なら、貴方には関係ないとでも言って、門前払いしそうな二人だというのに。


「……わかった」


 こうして三人は、駅前に向かい歩き出す。

 

 

 アキラはまだホテルにいるだろう。

 先週は月曜日だけ学校へ来て、その後はずっと休んでいた。


 彼は忙しいせいか、結構頻繁に学校を休むので、そこまで気にはならなかった。

 昨日のデートには来てくれたから、体調が悪いわけではないようだった。

 

 たた、私はそのデートで大失態を演じていた。


 映画を観て、喫茶店でお茶をして、先ほど都内のシティーホテルへ入った。


 そして、緊張の中でいざ事に及ぼうとしたその時。

 アキラが、何気ない調子で口にした一言で、私は逆上してしまった。


 『幸江や蕚も無事に着床したから、次は雪乃だね』


 聞かされていなかった事実。

 信頼していた仲間からの、あまりに大きな隠し事。


 その瞬間、頭に血が上った。

 

 アキラに怒ったのではない。

 信頼していた仲間に、重大な出来事を隠されていたことに激怒した。


 私はちゃんと宣言したのに、と。


 言ってくれさえすれば受け入れた。

 それくらいの絆は結んでいたはずだ。

 

 彼を支えるという、同じ目的を持つ仲間だと信じていたから。


 こんな怒りと失望を抱えたまま、彼に抱かれるのは嫌だった。

 初めての子作りは、真っ直ぐに彼だけを想っていたかった。


 だから私は、ホテルを飛び出して彼女たちへ会いに来た。

 事実を確かめるために。



 喫茶店に着き、それぞれがいつもの飲み物を頼む。


 目の前にそれらが並べられ、私は堪えていた糾弾を始めた。


「で……どう言うことだ?」


「どうとは?」


「なんのことでおす?」


 とぼけるように、首を傾げる目の前の二人へ、再び頭に血が昇る。


「ふざけるな!なんで私より先に妊娠してるんだ!」


「声が大きいですよ」


「そないなこと続けてはったら、出禁にされますえ」


 だが、私の怒りは柳に風のように、ただ柔らかく受け流される。


 やはり普段とは違う。

 いつもなら、私が感情を見せれば、そこから話が荒れていくのが常だったのに。


「……私が最初に妊娠すると宣言したら、二人はそれで良いと言ってくれただろうが……」


 唇が震える。

 報告されなかった悔しさが胸に溢れた。


 すると、二人はわかっていないとでも言うように、ため息を吐いた。


「アキラさんから誘われたのですよ、月曜の夜に」

「次の日、デートをしないかと」

「それを(わたくし)が断るわけないでしょう?」

「事後報告となったのは申し訳有りませんが、私は元々、順序など気にしないとお伝えてしておりました」


 思い返せば、あの時、確かに言われていた。

 

 順序が遅くても、たとえ早まったとしても気にしない。

 柔らかく細まった瞳は、己に後ろめたさは無いと語っていた。


「うちは、幸江はんのこと知りましてな、木曜に自分で動かせてもろたんどす」

「雪乃はんと顔を合わせはるお暇も無かったさかい、ご報告が遅うなってしもうたんどす」

「それに、うちは近いうちにお誘いしますえ、と先に申し上げておりましたやろ」


 出足が遅いと暗に告げられた。

 週末なんて待っていないで、思い立ったらすぐに動けと。


「が、学生の本分は学業だろうが!学校を休んでデートなど……」


「私の本分はアキラさんです」


「学業と生き様を、同じ土俵で比べられる思てはるんどすか?」


 二人に言われた言葉が胸を突いた。

 

 言われてみればその通りだ。

 私は、学校を休んではいけないと思い込んでいた。

 それは視野の狭さ、ルールを破れない弱さだった。


「貴女は真面目すぎるのですよ」


「もうちぃと柔う動かれへんと、いざいう時、あのお方を支えられまへんえ」


 確かに彼女たちは仲間なのだ。

 彼を支えるために、助言をくれているのだから。


「というか、貴女はアキラさんとデート中ではなくて?」


 笑顔のまま問われ、私は言葉を詰まらせた。


「その……怒りに任せて……アキラをホテルに……置いてきてしまった」


 顔を伏せた私の耳に、重なるため息が落ちてくる。


「愚かだとは思っておりましたが、まさかここまでとは……」


「もう、掛ける言葉もあらしまへんわ……」


 返す言葉がない。

 二人の言葉は、すべて正しいと思ってしまった。


 優先すべきはアキラのこと。

 そう決めたはずなのに。


 初めてを大切に思ってしまったがゆえに、私はまた選択を誤った。

 またしても、自分の気持ちを優先させてしまった。


 それは、二人との彼を想う差を、思い知らさせる結果となった。


 

