様を付けなきゃ死ぬらしい
アキラの目の前には、テーブルを挟んで、スーツ姿の男性が座っていた。
後ろに流されたグレーの髪や、口元に生やされた髭は、手入れが行き届いている。
刻まれたシワのある固い表情は、単なる年齢の証に留まらず、数多の試練を乗り越えた誇りと苦悩の軌跡を物語っていた。
彼の名前は一条マコト、アキラの父親だった。
一条家の当主として、その礎を築き上げた先代たちの意志と血脈の重みを背負い、その道を未来へと繋ぐための存在として生きてきた男。
その姿には、落ち着いた厳粛さが漂う。
見る者を自然と威圧する刃のような眼光を前に、アキラは微笑みを浮かべていた。
「この金を買い取って貰いたいのです」
テーブルの上には鞄に詰められた金のインゴット10本。
印字こそないが、その輝きは本物であろうと思わせた。
昨日、沙耶から私に連絡が入り、『アキラに至急会ってほしい』という言付けを受けた。
現実的に考えるとスケジュール的には無理があった。
それでも、いくつかの予定をキャンセルしてまでやってきたのは、“至急”の意味を確認し、今後を考える必要があったからだ。
別荘に着くと、リビングで出迎えたのは、アキラと沙耶の他に見知らぬメイドと目を隠した少女、それに黒猫だった。
聞くべきことは色々あったが、席に着くなりアキラは鞄を開け、このふざけた光景を見せてきたのだ。
「……どこで、手に入れたものだ?」
自然と眉間に皺が寄る。
「もともと持っていたんですよ」
アキラは私の表情を気にもせずに、笑みを浮かべたまま答えた。
「……説明しろ」
「話すと長くなるので、簡単に言うと昔に作ったのがいっぱいありまして」
息子の戯言に思わず表情が怒りを表わす。
こちらを見守っていた沙耶が、身を固くするのが見えた。
私の顔を見たアキラは、困ったように髪を掻き上げていた。
そして真剣な眼差しで、ゆっくりと口を開く。
「お父様、僕の中には百万年生きた男の記憶があるのです」
あまりに突拍子も無い話だった。
「その記憶の中で、僕は錬成術という技術を開発し、金を自由に作り出せるようになったんです」
——やはり息子は壊れたままか。
先日会った時のアキラの様子は、私にとって期待を抱かせるものだった。
それだけに、その落差はあまりに大きかった。
アキラは、そんな私の様子を気にもせず、楽しげに言葉を続けていた。
「それで、調子に乗って山ほど作ってしまい、持て余してるんですよね、こんなふうに——」
アキラは、テーブルにある鞄の影に手を入れると、そこから何気なくインゴットを取り出した。
その光景に、私は我が目を疑った。
しかし、見間違いようもないほどに、次々とインゴットを影から取り出して、テーブルに置いていく。
言葉を無くしていると、黒猫がテーブルに飛び乗り恨めしそうに呟いた。
「これのせいで、賢者の石を一個失ったのよねぇ」
「それな」
息子が猫と話をしている——その事実に、自分の頭が狂気に侵されたのではないかと思った。
助けを求めるように周りを見渡すと、沙耶と目が合う。
沙耶は、私の感情へ理解を示すように軽く頷いた。
その反応を見て、これが現実であることを認識し、振り絞るように問いかけた。
「……おい……その猫はなんだ……?」
「ああ、コイツはニクス、僕の恩人です……いや、恩猫か?」
アキラがくだらないことを思案してると、黒猫が私に視線を向け話しかける。
「初めまして人間、私はニクス、テラ様の従者よ」
悪い夢を見ているようだった。
だが、この家の家主に対して一応の礼儀を見せる黒猫の言葉は、確かに耳に届いていた。
猫へ話しかける事に戸惑いを見せながらも、動揺を抑え気になった事を聞く。
「……テラとは?」
「様を付けないと殺すわよ、人間……」
その瞬間、テーブルの上にいた黒猫が爆発的に膨らみ、目の前に巨大な黒豹が現れる。
その金色の瞳は縦に割れ、殺気を含ませながら鋭く光っていた。
耳を寝かせ、牙を剝き、喉からは風を切るような音が漏れ続ける。
口を開けると、人の頭などひと噛みで潰せそうなほどに、巨大な牙が並んでいた。
