終わりの始まり
紫星を巡る一連の騒動はひとまず幕を閉じた。
しかし、なぜ一条アキラという不思議な少年は、それほどまでに自分の子供を欲しがるのか?
それは彼が、自分の為に人類の魂をより強くするという目的を持っているからだった。
では、なんで人類の魂を強くしたいのか?
それを知るためには、彼が生まれた十六年前まで遡らなければならない。
一条アキラは、神童だった。
彼は、日本有数の財閥『一条家』の長男として、全ての者から祝福される立場で生まれた。
幼少の頃から類稀なる才能を示し、稀代の天才として、各方面でその名を馳せる。
七歳で大学に飛び級入学を果たし、博士論文を提出して論文博士の学位を得る。
さらにその在学中にMBA(経営学修士)も取得し、十歳の頃には、一条の企業で経営や戦略に携わっていた。
その上、持って生まれた美しく愛らしい外見と、誰に対しても誠実で優しく謙虚な性格は、アキラに関わる周囲の人間全てを虜にした。
人々は、誰もがアキラの輝かしい未来を疑わなかった。
——しかし、悲劇は突然訪れる。
十一歳のある日、何の前触れもなく、アキラは眠りについたまま目覚めなくなったのだ。
不安に駆られた家族により、急ぎ病院へと運び込まれた。
だが、詳しく検査を受け、国内での最上級の医療を施されても一向に目覚める気配はなかった。
家族は悲嘆に暮れた。
唯一の希望は、アキラの容態の変化がまったく変わらなかったことだ。
覚醒はしないが身体的には健康そのもので、脳波の異常も無く、体重の増減すらほとんど起きなかった。
そして、点滴のみの栄養摂取にも関わらず、体は成長し続けていたのだ。
変化が起きたのは、アキラが眠り続けてから、三年が過ぎた頃だった。
突如、病室に絶叫が響き渡る。
駆けつけた看護師が目にしたものは、凄惨な光景だった。
三年ぶりに目を覚ましたアキラは、自分の右目に右の親指を突き入れ、空洞となった眼窩を掻きむしっていた。
その胸元には、血に塗れた眼球が転がっている。
看護師がその異様な光景に凍りつき立ち竦んでいると、アキラは再びベッドに倒れ込み、意識を失った。
そしてまた数時間置きに覚醒して、狂っているかのように親指を眼窩に入れて、叫びながら同じ動作を繰り返す。
それを一日中続けた結果、本人の保護のために両手を拘束せざるを得ない状態となった。
この様子を見たアキラの父、一条家当主『一条マコト』は、アキラが廃人となった事実を隠した。
療養を名目に、身内に戒厳令を敷き、人里離れた山奥の別荘へと移送する。
付き添うのは、ただ一人の使用人のみ。
父は、その使用人以外の者を一切近寄らせず、外部との接触を完全に遮断させた。
そして、アキラを再起不能と判断し、長期の療養を理由に嫡子としての継承権剝奪を通達した。
息子を溺愛していた、アキラの母『一条 遙』は、息子が廃嫡同然の身分になったという報告を聞いた瞬間、卒倒した。
遙は、ただでさえ長い間昏睡状態にある息子を思い、心身が衰弱していた。
移送前に、愛する息子の惨状を目の当たりにした時には、すでに心の均衡を失うほどの姿を見せた。
その上、息子を見限るかのような決定が、自分の夫から下される。
そのあまりにも非情な現実に、遙の心は耐えられなかったのだ。
この日を境に、彼女の精神は深い闇へと沈んでいった。
その後、アキラは別荘にて壮絶な生活を送る。
眠り、起き、叫び、空洞の眼窩を血が滲むほど掻きむしる日々。
体を無理に拘束すると、より酷く泣き叫ぶために、アキラを案じた使用人はそれを行わなかった。
食事もまともに摂ることもできず、健康だった体は痩せ細り、骨と皮ばかりの姿となっていた。
心身の摩耗からか髪は白髪交じりとなり、片目を無くし極度に痩せたその姿は、まるで幽鬼のように変わり果てた。
そして、二年の月日が流れたある日のこと。
アキラは変化の兆しをみせた。
使用人が、夜の点滴交換を終えて部屋から出ると、アキラはいつもと違い静かに覚醒した。
そして、上半身を起こし両手を胸の前で広げ、何かを途切れることなく呟き続ける。
その言葉は意味を持っているようだったが、まるでどこの国の言葉とも言えない響きを持っていた。
それは何かの詩のようであった。
しばらくそれを呟き続けたアキラは、おもむろに自分の影へそっと手を置き目を閉じる。
そして、最後に祈るような声で深く呟いた。
「ニクス……来てくれ……」
すると音もなく、アキラのそばに一匹の黒猫が現れる。
その金色の瞳は、すべてを見透かすように冷たく光り、静かに、しかし確かな“声”で言った。
「おかえりなさい、宇宙まで行っても結局ダメだったのね、アル」
「ああ……また転生しちゃったよ」
始まりは遠い昔、そして、ここから終わる物語——。