中国二千年の歴史
劉紅霞は、今から二千年ほど前に中国大陸の奥地で生まれた。
ほとんど人のいない田舎で、十歳になるまで父と母の三人で一緒に暮らしていた。
だが、父と母は正式な夫婦ではなかった。
修行をしながら旅をしていた母が、ここで暮らしていた父と出会い、押し掛ける形で一緒に暮らし始めたらしい。
どこか浮世離れした父だったが、娘のホンシアを溺愛し、深い愛情を注いでくれた。
母はいつも嬉しそうに笑っていて、三人の生活は幸せで満ちていた。
しかし父は、ある時急にこの地を離れるよう母子に告げた。
『そろそろテラが起きる、その前にここから逃げて、ホンシアに世界を見せてやってくれ』
テラの恐怖は、その時になり初めて父から聞いた。
その瞳には、死を覚悟した決意が映っていた。
母は共に戦うと泣きながら訴えたが、父は無駄死にになるとそれを強く拒否した。
結局、母はそれに従い、ホンシアを連れてその地を離れた。
母は各地を転々としながら、その地にある武術道場へ赴き、道場破りをしてホンシアを養った。
やがて『戦無不勝』という呼び名が全国に広まり、皇帝からお呼びが掛かる。
母のために開催された御前試合にて、他を圧倒する実力を見せつけた結果、皇帝から直々に召し抱えられることとなった。
その腕に惚れ込んだ皇帝は、当初、彼女を妃として迎えることを望んだ。
だが母は、後宮に入らないことを条件に、武将として皇帝の下に就く道を選ぶ。
母の抱く父への愛情は、皇帝の求婚を拒むほどに深かった。
光武帝と呼ばれた彼は、若い頃は自ら戦場で戦うほど力に魅入られていた人物だった。
この時すでに大陸全土はほぼ統一され、戦もほとんど無くなっていた。
それでも、軍の増強を一番に考えて国を動かすほど力に執着していたのだ。
きっと更なる野望があったのだろう。
そして、皇帝はホンシアをことのほか可愛がった。
ホンシアの持つ力が、すでに母をも超えていたからだ。
その武力は、千人の鍛え抜かれた兵士が一度に襲い掛かろうとも、まるで歯が立たないほどだった。
皇帝は、常にホンシアと母を側に置き、自分と同じ贅沢を許した。
誰もが羨む待遇だった。
しかし、母は常に空虚な目をしていた。
富も名声も、皇帝の寵愛すらも、彼女の心には何も響いていなかった。
母の中には、常に父への愛だけがあったのだろう。
ホンシアを見つめている時ですら、その瞳はどこか虚だった。
父のそばにいることを許されない現実。
母はその辛さを打ち消すように、ひたすら修行に励んでいた。
ホンシアにも父と会えない寂しさはあった。
しかし、誰より大切に扱われるこの場所も気に入っていた。
皇帝は自分のことを実の娘よりも可愛がってくれたし、周りの人間もホンシアの人間離れした強さを恐れ敬ったからだ。
父に会えず、母の心がここにない以上、せめてもの拠り所としてこの国を愛そうと思った。
ある時、大陸に小規模な地震が起こった。
揺れが収まるや否や、母は宮殿を飛び出した。
ホンシアに、決して付いてこないよう言い含めて。
向かった先は父のいる場所だと直感した。
ホンシアは母の言い付けを破った。
それを守れば、もう二度と母に会えなくなる気がしたからだ。
昔住んでいた場所に辿り着いた時、その地形は変わり果てていた。
大地が裂け、森は焼かれ、辺り一面が破壊されている。
そこには母が倒れていた——下半身を失った姿で。
慌てて近づき、その体に治癒を施した。
だが、今のホンシアの能力では、致命傷を治すことはできない。
泣きながら必死に声を掛けるしかなかった。
その時、空中で激しい爆発が起きて、何かが地面に叩きつけられた。
落ちてきたのは、血塗れの父だった。
それを追うように、一人の少女が飛んできた。
彼女はそのまま父の腹を蹴り抜き、穴を開ける。
よく見ると、その少女は異形の姿をしていた。
間違いない、話に聞いていたテラだ。
父は胴を貫かれたまま、テラを抱え込んで白く発光し始めた。
その体からは、周囲を焼き尽くすほどの高温が放たれている。
離れているこちらにまで熱を感じていた。
ホンシアの肌が火傷を起こし始めたが、光はいまだ増し続け地面を黒く染めていく。
父が行っていることは、おそらくテラを巻き込んだ自爆。
