食いしん坊万歳
勝負はホンシアの勝利で幕を閉じた。
しかし、俺が見る限り、テラはそもそも勝負をしているつもりがないようだった。
食べたい物を食べ、満足したから食事を終えただけ。
彼女はただ、純粋に食事を楽しんでいるように見えたのだ。
「我の勝ちネ!」
勝利を叫ぶホンシアが滑稽に見えてしまうほど、テラは余裕を残していた。
今もテーブルに残っていた胡麻団子を、摘んで口に放り込んでいる。
逆にホンシアは、余裕など欠片も残っていない。
汗で髪型は乱れ、体は不自然に膨張し、細い目が血走っていた。
人間が食べられる量ではない。
ホンシアの体の周囲には、熱による蜃気楼が起こり、景色が揺らいで見える。
おそらく、食べた物をエネルギーとして熱に変換し、排出しているのだろう。
「潔く負けを認めて!頭を下げて謝るヨ!」
あまりにも必死に見えた。
まるで今にも泣き出しそうなくらいに。
「テラ様が、なんでアンタに頭を下げなきゃならないのよ!」
付き添いの黒猫が、眉間に皺を寄せて文句を言った。
「大食い勝負ヨ!先に食べるのを止めたのはそっちネ!」
「五百年も掛かったケド……遂に勝ったヨ!早く地べたに頭を擦り付けるがいいネ!」
五百年掛けるほどの執念なんて、俺には想像もつかなかった。
「アンタ、なにか勘違いしてるけど、テラ様の本気がこんなものなワケないでしょうが」
黒猫が哀れむような目でホンシアを見た。
「大食い……勝負……?」
不思議そうに頭を傾けるテラ、そこに負けた悔しさは浮かんで来ない。
「そうネ!毎回始める前に言ってたヨ!」
確かに、食事前にホンシアは言っていた。
『負けたら謝れ』と。
「……中華がたのしみで……聞いてなかった」
そう言うと、食材の詰まっているダンボールへ近づく。
次の瞬間、五十個はあった食材の山が、ダンボールごと消えた。
おそらくテラは、それらを一瞬で食べたのだろう。
咀嚼しているのか、口をもぐもぐと動かしている。
どうやったのかもわからない。
咀嚼もすぐに終わり、ホンシアへ告げる。
「このあと……予定あるから……今日はこれでおわり」
「また……ごはん誘って」
それを見ていたホンシアは、顔色を真っ青に染めた。
五百年にも渡る、自身の無駄な努力を知ったことで膝から崩れ落ちる。
あまりにも無惨な結果だった。
必死でもぎ取った勝利だったのだろう。
それを呆気なく無に帰されたことで、彼女の瞳に光が無くなっていた。
敬愛する師が、相手にもされずに打ちひしがれる姿を見て、ホンシアの弟子たちは憤っていた。
全員が殺気を漲らせ、テラに襲い掛かろうと構えている。
だが、実際には誰一人として動けずにいた。
鍛え抜かれた感覚が、死を克明に想像させるからだ。
これより前に進むのは、底の見えない崖に飛び込むのと同じ。
強ければ強いほど、テラの恐怖はよりハッキリと感じる。
心が前に進みたくても、あまりにも無意味な死を、体が全力で拒否しているのだろう。
弟子全員が、自らの不甲斐なさに悔し涙を流している。
その姿を見て、思わず声が出てしまった。
「……ちょっと待てよ」
帰ろうとしたテラに、声を掛ける。
「なに……?」
不思議そうな顔、そこに感情はない。
きっと、テラは虫にでも話しかけられた気持ちなのだろう。
二人の間にあるのは、こちらが感じている恐怖のみ。
「俺と勝負しろ、タイマンでだ」
無謀なのは十分過ぎるほどわかっていた。
心臓が痛いほど早まり、目の血管が切れて白目に血が滲む。
極寒の海に裸で飛び込んだように、全身の震えが止まらない。
「タイマン……?なに……?」
確実に死ぬだろう。
それも、修復不能な形で。
さっきのダンボールのように、跡形もなく。
「一対一で、戦うってことだ」
未練はある、それこそ死ぬほど。
「テラは……アルの子供と戦っては……ダメ」
アキラの横に、並び立ちたかった。
「安心しろ、俺はアキラの子供じゃねぇ」
