女神がいれば大丈夫
北条敏秀の言葉を聞き、文翔の喉が自然と鳴った。
彼の遺伝子を勝手に使い、自分を産んだ。
そのあまりにも身勝手な行動は、自分の知る母のものとは到底思えなかった。
——いや、思いたくなかった。
だが、続けられた敏秀の話が、否応も無く文翔を追い詰めていく。
「私は、あの研究所の立ち上げに携わっていた」
「当時、私と妻は不妊治療を行っており、国の遺伝子研究機関として最高峰の施設の設立を知り、それに出資した」
足元が揺れていた。
「その結果、子宝に恵まれたのだが、私の精子は、そのままあの場所に保存されていた」
指先の痺れを感じる。
「彼女はそれを無断で使い、子供を作ったのだ」
息が浅くなって、空気が上手く入ってこない。
「私がそれを知ったのは、君が生まれる直前だった」
「父親が彼女の私物を漁り、私の名前が書かれた遺伝子情報のレポートを見つけたらしい」
今すぐ自分の頭を叩きたい。
だが、痺れて腕が上がらない。
「そのことが無ければ、誰にも言うつもりは無かったらしい」
「結局、私からという形で父親にまとまった金を渡して、勘当を条件に事を収めたと言っていた」
「そして、もし父が私の前に現れるようなことがあれば、真実を書いた直筆の手紙を渡してくれと預かった」
お願いだ。
彼の魂よ——揺れてくれ。
嘘を吐いていると示してくれ。
「彼女は、昔から父親に暴力やネグレクトを受けて育ったせいで、男性に拒否感が強かったようだ」
「だが、自分の異能は亡くなった大切な母から受け継いだもので、どうしてもそれを継ぐ子供は欲しかったのだと」
「それで、研究所に保管してあった、一番優秀な遺伝子を使って体外受精を行い、君を身籠った」
「その遺伝子というのが私のものだった」
私が、どんなに願っても、敏秀の魂は嘘を吐いている事を示さなかった。
「そして、生まれた子供には父の名を明かさないし、二度と迷惑を掛けないようにすると誓った」
「だから、どうか産むことを許して欲しいと、身重の体で土下座されたよ」
「結局、私は彼女を許さざるを得なかった、すでに臨月を迎えていたからね」
「つまり、私の遺伝子が君にあることは間違い無いのだが、息子という気持ちは持っていない」
今まで積み上げてきたものが、根本から全て間違っていた時、人はどうすればいい。
「な……なら……なぜあの時……真実を教えてくれなかった」
張り付いた喉で無理やり声を出したせいで、言葉が上手く出なかった。
「ああ、初めて会った時か……確かに名前と顔で気付いたよ」
「でも、君に真実を告げて、自暴自棄になられるのを考慮したんだ」
「君はまだ子供だったからね」
確かに、あの時点でこの事実を知ってしまったら、心を壊していたに違いない。
彼は、私を気遣ってくれていたのだ。
「だけど、美籐所長に強請られてしまった」
「遺伝子検査で親子判定をして、結果を晒すぞと」
「結局、私は金を出す羽目になった、それが政治家として命取りになるだろうことはわかっていたのに」
その原因を作ったのは、自分の一言。
「私はね、妻を誰よりも愛しているのだよ」
「親や子供よりもね」
その言葉に魂は揺れない。
「だから、妻を不安にさせたくなかった」
「隠し子がいたなんて事実は伝えたくなかったんだ」
その身に覚えのない裏切りは、母の罪。
「そして、それ以上に政治家として日本のトップに立ちたかった」
「人生全てを懸けて、その野望を叶えるために生きてきた」
「手が届くところにあった夢を、壊されたくなかったんだ」
それを壊したのは私たち母子。
「まあ、私の覚悟が足りなかったのだろうな」
「あの時、君の母親を訴えていれば、こんな結果にはならなかっただろうから」
犯した罪の重さが計り知れない。
「だから、すまないが協力は出来ないよ」
確かに母が言っていたように、彼は立派な人だった。
