おむすびの味はシャケorタラコ?
アキラが、回復の為にソーマの湯へと向かった後、沙耶はリビングでじっと待っていた。
案内された客室にいても、何か落ち着かなかったからだ。
しかし、リビングにいたところで、気が休まるわけでもない。
富士山に向かう途中、コンビニで買った食料にも手を付けず、テーブルに置いたままだった。
アキラが沙耶を残し、屋敷の奥へ向かった後、彼女の頭の中では知り得た情報が次々と巡っていた。
先ほど、本人がいくつかの説明をしてくれた。
曰く、自分はアキラであって、アキラではない。
百万年もの間、転生を繰り返した人間であると。
その長い人生を、人類を導く神のような存在として過ごしてきたというのだ。
だが、過去に大規模な事故により魂が傷つき、記憶が戻るたびにその痛みまで蘇る。
それを癒す秘薬がこの屋敷にあり、彼はそれを求めてここへ来たのだという。
そして、『テラ』という名の少女を、ここに連れてくるということも伝えてくれた。
その少女も、アキラと同じように転生を繰り返しているらしい。
それは、あまりにも非現実的な話だった。
しかし、この屋敷の異様さ、そして言葉を話す猫を目にした後では信じるしかなかった。
なにより、その話を語るアキラの姿は、決して嘘や冗談を言っているようには見えなかったからだ。
治療には時間がかかるので、先に帰っていてくれていいと言われた。
だが、アキラを残して帰る気にはならず、ここで待たせて欲しいと願い出たのだ。
何時間もこの屋敷で過ごして、この一見なんの変哲もない洋風の一軒家が、かなり異質なことに気付く。
まず窓が無い。
それは、この屋敷が造られている場所を考えれば当然とも言えるが、窓のない家というのは息苦しさを感じるという事を知った。
次に、この屋敷は洞窟の中だというのに、電気水道ガスが問題なく稼働している。
その仕組みが、沙耶にはまったく想像つかない。
そして、数十年ぶりにここへ来たと言っていたアキラ。
それなのに、この室内は驚くほど綺麗すぎる。
まるで、毎日誰かが欠かさず手入れをしていたかのように。
この屋敷には、わからない事が多すぎる。
そもそも、この二年間、自分が仕えて看病してきた人間は誰なのか?
沙耶は、その問いに揺らいでいた。
信じていたものが、少しずつ崩れていく感覚。
この屋敷の異様さ。
アキラの語った転生の話。
そして、アキラかどうかも定かではない、神を名乗った彼のこと。
数々の疑問が渦巻く中、答えの出ない思考は、ただ空回りし続ける。
すると、その沈黙を破るように、廊下から足音が聞こえた。
誰かが近づいてくる。
沙耶が反射的に顔を上げると、扉がゆっくり開く。
そこに立っていたのはアキラだった。
無事に戻ってきた事に安心する沙耶だが、見送った時には無かったはずのものが、彼の顔を覆っていた。
右目隠すように、赤い布が巻かれている。
そして、それはただの布ではない、一目で古い物だとわかるほど毛羽立ち、どこか異質な気配を帯びていた。
「おかえりなさ——」
沙耶が言葉をかけようとして固まる。
その理由は、アキラの後ろに付いてきた少女。
アキラとさほど変わらない背格好の彼女を見て、言葉が出なくなったのだ。
それはまるで、神話に出てくる女神を思わせるほどの美しさだった。
その金色の瞳と視線が交わされた瞬間——沙耶の呼吸が止まった。
それは、人間の本能に刻み込まれた純粋な恐怖。
理屈ではない、考える間もなく脳が死を悟る感覚。
高層ビルの屋上から、突き落とされた瞬間の浮遊感。
刃物が心臓へと突き刺さる衝撃。
そんな、逃れようのない絶対的な死の予兆を、沙耶は感じてしまった。
足がガクガクと震え、立つこともままならず、血の気のない顔でへたり込む沙耶。
「……おもらし」
床に広がってゆくシミを指差し、呟くテラ。
アキラは慌てて沙耶に駆け寄り、その身体を支える。
既に気を失いかけている沙耶の額に、アキラが手を置くと、その手が淡く光る。
「何やってんだよオマエ!」
激昂するアキラに、テラは少し膨れた様に言う。
「……なんにもしてない」
「何もしてないで人が倒れる訳ないだろ!」
テラは小さく首を傾げながら、ふと口を開く。
「……おいしいもの作る人は……おいしいのかな?って見ただけ……」
その言葉は、悪気の欠片すらなかった。
それは殺気ではない。
ただ、純粋な捕食者の視線。
そして沙耶は、その視線に当てられたのだ。
「危害加えるなって言っただろうが!」
「……見ただけだもん」
声を荒げるアキラに、テラは心外そうに告げる。
その横で『テラ様は悪くありません!』などと黒猫が騒ぎ立てていた。
「もういい……とりあえず僕は沙耶さん治すから、オマエは精霊を使って床と沙耶さんの服を綺麗にしてくれ」
言ってもしょうがないと、諦め混じりに指示を出す。
これだから、沙耶をここに連れてくるのは心配だったのだ。
「……わかった……みんなお願い」
テラは屋敷内に漂う精霊たちへ、頭の中で綺麗にして欲しいとイメージを伝える。
次の瞬間、微細な光の粒が空間に静かに揺らめき、汚れた場所へ集まっていく。
すると瞬く間に、床のシミは消え去り、沙耶の服も元の状態に戻る。
乾いた布地には、不快な匂いは一切残っていなかった。
「沙耶さん、大丈夫?」
額に手を当てたままアキラが尋ねる。
「……ええ……ええ、大丈夫ですアキラ様」
ハッキリと意識を取り戻した沙耶は、真っ青だった顔に血の気が戻り、体に力が戻るのを感じた。
支えてくれるアキラの手を借りて、ゆっくりと立ち上がる。
「……今のは一体?」
沙耶のその質問にはいくつもの意味があった。
あの少女の視線。
アキラの光る手。
そして、自分の粗相が跡形もなく消え去ったという異常事態。
頭が回るようになっても、状況にはまるで追いつけない。
「ごめんね、それを全部話すと色々長くなるんだ」
説明を取り置きしたアキラは、テラの方へ向き直り、影の中へと手を差し入れる。
そして、赤い布を掴み取ると、軽く放るようにテラへと投げ渡した。
「とりあえず、これで目を隠しとけ」
テラは布を眺めながら、小さく呟く。
「……これ……もともと……わたしの……」
釈然としないながらも、しぶしぶ両目を覆い、布を後ろで結ぶ。
「……できた……サヤ……おいしいごはん……つくって」
急に話しかけられた事で、先ほどの恐怖がよみがえり固まる沙耶。
「ここじゃ無理だ、とりあえずあるもの食ってろ」
アキラはそう言い、テーブルの上に置かれていたコンビニのオニギリを渡す。
「おおー!おむすび!」
テンション高く、包装ビニールが付いたままのそれを一口で頬張るテラ。
「……おいしいとこと……おいしくないとこある……」
アキラは溜息をつき、呆れながら言う。
「その袋、取ってから食べるんだよ……」
包装を剥がし次のオニギリを渡すと、テラはそれをまじまじと眺めたあと、また一口で頬張る。
「おいしいとこしかない!」
そして、テラは今日初めての笑顔を見せた——。
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