馬鹿が出来ることはひとつだけ
アマテラスの笑顔。
その輝きによって、スサノオは自らの過去を、そして弱さを浮き彫りにされてしまう。
そこにあった人生は、後悔に塗り潰されたものだった。
あの時、父によって庇われた俺は、これ以上足手まといにならないように必死で逃げた。
身体を、氷の刃で削られていく父親を見捨てて。
だが、テラに負わされた傷により、途中で海に落ち、そのまま流されてしまった。
しばらく漂流し、岸に打ち上げられ、なんとか生きながらえた。
普通の体ならば確実に死んでいただろう。
一年ほど経ち、傷が癒えてようやく戻ってみれば、父と兄は自分のせいで死んでいて、姉は洞窟に篭ったままだった。
素性を隠し聞き出した話は、自分の愚かな行為の結末。
姉へ謝るために、重い足取りで洞窟に様子を見に行った。
だが、光もほとんど差さない暗い場所で、ずっと震え続けている姉に、一体どんな顔をして会えば良いのかわからなかった。
結局、会う勇気も出せず、その場を逃げ出すように後にした。
せめてテラを倒して、それを謝罪とし姉へ報告しようと思った。
くだらない功名心で全てを無くした馬鹿な俺には、それくらいしか思いつかなかった。
そして必死に策を講じ、恐怖を押し殺してテラを討った。
これでなんとか姉に顔向けが出来ると思い、どんな罵倒でも受ける覚悟で洞窟に向かう。
だが、そこで目にしたのは——崖から身を投げる姉。
そして次の瞬間に、頭から砕け散る姿だった。
俺は、慟哭しながら散らばった亡骸を搔き集めた。
すると、砕けた体が修復を始めだした。
姉はこんな姿になっても死ねない事を知った。
おそらくこの先も、ずっと死ねずに苦しみ続けるのだ。
あの暗い洞窟の中で。
俺は再び逃げ出していた。
その永劫ともいえる姉の地獄を生み出したのは、自分の愚かさ。
父が死んだのも、兄が死んだのも、全部、この馬鹿のせいだった。
その罪の重さに耐え切れなかった。
だから父の真似をしたのだ——贖罪のために。
死んでしまった父が言っていた、人を増やし広めるという使命。
それを代わりに成すための国を造った。
自らを神と称し、己が化け物を倒した噂を流し、力と名声で強引に人をまとめた。
ただひたすら、罪を償うための行為だった。
時折、姉の洞窟を覗きに行くが、そこにはいつも何ひとつ変わらない姉がいた。
地面に横たわり、息すらまともにしていない骸のような姿。
それを見る度に、自分が犯した罪の重さに心が潰された。
しばらくして、父が復活し会いにきても、気持ちは晴れなかった。
兄は蘇らないし、姉は引き篭もったままだったからだ。
父が責めてくれない事が辛かった。
お前のせいだ、責任を取れとでも言ってくれれば、国を差し出して何処かへ消えようと思っていた。
だが、父は笑顔を浮かべながら、心から俺を褒めた。
馬鹿な自分がいなければ、起きなかった悲劇だというのに。
その顔を見るのが辛くて、国から出て行けと言った。
そして、もっと酷い悪態もついた。
お願いだから叱ってくれ、罰してくれと心から望んでいた。
なんなら処刑でもしてくれれば、気も楽になっただろう。
しかし、それすらも叶わず、俺の言葉をそのまま受け入れ、父は国を出て行った。
それによって罪を償う機会を失った。
きっと姉のもとに行ってくれたのだろう。
父は我が子に甘いから、あんな状態の姉を放っておくことはないと思った。
父が傍にいれば、姉の心も癒やされるかもしれない。
そこに希望を抱いていた。
俺は何も考えず、全てを部下に任せ、国を広げていった。
それは父の使命そのもののはずだった。
きっと、馬鹿だからそれに縋っていたんだと思う。
父が告げた、この地にいずれ起こるであろうテラの復活。
それに備え、極限まで体を鍛え続けた。
またテラを倒せば、しばらくの間は父の役目が無くなる。
そうなれば、自分の寿命が尽きるまでは、父と姉がこのままずっと一緒にいられるはずだ。
もはやそれだけが、姉へ償う方法だった。
父といれば、姉もきっと昔の姿に戻ってくれる。
あの、誰もが太陽と称えた光り輝く笑顔に。
自分がその光に照らされる資格はない。
それでも良かった——それが、良かった。
だが、その思惑は大きく外れた。
父は姉のもとに行っていなかった。
国の近くに住み、テラへ備えていたらしい。
つまり、あれからも姉はずっとひとりで洞窟にいたこととなる。
そして父から、俺ではテラに勝てないと告げられた。
死をも厭わぬほど鍛え抜いたはずだ。
刺し違えて倒す覚悟があった。
事実、あの時の八岐大蛇なら、急所さえ突ければ勝てる見込みがあったのだ。
奴の骨で作った剣なら、それも可能だと思っていた。
だが、今から現れるテラの強さには届かないだろうと言われてしまった。
信じたくなかった。
それが事実なら、本当に何ひとつ罪を償うことが出来なくなる。
そして、それは現実となり、馬鹿の断罪はテラの手によって行われてしまう。
あまりにも圧倒的な差。
虫を潰すに等しい行為。
それは魂に刻みつけられるほどの恐怖。
結局、俺は姉に償うことが出来なかった。
さらに、自分の過信により、こんどは子孫と国民を危険に晒してしまった。
父の言葉により半数は逃がしていたが、残りはきっと蹂躙されてしまうだろう。