その証拠に、父の体はゆっくりと崩壊し始めていた。
服が燃え出す。
急いでこの場から逃げ出さなければ、二人とも焼け死んでしまう。
ホンシアが半身の母を抱えようとすると、それを母は拒んだ。
『この光を見ながら父と共に死にたい』
その言葉を聞いて、母がここにいる理由を理解した。
母は父と死ぬためだけに、ここへ来たのだ。
テラとの戦いになんの役にも立たない無駄死にだとしても、父のそばで一緒に死にたかったのだろう。
娘の気持ちも顧みず、ただ父への愛に殉ずる姿。
愛する母のあまりに自分勝手な死に様は、ホンシアの心に深い傷として残った。
残される娘のことはどうでも良い。
そう感じてしまったからだ。
そして、それ以上にテラへの憎しみが募った。
彼女さえいなければ、家族三人で幸せに暮らせていたのだ。
父と母は、テラと共にこの世を去った。
その結果、この周囲一帯は生き物が生息できないほど荒れ果てた。
ホンシアは、何も出来ず打ちひしがれたまま王宮へと戻った。
母の死を告げると、皇帝はホンシアを義理の娘として迎えることを決めた。
そして、自身が持っていた『劉』の字を与えたのだ。
やがて時が経ち、皇帝は崩御する。
その際、ホンシアは彼にこの国を任すと告げられた。
長い間、ずっと大切にしてくれて、娘にまでしてくれたことに深い恩を感じていた。
だから、それから百年以上もの長い間、ホンシアはこの国を外敵から守った。
産まれた時から膨大な量のチャクラを自在に操れる彼女は、歳を取ることがなくなっていたのだ。
だが、彼女の絶対的な守護の力は、皇帝の子孫たちを腐らせた。
それに連なる官僚たちも、国を蝕む者のみとなってしまい、己の欲望だけを追い求めだす。
宮廷の腐敗はホンシアを辟易させ、その元凶が自分の存在にあると悟った。
結果、皇帝の娘を証明する金印のみを手に出奔した。
彼女は国を切り捨てたのだ。
その後、国はそれを支えるはずの国民の手によって滅ぼされ、後に三国へ分断されることとなった。
ホンシアが生まれ故郷に戻ると、そこには父が姿を変えて生きていた。
あまりの懐かしさと、胸を刺す郷愁に思わず声を上げて泣いてしまった。
そんな彼女を、父は優しく抱きしめ、いつまでも頭を撫でてくれた。
どうやら父は、何度も生まれ変わってテラと戦っていたらしい。
テラの恐怖は教えてもらっていたが、父自身のことはほとんど教えてもらえていなかった。
父はあれから再びテラと戦っていた。
そしてまた相討ちで滅ぼしたらしい。
次は自分も戦うと言ったが、それに父は首を振った。
母と同じ無駄死にするだけだと告げられて。
それでも食い下がると、『僕に勝てるくらい強くなったらいいよ』と約束してもらった。
そこからホンシアの修行が始まる。
すでに人類最高峰の力を持っていたホンシアだったが、父と比べれば赤子同然だった。
今まで、自分を鍛えた事など無い。
その必要性を感じなかったからだ。
だが、父に勝つため、生まれて初めて必死に努力を積んだ。
しかし、父のいる頂きは見上げるほど、遠く霞んでいた。
それでも、共に修行をする日々は楽しく幸せに過ぎて行く。
強くなること以外何も考えず、父に愛され可愛がられる時間は、何物にも変え難い宝物だった。
しかし、テラ出現の予兆が起きた時には、父はホンシアを気絶させ、ひとり戦場へ赴く。
目が覚めた時には、いつも戦いはすでに終結しており、父とテラは亡骸も残さず消滅していた。
ホンシアが出来ることは、再び父が復活し、この地へ戻って来るまでひたすら待つだけ。
そんなことが、数百年の間に何度も繰り返された。
結局、どれだけ修行をしても、ホンシアが父を超えることはなく、共にテラと戦うことも許されなかった。
だがある時、父はテラを仕留め損ねた。
それが切っ掛けとなり、世界に大いなる災いが起こる。
のちに妖怪大戦争と呼ばれる、三つ巴の戦い。
それに参加したホンシアは、初めてテラと対峙し、半死半生の大怪我を負う。
そのせいで、数百年にも及ぶ深い眠りを余儀なくされた。
生きる為に、失った肉体の再生と気脈の再構築、チャクラを全ての細胞に宿す作業へ集中した。
それは、自分の肉体との深い対話の時間であり、同時に、世界との対話の時間でもあった。