哲夜と、エロいこともしてみたかった。
「ふーん……なら……いいよ」
今の幸せな生活を、ずっと味わっていたかった。
「もし俺が勝ったら……ホンシアに謝れよ」
だけど、死に向かう一歩を踏み出した。
きっとこれは無駄死にだろう。
でも、我慢できなかったんだ。
尊敬する人が、相手にもされずに打ちひしがれている姿が。
二ヶ月間、何度も命を救ってくれた。
だが、どちらかと言えば、冷酷な対応が多かったように思える。
『弱いなら死んでも仕方がない』
ホンシアの目は、常にそう告げていた。
治療をしてくれる時も、間に合わなかったら諦めると直接言われた。
その言葉には、過去に幾度もそうしてきた重みがあった。
きっと彼女は、色々な物を切り捨てて今の強さに至ったのだろう。
全てを救うアキラとは違う強さだが、不思議とホンシアの姿勢に彼の存在を感じていた。
それは、尊敬できる戦士の心構えだった。
たとえ俺が死んでも、ホンシアは涙を流さない。
それでもいい、ただ俺がそうしたかっただけだ。
ホンシアが望む“謝罪”を、命を懸けて勝ち取る。
たとえ無謀な行為だとしても、ここで退いたらアキラへ辿り着けないと思った。
体から溢れ出るオーラは、以前よりも輝きを増していた。
眩いばかりの黄金、それが流動的に全身を包む。
瞳には螺旋が渦巻き、視線は鋭さを増した。
「活命螺旋撃!」
全力の一撃。
新たに会得した必殺の技。
すこしでも掠れば、当たった場所の細胞が暴走し爆発する危険な技だ。
直撃すれば、どんな相手も絶命させられるほどの威力を持っている。
——右腕の肘から先が消えた。
テラを見ると、口が動いている。
おそらく喰われたのだろう。
こうなることは想定していたから、驚きはない。
躊躇なく、そのまま左手を振るった。
「ド低脳が!」
横から衝撃を受けて、体が数メートルほどズレる。
その瞬間、周囲一帯に固い物を砕くような破壊音が響き渡った。
付き飛ばされた元の場所を見ると、哲夜が盾を構えている。
だが、その盾は大きく抉られていた。
「固い……」
岩を砕くような、尋常ではない咀嚼音を出しながら、テラが呟く。
「馬鹿野郎!逃げろ!」
俺の意地に、哲夜を巻き込むつもりは無かった。
思わず焦りが生まれてしまう。
「ふん!相棒を見捨てるのは、オマエらの世界ではシャバいというのだろう?」
再び盾を作り出し、俺を守るように前へ立った。
「それ……おいしくない」
テラの呟きと共に、その場に衝撃が走る。
一瞬で哲夜が目の前から消えた。
喰われてしまったと思ったが、少し遅れて屋敷が爆発する。
どうやら哲夜は攻撃を喰らい、建物の方へ吹き飛ばされたようだ。
無事でいるかもわからないが、今はテラから視線を外せない。
肘の出血を気功で止めて、再び呼吸を練る。
一撃当てる——それだけに命を懸けていた。
「そこまでよ」
黒猫の声が響く。
「自分でタイマンって言ったんだから、助けが入った時点でアンタの負けだわ」
金色の瞳が冷たい光りを見せていた。
勝手な助太刀だったが、哲夜の命を懸けてくれた行為を言い訳にしたくなかった。
実際、庇って貰わなければ、俺はもうこの世にいない。
仕方なく、練った呼吸を大きく吐き出した。
それを見ていたテラが首を傾げる。
「終わり……?じゃあ……帰る」
その言葉と共に、黒猫の影がテラを包み、二人は一瞬で消えた。
残された俺は、屋敷へ飛んでいった哲夜を探そうと振り向く。
すると、血塗れになりながらも、彼女は屋敷の中からこちらに向かい這い出て来た。
「大丈夫か!?哲夜!」
急いで駆け寄ろうとしたが、足が上手く動かなかったせいで、前のめりに倒れ込んだ。
血を流し過ぎたのと、テラのプレッシャーを受け続けたせいで体が限界だった。
「ふ……ふん、この程度、すぐに治してみせるから……安心しろ」
擦れた声で、強がりを言う哲夜の声が聞きこえた。