 自分の浅さを思い、膝の上で拳を握りながら肩を震わせていた。

 

 どうすればいいのかわからない。

 あまりにも身勝手な行動を振り返り、情けなさで前を向けなかった。


「……なにを、されているのですか?」


 静かな怒りを宿した声。

 その迫力に、思わず体が強張る。


貴女(あなた)が持つ、たったひとつの取り柄は、なんだと心得ているのです?」


 そんなもの、無いように思えた。


「おっしゃってみなさい」


 唯一思い付いたのは、私の心の拠り所。

 

「アキラの……記憶があること……」


 それしか無かった。

 それだけを頼りに、ここまで進んできた。


 彼を愛すと誓ったのも、彼を支えると決めたのも、全ては魂に刻まれた記憶があったから。

 それこそが、彼女たちと共にアキラを追い求められた理由。

 

「違うでしょう!」


 だが、幸江はそれを否定した。


「貴女はただ真っ直ぐに、アキラさんを愛する事だけが取り柄です!」


 告げられたのは思ってもみなかった言葉。

 

 それは以前、深い確執を抱いていた兄弟の会話を思い出させた。

 兄が激情を持って叱り飛ばし、弟を思う言葉を紡いだ、あの強い絆のやり取りを。


「私や蕚のように回り道をせず、彼へ愛を届けたではありませんか!」


 彼女たちが長い時間をかけて辿った道。

 その上で掛けられた言葉が、胸に刺さった。

 

「それだけが、私たちより優れている貴女の取り柄です!」

 

 幸江は強すぎる信仰ゆえに、蕚は婚約者とチトの存在によって、アキラとの結婚を諦めてしまった。

 そんな中で、ただ己の魂に従い、最短で彼へ向かった雪乃を二人は眩しく思っていた。


 なにより、その夢が破れた時でさえ、曲がらず彼の支えになると口にした。

 

 九星の使徒と共にアキラの話を聞いた後、戸惑い立ち竦む二人を、新たな目標を定めた彼女の熱が引っ張った。

 あの時、三人の絆を紡いだのは、アキラを想う雪乃の真っ直ぐな瞳だった。


「いつまでも下など向いていないで、さっさと彼の元へ行きなさい!雪乃!」


 激しい叱咤(しった)

 そして、呼び捨てにされたことで、胸に火が灯った。


 私が誰よりも認める存在が、私を認めてくれている。

 

 それを知った瞬間、体が自然と動く。


 気付けば彼の元へ駆け出していた。


 

「まったく、愚図はこれだから困りますわ」


 残された幸江が、柔らかい笑みのまま愚痴をこぼす。


「ずいぶんと、お優しゅうしてはりますな」


 皮肉にも聞こえる蕚の言葉。

 だが、その声には楽しさの色が混じっていた。


「……私は少しだけ、本当に少しですけど……彼女に憧れを抱いておりますの」


 世間を知らず、籠の中で育った雪乃。

 それゆえに、愚かにも真っ直ぐ彼を追いかけられた。


 闇を常として、人を操り生きてきた幸江にとって、その姿は眩しかった。


「素直に言わはりますなぁ」


 幸江の最大限の賛辞を聞き、蕚は面白そうに笑った。


「せやけど……うちかて、似たようなもんどす」


 幸江の素直さに当てられて、蕚も心の内を明かす。


「雪乃はんは、諦めてもすぐ立ち上がらはる……」

「その姿に、アキラ君を重ねてしまいますえ」


 二人がずっと認めず避けていた、雪乃の中にいるアキラの姿。

 彼のそばに一番近いのは彼女だと言う事実。


 それを素直に口にした。


「さて……雪乃はんは、これからうまいこと行かはりますやろか?」


 蕚の言葉は、彼女の行く末を案じつつも、見守るような温度を含んでいた。


「知りませんわ……それこそ、神のみぞ知ることでしょうね」


 幸江は、そこまで面倒は見ないと突き放しながらも、どこか柔らかさを見せる。


 

 二人の少女は、あたたかい眼差しで、窓の外を見つめていた。

 彼女が必死に駆けて行った、その先を——。

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