闇の中で、愛を叫ぶ獣
二人は遊園地を後にし、都内の三つ星レストランで夕食を済ませ、帝国ホテルへチェックインしていた。
アキラと幸江は、高価な調度品に囲まれた部屋で、テーブルを前にソファーで隣り合う。
「さっちゃんには、これを渡したかったんだ」
彼が、卓上のウェルカムスイーツを退けて影から取り出したのは、純白の太刀だった。
「常闇の太刀は、ひるちゃんがアマテちゃんにあげちゃったから、代わりの刀を作ったよ」
見るからに神器だとわかる。
「さっちゃんに合うよう調整したから、きっと前より使いやすいと思う」
神々しいまでの艶を魅せる白い鞘。
金に縁取られた白磁を思わせる鍔。
白い絹糸で巻かれた柄。
鞘頭にも金の細工が施されている。
それは、以前私が使用していた霊装鎧で作った物に似ていた。
しかし、存在の次元が違う。
石ころとダイヤなんて生易しい比喩では足りない。
私とアキラを比べるようなものだ。
「試しに抜いてみて」
嬉しそうに笑う彼の言葉に従いたい。
だが触れられない。
神の指示であっても。
「大丈夫、前のと違って抜いても死んだりしないから」
優しい笑み。
動けない私を気遣う瞳。
それでも、手を伸ばせなかった。
「これは、私には……相応しくありません……」
この純白に似合う生き様を持っていない。
暗い場所で、彼の光のみを糧に生きてきた私に、この神具は眩しすぎる。
「そうかな?よく似合うと思うけど」
彼の言葉を受けながら、歯が折そうなほど食いしばっていた。
「……私は……これほど美しい物を……持つに値しません」
神の言葉を否定する。
それがどれだけ畏れ多いのか、誰よりも自分が理解していた。
だから私は、再び自分勝手な懺悔をする。
神の言葉を否定するのだ。
その理由を、包み隠さず曝け出さなければならないだろう。
たとえ彼に——軽蔑されるとしても。
「私は……醜く弱い女です」
思い浮かんだのは、南の島でアキラが雪乃を支えていた光景。
「貴方との、大事な誓いを諦めました」
あの神話のような情景が忘れられない。
「一緒に結婚を学んでいきたいと望んで頂いたのに、それを諦め言い訳を探しました」
告げられた大切な約束も反故にした。
彼に相応しくないと勝手に切り捨てて。
「支えられればいいと、横でなくてもそばにいられればいいと」
剣になるという誓いすら、誤魔化しだった。
「影であればいいと……」
振り返ってみれば、私は全てに逃げ続けていた。
「でも、そんなのは全て言い訳に過ぎません」
信仰に逃げ、支えることに逃げ、修行に逃げた。
彼の役に立つのだと言い訳をして。
この仮面のような表情のように、上辺だけを取り繕って。
「ただ、弱いだけなのです」
目の前の純白が、その弱さを容赦なく照らし出していた。
「望んでいたのは、貴方の隣に立つことだったのに」
雪乃のように、未熟でもひたすらに愛せばよかった。
全てをかなぐり捨ててでも、ただ愛してると伝え続ければよかった。
それが出来なかったのは、自分が弱かっただけ。
アキラが行方不明になっても探せなかった。
彼を失う恐怖に負けた。
本気で愛していたなら、たとえ亡骸であっても逢いに行くべきだった。
その横で、彼と並んで命を絶てばよかっただけのこと。
死ぬのが怖かったのではない。
神が死んでしまい、光を失う。
信仰の対象が無くなることを恐れていたのだ。
「……だから、これを受け取る資格が……ありません」
アキラは人だ。
人間なのだ。
それを認められない限り、私は彼の横に立てない。
本当の意味で、愛することは出来ないだろう。
だが、この信仰を捨てる事も出来ない。
崇拝が魂に刻まれてしまった。
これを無くすには、魂の在り様を変えなければならない。
それは、自分ではどうにもできないとわかっていた。
だからまた、逃げるしかない。
たとえ彼に失望されるとしても。
仄暗い瞳に、目の前の光は眩し過ぎたから。
「幸江」
呼ばれた名前に反応が遅れた。
今、彼は——私をなんと呼んだ?