私は、この異様な状況と殺気に当てられ、身動ぎひとつ出来ずに固まった。
額から汗が流れ、喉が鳴る。
死を身近に感じながらも恐怖に負け、何も行動できない自身の弱さを自覚していた。
黒豹に食べられかけている私の姿を見て、沙耶が小さな悲鳴を漏らす。
そんな緊迫した空気の中、くぐもった声でアキラが不満を上げる。
「おい、潰れてんだけど……」
アキラのいた場所を見ると、ソファーと黒豹に挟まれて、息子の姿が見えなくなっていた。
突然膨れ上がったせいで、黒豹の下半身に埋まって身動き取れなくなっているようだ。
「……あら、失礼」
そう言うと、黒豹は瞬時に黒猫へと戻り、アキラが埋まっていた場所の乱れた股の毛を、舐めて繕う。
殺気から解放された私は、張り詰めた空気がようやく解かれたことに大きく息を吐く。
そして姿勢を正し、黒猫へ非礼を詫びた。
「……失礼な物言いをして申し訳ない、あらためてテラ様とは、どんな御方でしょうか?」
「良い心がけね、あちらにおわすのが、テラ様よ」
毛づくろいの体勢のまま、顔を向ける黒猫。
私が視線を向けると、そこにはアキラと同じ赤い目隠しを巻いた、青い髪の少女がいた。
これだけの騒ぎの中、少女は私がここに来た時と全く変わらない様子だった。
床に寝そべり、目隠しで見えないはずのテレビを観続けている。
少女の周りには、山のようにお菓子が積み上げられており、それらを絶え間なく口に運ぶ。
「彼女が……テラ様?」
「そうよ」
毛づくろいを終えた黒猫は、自慢げに鼻を鳴らす。
アキラは、顔に付いたニクスの毛を払いながら説明を始めた。
「お父様、見ての通りアイツは無限に食べ物を消費するので、早急に食費が必要なんです」
確かに少女は、体のどこに入っているのかわからないほど食べ続けている。
テラの横にいる見知らぬメイドがお菓子の包装を開けると、吸い込まれるようにそれが口へと消えていくのだ。
その異様な姿を見て、私はこれ以上何かを追及するのを諦めた。
この短時間で起きた様々な常識外の出来事に、心が疲れ切ってしまったのだ。
「……わかった、そのインゴットを全て現金化しておこう」
「ありがとうございます」
「……他に望みはあるか?」
「実は、ぼくは諸事情により普通の生活を送りたいのです」
「……普通だと?」
思えば、以前会った時もそのようなことを言っていた。
「はい、人の多い都会で、年齢に合った学校へ通う事が出来ればと思っています」
「……手配しよう」
「助かります、あと一条に迷惑を掛けるつもりは無いので、立場的には今のままで結構です」
父が決めた廃嫡に近い立場でいい。
そう言い切るアキラに、眉が寄る。
「……それで本当にいいのか?」
「むしろ普通に生きるには、一条の立場は邪魔になりそうですし」
現状、アキラのことが何もわからず、目的も読めない以上、今はその方がいいだろうとは思った。
だが、ひとつだけ確かめなければいけないことがあった。
「……そうか、わかった……しかし、最後に聞きたい」
「なんでしょう?」
「……オマエは……アキラなのだな?」
その問いには、様々な意味を込めたつもりだった。
それだけは確かめなくてはならない。
父としての懇願にも似た視線がそこには宿っていた。
「ええ、間違いなく、僕はアキラです」
その微笑みは、揺るぎなかった。
父親を思いやるような、優しく迷いのない声。
なにより、その深く澄んだ瞳は、嘘の存在を欠片も許していなかった。
その言葉を聞いて、私は息子を信じる事にした。
「……それならば、ひとつ、こちらにもやって欲しい事がある」
私の視線は、きっと息子のものに比べれば随分と弱々しく映っているだろう。
だが、アキラはその瞳を正面から受け止めてくれた。
「僕に出来る事であれば」
息子の誠意に答えるように、息を整え口を開く。
そして、低く、後悔の滲むような声で告げた。
「……遙に……お前の母親に会ってやってくれ——」
吐き出された父の言葉は、まるで懺悔のように響いていた——。