そういえば、母は決して自分に似てや、自分のようにとは言ったことが無かった。
きっと、己が罪人だと自覚していたのだろう。
「幸い、君のお母さんは、私に人工授精の書類を渡してくれていた」
「君の祖父に見せる予定だった、自分勝手に遺伝子を使ってしまい申し訳ないという直筆の手紙とともにね」
「妻はそれを見て、私に非は無いと判断してくれたので、今も家族で暮らせているよ」
敏秀は自嘲気味に笑った。
その姿を見た瞬間、私の膝が崩れた。
「本当に……申し訳ございませんでした!」
「美籐所長に入れ知恵したのは私です!」
「ずっと……貴方を憎んで生きてきました!」
「母と私の罪は……いかなる罰でも受ける所存です!」
床に額を打ちつけて、ひたすらに謝った。
母の罪を、己の罪を、頭に刻みつけるように何度も何度も。
「……やめなさい!」
敏秀が私の肩を掴み、強く引き止めた。
「謝罪が欲しいわけではない、なによりそんな事をして何になる」
「君は、私のようにこの国のトップを目指すのだろう?」
「ならば見せてくれ、私の遺伝子の優秀さを」
目の前の魂は揺れていた。
きっと、本当は許すことが出来ないのだろう。
それでも口にした言葉は、私を気遣うものだった。
この人は、本当に立派な人だ。
そんな人物を、身勝手な思い込みで貶めた。
「……私には……もうその資格が……ありません」
涙とともに漏れたのは、総理を目指す意思を捨てる言葉。
初めは復讐心。
次は母との絆を求めて。
それらの原動力が失われた今、それを目指す理由が無くなっていた。
なにより、彼に消せない汚点を作ってしまった自分が、そんな場所を目指していいはずがない。
もはや、生きる意味すら無くなっていた。
存在そのものが罪のように思えてしまった。
「いや、むしろ総理に成るべきでしょう」
聞こえて来たのはアキラの声だった。
「……何を……言っているのだ?」
視線をそちらに向けると、彼は笑みを湛えたままだった。
「総理になり、研究所の有用性を証明して、その上で北条さんの無罪を国民に訴えれば良いでしょう」
「証拠はあるのですから、その立場さえあれば簡単です」
まるで問題など存在しないと言わんばかりに、アキラは髪を掻き上げた。
「隠し子のことは確かにそうだ……だが、あの研究所は確かに虐待まがいの事を行っていた」
それに手を貸したとみられ、この人は失脚したのだ。
「でも、子供たちは助かっていたのですよね?」
「僕の友達も、彼女たちも、口を揃えてあの場所があったから救われたと言ってました」
「異能を持つ子供は大抵社会に弾かれてしまう、その受け皿はある方がいいですよ」
それは事実だった。
私にとっても居心地のいい場所で、おそらく母にとってもそうだったはずだ。
「それは……確かにそうだが……」
だが、子供に過酷な実験や検査を強制するなんて、社会が許さない。
「僕は、人の進化を促したいのです、近い内にそのための施設も作ろうと思ってます」
アキラは瞳を輝かせて、夢を語るように告げる。
「なので、総理になってそれを手伝って下さい」
望まれたのは、新たな契約。
「まずは先輩が総理になって、あの研究所が有用だと証明する最大の成功例になりましょう」
「そんな素晴らしい研究所を支援していたことは間違いじゃなかったと、北条さんも再評価されますよ」
「そうなれば、もう一度同じような施設を作っても問題になりません」
「なにより、僕がつくる施設の所長は、優しくて子供のことを第一に考えてくれる、世界一素晴らしい人に任せる予定です」
「その人がいる限り、新しい施設は子供たちにとって、救いの楽園となるでしょう」
そのための土台を作れと、彼は言っていた。
「きっと立派な総理に成れますよ、だって、親子だけあって魂の色がそっくりですから」
告げられた言葉の意味、それはアキラも魂が視えているということを指し示していた——。