早く治療をしようと、伏せた状態のまま片腕だけでそちらに向かい始めた。
だが、目の前に誰かが立ち塞がり、前へ進めなくなる。
顔を上げると、そこにはホンシアが立っていた。
氷のような冷たい視線で、光のない瞳のまま、俺を見下している。
「……どいてくれ、アイツを治したいんだ」
なぜ邪魔をするのかはわからないが、今はホンシアに構っている余裕なんてない。
哲夜が心配で仕方なかった。
「どういうつもりネ」
地を這うような低い声。
その音には、はっきりとした怒りがあった。
「いいからどけって!」
地面に手を突き、なんとか体を起こす。
貧血でチカチカする視界のまま、ホンシアをどかそうと手を伸ばした。
次の瞬間、食べた物と一緒に大量の血を吐く。
そのまま地面に倒れ込み、のたうち回った。
内臓が抉られるような衝撃。
おそらくホンシアに攻撃されて胃が破れたのだろう。
気を失いそうな激痛を、必死に治癒で押しとどめる。
「どういうつもりだと聞いてるネ!」
ホンシアは、地面に転がる俺の腹を踏み付けた。
「……ぐっ……なんのことだ……?」
早く哲夜のところに行かせてくれ。
「テラに向かっていったことヨ!」
踏まれた腹に圧力が掛かる。
そのせいで治療している胃が再び裂けて、血を吐いてしまう。
「哀れみでも掛けたつもりカ!」
容赦なく踏み付ける力に必死で耐えた。
「テラは我が倒すネ!アナタみたいに弱い人間が勝手に出てくるナ!」
腹が熱い。
ホンシアの出す熱が、アイロンを当てられたように俺の皮膚を焼いていた。
「爸爸に禁止されていなければ、我が直接戦っていたの二!なんで我より弱いアナタが戦ってるネ!」
彼女の瞳が悔しさで歪む。
「どういうつもりでテラの前に立った!我を憐れむなんて千年早いヨ!」
内臓の痛みと、皮膚が焼ける痛みで思考が霞む。
「なんとか言うネ!」
俺の行動が、彼女の逆鱗に触れたのだ。
アキラに次ぐほどの強さを持っているなら、きっと自分で戦いたかったに違いない。
むしろその力は、テラを倒すために鍛えたのだろう。
だけど、哀れみなんかで踏み出したわけじゃない。
「…………アキラ……なら……どうしたと思う?」
あの時、頭に浮かんだ。
「……自分の娘が馬鹿にされたら……こうしたんじゃないか?」
俺が目指す場所。
「たとえ、どんなに相手が強くても……たとえ、命と引き換えになったとしてもな……」
きっと、一歩前に出る。
「……ア、アナタと爸爸は……違うネ」
ホンシアが、足をどけて一歩下がった。
「違わねぇ……俺はアキラを目指してる」
片手を支えに再び立ち上がる。
「なら、強さなんて関係ねぇんだ……」
強い弱いで行動を変えない。
「アキラは……娘が理不尽な目に遭わされたら怒るだろう」
彼は人に優しいし、娘に甘い。
それを俺は見習いたいと思った。
「だから、代わりに俺が怒ったんだよ……」
相手が最恐だろうが関係ない。
「それに、俺はテラを倒せるくらい強くなると決めた」
今は弱いから挑まない——そんな気持ちでは一生勝てない。
マリアが教えてくれた。
アキラは何度もテラと戦い、命を懸けて強くなったと。
命は大事だ。
だからこそ懸ける。
俺が辿り着ける道は、そこにしかない。
「お前がテラと戦えないなら、俺が代わりに倒して見せる」
膝を着いて、片手でホンシアの肩に触れた。
「だから、任せてくれないか?」
彼女の肩は激しい熱を帯びていて、手のひらが焼ける音を立てた。
「そして今よりもっと強くなるために……付き合って欲しい」
真剣に彼女を見つめた。
必ず倒すと覚悟を込めて。
「テラを倒すなんて無理ヨ……」
細い瞳に涙が浮かんでいた。
「命は大事なんだろ?なら、弱い俺がまた捨てにいかないように、強いお前が助けてくれよ」
ぎこちない微笑みは、アキラみたいに優しくは見えないだろう。
だけど、心が折れてしまった彼女を、少しでも支えたくて必死に笑った。
大事な友達の、娘だから——。