「幸江は、僕のこと好きなんだよね?」
脳が痺れを起こす。
「え、ええ……もちろんです」
あまりの出来事に、思考が出来ずに反射で答えた。
「どのくらい好き?」
その答えは考えなくても決まっている。
「この世の全ての中で一番です」
それ以外の言葉はない。
「よかった、なら大丈夫」
戸惑う私を、彼の瞳が見つめていた。
そこに広がるのは、透明な世界。
思わず見惚れていると、彼が立ち上がり、おもむろにシャツを脱ぎ出した。
露わになる上半身は、私がいつも拭かせて頂いている尊き御姿。
「おいで」
差し出された手を思わず取ってしまう。
頭が働いていない証拠だ。
そのまま手を繋いで、ベッドの前まで連れて行かれる。
毛足の長い絨毯は、雲の上を歩いているようで、現実味を消失させた。
「脱がせるよ」
あまりにも唐突に始まった事態へ、頭の処理が追い付いてくれない。
私の白いワンピースを、彼が魔法のように一瞬で剥ぎ取る。
下着姿が露わになったが、何も反応が出来なかった。
「あの刀はね、幸江をイメージして作ったんだ」
呆然と立ち尽くす私に、彼が髪を掻き上げ、優しく言葉を紡ぐ。
「僕は人の魂が視えるんだけど、幸江の魂はとても強く、純白に光り輝いているんだよ」
彼が背中に手を回し、ホックを外した。
「それは深い愛情の色なんだ」
支えを失ったようにブラが床に落ち、胸が露わになる。
「それだけ僕を想ってくれているってことだよね」
なにが起きてるかはわからないが、なにが起こるかだけはわかった。
「なら、それで資格は十分だよ」
腰に回された手が熱い。
「私は、アキラさんを……愛せているのですか?」
確認したかったのはそれだけ。
彼の全てが、私を愛していると伝えてくれていたから。
「もちろんだよ、世界中の誰よりもね」
彼は嘘を言わない。
だから、信じるしかなかった。
支えるでも、信仰するでもない。
ただひたすらに彼を想えていたのだと。
「……愛しています、貴方だけを」
涙は消さない。
ただ流れるままにしたかった。
表情を作る必要もない。
私の全てを見せてもいいと思えたから。
彼が受け入れてくれるからではない。
心にしこりとなっていた挫折と後悔。
そして、弱さも全部。
私自身が、ようやく受け入れた。
長い間、闇に逃げ続けていた醜い獣。
それでも世界一の愛を育めたのなら、私の居場所はそこでいい。
暗がりであろうと、瞳が曇っていようと。
大事なのは、彼を愛することだけなのだから。
静かに目を閉じた。
こちらの合図に、自然と口づけが交わされる。
それは二度目の誓い。
捧げるのではなく、求めるための行為。
彼の体を自分から触る。
信じられないほどの暴挙。
でも、今はそれがしたかった。
手のひらに感じる彼の中心が熱を帯びている。
「貴方の子供が欲しいです」
吐息と共に求めたのは、愛の証。
「僕も欲しいと願ってるよ」
私は跪き、彼の残った着衣を脱がせた。
そこに、普段見ているものが別の姿で現れる。
それこそが彼も人である証拠。
偶像ではなく、確かに存在するのだと確認するように、自身の五感で味わった。
思考など、とうに捨て去っていた。
きっと脳で考えた瞬間、私は死ぬだろう。
ならば、本能のままに求めよう。
そして彼女は獣となった。
彼の上で暴れ、時に組み敷かれ、飽くなき欲望を求め続ける美しき野獣へと。
こうして、丸二日掛けて続けられた行為は、彼女へ新たな命を宿すこととなった。
彼との絆と、より強固となった覚悟と共に——。




