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賢治の扉は、神によって開かれる

 美藤賢治、五十六歳。

 国が運営する特殊能力研究所の元所長である。


 人の遺伝子研究の第一人者として、海外でもその道では有名な研究者だった。

 その知識を買われ、国が造った最先端の施設への所長という地位へ抜擢された。


 だが、彼の研究意欲は次第に暴走していった。

 人の進化という幻想に憑りつかれていたのだ。


 異能を持つ子供たちへ、日常的に行われた虐待紛いの実験。

 国会議員への脅迫による、研究資金の不正増額。

 職員に対するパワーハラスメント。


 研究所の事故により、それらが次々と暴かれ、最終的に投獄された。

 刑期を終えて、最近出所したばかりである。


 現住所は、埼玉県蕨市。

 市営アパートの一室で暮らしていた。


 

 1Kの狭いアパートの部屋は、山のような書類と蔵書で足の踏み場も無くなっていた。


 それらは賢治が人生全てを懸けて集めた、人の可能性を追うための資料だった。

 誰が尋ねてくる訳でもない、自分が場所を分かっていれば散らかっていようが関係なかった。


 パソコンに向かい、他の研究者が発表した学説を読みふける。


 マウスを動かす右手が、鈍く痛んだ。

 

 長く右手を使うと、必ず疼き出す。

 四年前、研究対象に折られた場所だ。

 

 そのたびにあの時の記憶が蘇る。


 ガリガリに痩せた少年の空虚な瞳。

 信じられないほどの怪力と、そこから生み出された人を超える破壊行為。


 あれこそ、自分の追い求めていた人間の可能性のひとつだった。


 あの力を研究したい。

 腕を折られ、地位を剥奪され、刑務所に入れられても、その熱は冷めるどころか増すばかりだった。


 だが、今はもうそれを叶えることは出来ない。

 少なくとも日本に自分の研究出来る場所は無くなっていた。


 出所後、遺伝子系の研究施設に打診を試みた。

 しかし、あれだけ面倒をみて導いてやった愚能な奴らは、美藤を煙たがるように門前払いした。


 誰のおかげで研究者として成長できたと思っているんだ。

 日本において、この分野を切り開いたのは、すべて自分だというのに。


 たかが一度有罪になった程度で、昔の恩を忘れおって。

 そんなんだから、日本の研究は海外に後れを取るんだ。


 国内が駄目なら海外に打診してみようとも思ったが、誰も紹介状を書いてはくれなかい。

 仕方なく、自分で直接連絡を取ってみたところで、児童虐待の汚点が響いて拒否されてしまった。

 

 自分の知名度の高さが仇になっていた。

 この狭い業界では、美藤賢治の名は広まり過ぎていたのだ。

 

「クソッ!」


 腕の痛みと、先の見えない現実に思わず机を叩いた。


 人を進化させるためには、多少の犠牲は付き物だろうが。

 愚能どもは、なぜそれがわからん。


 たかが百人で八十億が進めるのならば、その犠牲など微々たるものではないか。

 何より、自分は被検体へ最大限の待遇を与えていた。

 

 奴らが望むものは何でも用意させた。

 時には身銭を切ってでもだ。

 そのせいで、今は貯金も底をついている。


 どいつもこいつも、なぜ自分の偉大な研究の邪魔しかせんのだ。

 

 自分は、人生全てを捧げてきた。

 結婚もせず、子孫も残さず、私財は全て研究に注ぎ込んだ。


 それもこれも、全ては人を進めるためだ。

 幼い時に見た、あの光景を忘れられなかったから、今も——。



 トントン、と扉を叩く音が聞こえた。

 時計を見たら二十二時を過ぎている。


 アパートの住人が、先ほど机を叩いた音の苦情でも言いに来たのか。

 ボロアパートだから、些細な生活音ですら響いてしまう。


 クソ、なんでワシが染色体転座すら知らない愚能へ謝らねばならんのだ。

 あまりにも理不尽だろう。


 ワシの講義が一回いくら稼ぐのか知っているのか?

 愚能どもの一年分の給料だぞ。


 それをたかだか音を出したくらいで苦情を言ってくるなど、脳の神経に異常でも起こしているとしか思えない。

 文句を言ってきたら、逆に怒鳴りつけてやろう。


 そう思い、玄関へ向かった。


 

「誰だ!」


 この辺りは外国人が多い。

 現にこのアパートの住人の半分が中国人だった。

 奴らはこちらが言い返すと、倍以上の剣幕で怒鳴り散らす。

 もしそうなら、扉は開けずに無視しようと思った。


 だが、返ってきたのは妙に落ち着いた声だった。

 

「夜分にすみません、美藤賢治さんですね。少し、お話があります」

 

 若い男の声だった、若すぎると言ってもいい。

 

 そのことが、逆に警戒心を刺激した。

 クソガキの悪戯かと思ったからだ。

 

「あなたがなさっていた、研究の件に興味のある者です」

 

 研究という一言で、美藤の心臓が跳ねた。

 まさかこの国で、いまだに自分の成果へ興味を持つ者がいるというのか。

 

「……どこの研究機関の人間だ?」


 だが、もしかしたら週刊誌などの下らない記者連中かも知れない。

 出所してから何度かそんな輩に付きまとわれた。

 

「開けていただければ、すぐにわかりますよ」

 

 挑発でも脅しでもない。

 ただ、確信に満ちた声音。


 警戒は緩めなかったが、好奇心と研究への未練が無視を許さなかった。

 美藤は舌打ちしながら、ドアチェーンをしたまま扉を開ける。


 そこに立っていたのは白髪交じりの黒髪を持つ、整った顔立ちの少年だった。

 年齢は十五、十六といったところか。

 

 だが、その瞳は年齢に似つかわしくない深さを湛えていた。

 

「初めまして、美藤賢治さん。僕は一条アキラと申します」

 

 少年は微笑みを浮かべた。

 それを見た瞬間、美藤の背筋に冷たいものが走る。

 

 理由はわからない。

 だが、研究者として数々の異能を持つ被検体を見てきた経験が、彼を異常だと伝えていた。

 

「あなたの研究に、僕はとても興味があります」

「そして、あなたが追い求めた人の進化について、話したいことも」

 

 そう告げた瞳が、闇の中で静かに光る。

 

「もしよければ、僕と一緒に()()をやりませんか?」

 

 美藤の喉が、乾いた音を立てた。


 この少年を迎い入れたら、これからの人生全てが変わる——そんな予感があった。

 それが良い方向か、悪い方向かがわからない。


 だが、すでに今の自分は底にいる。

 これ以上悪いことは起こりようもなかった。

 

 だから、扉を閉じてチェーンを外してしまった。


 再び開けた扉が、過去から今、そして未来へと繋がるものだとも知らずに——。

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