彼女は扉を開かない
映画が終わり、館内の明かりが戻る。
アキラの隣で二時間座っていただけなのに、心臓はずっと落ち着かなかった。
館内を出て、近くのカフェに入る。
席に着くと、アキラがメニューを開きながらこちらを見た。
「雪乃、何にする?」
「コ、コーヒーで……」
普段なら迷わず頼めるのに、今日は舌が思うように動かない。
アキラは気にした様子もなく、店員に注文を伝えた。
飲み物が届くと、アキラがストローを軽く揺らしながら笑う。
「映画、面白かったね」
「そうだな……」
言葉が出ない。
頭の中では感想が渦巻いているのに、口に出そうとすると全部霧散してしまう。
「僕が最後に観た映画は白黒だったから、今の技術に驚いたよ」
「そうなのか?」
「うん、テラが観たいって騒いでさ」
「わがままなヤツめ……」
「アイツは昔から自由だからね」
「暴君にもほどがある!いつか倒して見せるからな!」
「そっか、楽しみにしてるよ」
嬉しそうな彼の顔で胸が詰まり、また言葉を失う。
それでも、今日初めて普通に話せた。
それがテラの話題というのが癪だったが、いい流れだと思った。
「そ、そういえば、アキラたちは今、皆で何をしてるのだ?」
計画の中心にいるだろう彼には、皆が話し合っていることについて聞いたことがなかった。
学校での会話は、基本的に魔力の使い方についての質問が多い。
ちなみに気の運用はホンシアに聞き、呪力は母に聞いて練習している。
「親に捨てられたり虐待されてるような、居場所のない子供を救う施設を作ってるんだ」
それは思っていたより、はるかに尊い取り組みだった。
「そうだったのか……それは素晴らしいな」
「うん、みんな全力でがんばってくれてるよ」
その言葉に、軽い胸の痛みを覚える。
みんなの中に、私は入っていない。
「フミくんと哲夜が中心になって、色々考えてくれてるんだ」
フミくんという人物が、生徒会長のことを指すのは知っている。
だが、次に続いた名前を聞いて、身が強張った。
幸せに包まれている今は、あまり聞きたくなかった名前。
「……アキラが中心ではないのか?」
「僕は基本的にサポートかな。他のみんなが優秀だし、人類のことは人に託したいんだ」
その眼差しは慈愛に満ちている。
やっぱり、どこまでいってもアキラは神だ。
人を信じ、慈しむ存在。
その愛は、皆へ平等にもたらされる。
「哲夜は……頼りになるのか?」
口にすべきではない質問だった。
聞けば、自分を惨めにさせる答えしか返ってこないとわかっていたのに。
「もちろんだよ、すごく頼りにしてるんだ」
想像していた通りの言葉に、劣等感が胸を締め付ける。
少しでも心を落ち着かせるために、コーヒーを口に運んだ。
「色んなことに詳しいし、施設で暮らした経験もあるから参考にするって」
心にある引っ掛かりが、その名を言わせたのだろう。
後悔しかしない話題を、早く切り上げたいと思ってしまう。
「それに、自分の子供もそこで育てるって嬉しそうに言ってたよ」
「子供?彼女が?」
あまり想像出来ない姿だ。
以前から他者を受け入れず、自分の世界に没頭し、恋愛になんて興味がなさそうな。
いや——ある。
哲夜が唯一好意を見せている相手を、私は知っている。
それに気付いた時、カップを持つ手が震えた。
「うん、楽しみだなあ、僕たちの子供」
思考が止まり、体が固まってしまう。
「夏頃には生まれるから、早く施設も作らないとね」
ぼんやりと、カップから立ち上る湯気を眺めていた。
「来年は雪乃も産んでくれるし、良い年になるね」
彼の声が遠くに聞こえる。
それと共に、涙が込み上げてくるのを感じた。
思い返せば、その予兆はあった。