馬鹿は、痛みを受けても成長しないことを知った。
——責任を取らなければならない。
俺は、魂のままこの世を彷徨い、我が血を受け継ぐ子孫へと憑りついた。
なんとしても、彼らを生き残らせるために。
兄と姉の、血を絶やさぬために。
そして願わくば、俺の子孫が姉を救ってくれる未来が訪れるのを期待して。
だが、きっとそれすらも間違いだったのだろう。
俺はどこまでいっても、馬鹿なのだから——。
許しを口にして、アマテラスが見せた笑顔。
俺がこの世で一番好きだったもの。
救いの光。
それでも俺は自分の馬鹿さが許せない。
たとえ、姉が許してくれようとも、兄は戻ってこない。
「……駄目だ……俺は救われては駄目なんだ……」
後悔こそが我が人生だった。
「姉君が許してしまったら……ツクヨミが……兄君が可哀想ではないか!」
もう二度と会えない、あの優しかった兄の分まで責めてくれ。
「なら、直接本人に謝り、許しを乞いなさい」
ヒルコが、アマテラスの握る常闇の太刀へ手を添える。
すると、黒い刀身が月の光のような柔らかい輝きを纏いだした。
スサノオの魂がいる、刀の中に広がっていた空間へ、男が一人現れる。
「……久しぶりだな、スサノオ」
刀身から上げられた声は、スサノオとは違うもの。
「もしかして……ツッ君?」
その声を聞き、アマテラスが弟のあだ名を呼ぶ。
「はい、姉君もご無沙汰しております」
その柔らかい声は、自分をツクヨミだと告げた。
「……な、なんで、兄君が……」
目の前に現れた兄へ、スサノオが言葉を詰まらせながら、目を見開く。
「我は先の大戦で、父君によって助けられたのだ」
それは歴史の裏側で行われていた争い。
妖怪大戦争と呼ばれた、人類滅亡の危機。
最凶ヒルコ率いる魑魅魍魎、それに対する最強アル率いる人類、そして最恐テラという三つ巴の戦い。
その人類史上最悪の出来事は、最終戦争を思わせるほどの規模で行われた。
そして、実際に大陸がひとつ滅びる結果となった。
争いの中で、スサノオは憑依した子孫と共にヒルコと戦い、絶望的な恐怖に触れた上で、消滅させられかけた。
だが、アルの子供ということで見逃して貰っていたのだ。
ツクヨミもまた、深い悔恨と強い魂によって現世で彷徨い続けていたところ、ヒルコに吸収され、後にアルの手により救われていた。
そして、傷んだ魂を治療するために、この特殊な刀へ宿らせて貰い、今の今まで眠りに着いていた。
「……本当に……兄君なのか……?」
刀からスサノオの呟きが響く。
奇跡としか思えない再会に、その声は震えていた。
「ああ、お前の記憶は観させてもらった」
刀の中で、兄弟が向かい合う。
その、果てしなく広い空間には、二人しか存在していない。
「……この馬鹿愚弟が!力を過信し!皆に迷惑を掛けて!取り返しの付かない愚を犯したな!」
怒りを、叫びと共に弟へ向け突き付ける。
そこには、あの優しかった兄とは思えないほどの迫力があった。
——だがそれは、スサノオが本当に聞きたかった言葉。
「昔から馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、死んだ後すら馬鹿は治らぬな!」
それを言って欲しかった人物から、直接告げられた。
「命があったのなら姉君に会えばよかったろうに!この弱虫が!」
唇が震える。
「自惚れが治らぬ馬鹿だから、テラに負けて、国を亡ぼす羽目になる!」
目の前が霞む。
「しかもなんだ神って?子孫にまで迷惑を掛けて!力が強いだけなのに偉ぶるな!」
涙の落ちる音が続いた。
「お前の取り柄なんて、ひとつしかないのだ!力などに頼らずそれを果たせ!」
力以外に自分には取り柄などない。
兄は何を言っているのだろうか。
「それすら忘れたか!馬鹿愚弟!」
わからない、俺には何もない。
あるのはただ後悔だけだ。
「姉君を、アマテ姉を……笑わせることだろうが!」
告げられたのは、古い想い出。
まだ家族が幸せに暮らしていた頃の、光り輝く姉の笑顔。
——そうだった。
「それだけは、村の誰よりも……父君よりも上手かっただろう?」
大好きな姉の笑顔が見たくて、いつもふざけて笑わせていた。
「それしか出来ないのだから、やってみせろ!」
あの、太陽のような笑顔が見たくて。
「これから先ずっと、あの輝く笑顔を曇らせぬように」
兄は贖罪の道を指し示してくれた。
「……あと……ごめんな……お前を、止めてあげられなくて」
そして、姉と同じ謝罪を口にした。
その瞳に映っていたのは深い後悔の色。
——兄も自分を責めていた。
我が姉弟は、揃って後悔に埋もれていたのだ。
「……ごめん……ごめんなさい兄君……ごめんなさい姉君!本当に……馬鹿でごめん……」
永い間、言えなかった言葉を口にした。
兄へ、姉へ、三千年分の想いを込めて。
「まったく……本当に馬鹿な弟だよ……お前は……」
兄が流した涙は、許しと共に、後悔も洗い流しているように見えた。
きっと、この時をずっと待っていてくれたのだろう。
二人に許されて、俺はただ声を上げ泣き続けるしかなかった。
ずっと抱えていた後悔という名の重りを、少しずつ軽くしていくように。
それを聞き届けるアマテラスの顔は、慈しむような微笑みを浮かべていた——。