意識が戻った時、以前とは比べ物にならない力が宿っていることに気付く。
今なら父と共にテラと戦うことも出来るかもしれないと思い、その行方を追った。
だが、それから数百年掛け旅をしても、父は見つからなかった。
仕方なく、故郷の大陸に戻り国を掌握した。
金印により自身の身分を明かし、力によって上層部を支配したのだ。
ただ、前の王朝のような失敗は繰り返したくなかったため、国の防衛などに協力はしなかった。
修行をしながら、国を見守るだけの日々。
外敵が攻めてこようとも、ただ粛々と変化を受け入れ、国が滅ぼされようと気にしなかった。
ホンシアの存在は秘匿され、その時代における王家や高級官僚にのみ拝謁を許された。
彼女の怒りに触れれば、たとえ皇帝であろうと、国家主席であろうとも一瞬で首がすげ変わる。
この大陸における影の頂点として居続けた。
その間、伴侶などは求めることはなかった。
言い寄られたことは星の数ほどあった。
ホンシアの美貌は大陸一といっても過言ではなく、その絶対的な権力も魅力的だっただろう。
だが、ホンシアにとっては修行の方が大事だったし、自分よりも弱い男に興味が持てなかった。
父の素晴らしさを知っていたので、どうしても他の男が下らなく見えてしまった。
なにより過去の経験から、人間の醜さに忌避感を覚えていたせいもあった。
そして、気付けば父と最後に会ってから千年が過ぎていた。
ある時、不意に父が目の前に現れた。
だが、それは感動の再会とはならなかった。
なぜなら、父の横にテラがいたからだ。
母が殺されたこと、そして自分も殺されかけたことを思い、気付けば襲いかかっていた。
しかし、すぐさま父に止められ、あまりにも理不尽なことを告げられる。
『今後、テラと命を懸けて戦うことを禁止する』
それは命令だった。
そのことを伝えるために、ホンシアを探していたらしい。
当然ホンシアは反発したが、父は頑として戦いを許さなかった。
ならばと、父に戦いを挑んだ。
勝てたらそのままテラを殺すつもりだった。
だが、まさに子供扱いされ、手も足も出ないまま動けなくなった。
昔とは、比べ物にならないほど強くなったはずだ。
あれから数百年かけて修行も続けていた。
それでも届かない。
強さの底が見えなかった。
父と同じ強さのテラと戦っても、きっと同じ結果になるだろう。
だが、せめてテラに頭を下げさせたかった。
母を殺し、父を殺し続けたことを謝罪させたい。
そして、自分に千年の孤独を味わせたことが許せなかった。
だから、テラに聞いた。
戦う以外に得意なことはなんだと。
すると彼女は『食べる事』だと答えた。
それを聞いて、その時思いついた命を懸けない勝負を挑むことにした。
大食い対決。
食事で取ったエネルギーは、チャクラを使えばすぐに力へと変えられる。
それを熱に変換して排出すれば、いくらでも食べ続けることが出来ると思った。
だが、テラの食欲の前にあっけなく敗北する。
熱への変換も、胃の消化もテラの食事速度に追い付かなかったのだ。
それでも勝負としては成り立っていた。
しかも、確かにテラは食べることに対して、並々ならぬ執着を見せた。
ならば、この勝負方法でテラに勝つ。
それからホンシアは大食いの修行を始める。
もっとも消化に適した体を追い求め、胃袋を鍛え、食べ物の熱変換を速めるなど数々の試行錯誤を繰り返した。
全国から腕の立つ武芸者を集め、食事を作らせる代わりに武術の稽古をつけた。
『武』と『食』どちらも極めるために、理想の環境を整えたのだ。
それから百年に一度のペースでテラへ挑んだ。
少しづつ、手応えのような物も感じていた。
母を殺し、父を奪ったことを謝らせる。
その想いは、五百年という長い時の中で、もはや怨念と化していた。
だが、遂にそれを果たした時、自身の愚かさを思い知る。
テラは、本気で自分と向き合ってなどいなかった。
勝負と思っていたのは自分だけ。
五百年の徒労を知った。
そのあまりにも惨い事実に、体と心が崩れ落ちてしまう。
そんな自分の目の前に立ったのは、最近目を懸けていた新しい弟子だった——。
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