哲夜がアキラを愛せば、行き着く先はそれしかないのだから。
ただ、私が目を反らしていただけ。
哲夜は彼の望みを支え、さらに子供も孕んでいる。
見たくなかった現実が急に姿を表したことに、私は動揺を隠せなかった。
「どうしたの?」
急に黙って下を向いた私に、アキラが声のトーンを落とす。
心配そうな気配が、そっと胸に触れた。
わかっている。
彼に悪気はないのだ。
だからこそ嬉しそうに、他の女を妊娠させたと言っているのだから。
よりにもよって、彼女との大事なデート中に。
「なんでも……ない」
動揺を押し殺し、声を絞り出す。
アキラの目的を考えれば、当然の行為だろう。
それを受け入れるのを決めたのは、他でもない自分自身。
実際、母の出産を受け入れ、仲間の妊娠も納得している。
なのに、なぜ哲夜だけ受け入れられないのか。
そんな狭量で、アキラを支えられるはずもない。
前を向け、彼の瞳を見ろ。
そうすれば、必ず心が求めるはずだ。
哲夜の存在など気にすることなく。
そう思うのに、顔を上げられない。
ほんの少しでも動けば涙が零れてしまう。
「雪乃?」
泣いてはいけない。
自分で選んだ道じゃないか。
「僕、またなにか間違えたのかな?」
間違えてなんかいない。
出会った最初から、彼は変ってなどいないのだから。
そんなアキラを愛したのは私。
ならば、それを責める方が間違っている。
だけど、気付けば席を立ち、出口に向かい駆け出してた。
心と体が、まるで別の生き物のように真逆の動きを見せる。
神は来る者を拒まない代わりに、去る者も追わない。
私がいなくなっても、きっとそれを受け入れるだろう。
喫茶店のドアへ手を掛ける。
この扉を開けば、心と体は楽になるかもしれない。
だが——魂は?
取っ手を掴んだ手が止まる。
思い返したのは、アルが王宮を作り、多くの側室を住まわせていた時の記憶。
側室たちが、王の寵愛を求め、それが拗れて殺害事件となることも多々あった。
その時の彼の感情は、確かに悲しみを表していた。
アキラもきっと同じだ。
去る者を追わないだけで、悲しみは覚えてくれる。
彼に、そんな思いをさせるわけにはいかない。
私は眼帯のない片目から涙を流しながら、アキラのもとへ戻っていった。
「すまない、嫉妬だ」
席に座り直し、正直に自分の気持ちを打ち明ける。
「嫉妬?」
不思議そうな顔をして、私の言っていることがわからないように首を傾げた。
「ああ、昔、後宮でよくあったアレだ」
二人が共有する思い出。
「そっか、わかった」
私だけが持っている魂の記憶。
「だから気にしないでくれ、私の気持ちの問題だ」
哲夜だけではない。
全ての人類の中で唯一無二の物。
「雪乃、なんだか強くなったね」
何を卑下する必要があるというのだ。
「ああ、私はこれからもっと強くなるぞ、期待していてくれ」
魂に刻まれた彼を、忘れることなんて出来ない。
ならば自分が強くなるしかない。
「僕は最初から、ずっと期待してるよ」
私は彼に恋をした。
「雪乃の魂は、いつだって綺麗に輝いてるからさ」
そして、愛を教えて貰った。
「先ほど教えてくれた計画、私にも何か手伝えることはないか?」
だから、中に入りたいなら自分から進む。
「何でもいいんだ」
彼の助けになることならば。
「もちろん、雪乃が手伝ってくれるなら心強いよ」
もう泣いているだけの自分はいない。
やりたいことがあるなら、自ら進んで向かおう。
「そしてアキラ……子供を作るぞ、テラに勝てるような強い子を!」
彼が、自分で歩ける強さを育んでくれたのだ。
「うん、がんばろうね」
そして、二人は揃って喫茶店の扉を開く。
ホテルに向かい、意気揚々と。
二人の歩みは、確かに未来へと向かっていた——。




