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正直者は馬鹿を見たり夢叶ったり

 雪乃は家に戻り、すぐさま風呂へ直行した。

 少しでも頭を冷やす為だった。


 母の、あの時の恥じらう顔を思い出すだけでも、血が逆流しそうだったからだ。

 昨晩から、着替えもせず、風呂にも入っていなかったという理由もあった。


 部屋に戻り、少しだけ落ち着いた頭で考え始める。


 アキラと母が()()()()()


 そんな考えうる最悪な出来事についてだ。


 今のところは、一方の言い分しか聞いていない。

 それだけで、判断して良いものでもないはずだ。


 きっとアキラは、否定してくれるに違いない。

 なぜなら、彼は私を愛してくれているからだ。


 母から零れたらしい“何か”のことは、ひとまず頭の中から追い払った。


 とても学校に行ける気分ではなく、昼まで部屋で休んでいると、屋敷の中が騒がしい事に気付く。

 何事かと女中に聞くと、何やら母が屋敷の全員を大広間に集めて、話があるとの事だった。


 雪乃も(つど)うように言われた。

 だが、今また母の顔を見たら、怒りが溢れて止まらなくなりそうだったので、そのまま部屋に籠った。


 

 大広間では、屋敷の人間だけでなく、会社の幹部も揃っていた。

 緊急の話があるという事で、関係者全員が集められたのだ。

 

 上座に一人座った着物姿の綾乃は、皆を見渡して告げる。


「こうして皆に集まってもらったのは他でもない、紫星を解体することにした」


 ざわめきは起きなかった。

 紫星の者は、当主に絶対服従だからだ。


「それに伴って、ウチの関連企業は一条財閥へ譲渡する事となる」

「色々思う所はあるだろうが、あちらと話をして、悪いようにはしないので安心してくれ」

「そして、この屋敷も取り壊すことにした」

「急な話で申し訳ないが、その分、退職後の事はしっかりと保証する」


 皆が体を固くして聞いていた。

 

 『紫星の女帝』がその座を降り、紫星そのものを壊すと言うのだ。

 

 長い年月を重ねる安定した名家では、滅多に聞かない話だった。

 しかも、会社の経営は順調そのもので、当主も健在。

 その上、次期当主も期待が持てる優秀さであった。

 

 しかし、当主が直々に説明しているのだ。

 皆は、青天の霹靂といえるその話を、戸惑いと共に受け入れざるを得なかった。


「皆には今まで苦労を掛けたと思う、支えてくれて感謝する」


 そして、綾乃は畳に手を付き、深く頭を下げた。

 

「すまない」


 紫星の女が頭を下げる。

 そこには色々な想いが詰まっていた。

 

 それは前代未聞の出来事。


 それが自分達に向けられているという事実に、皆が呆気に取られていた。


 すると、一人の女中が立ち上がる。

 彼女は、使用人の中でも一番の古株であり、皆の取り纏め役を務めていた。


「何を……おっしゃっているのですか……屋敷を壊す?紫星を解体する?」

「……ふざけたことを、言わないで頂きたい!」

「私は、人生の全てを紫星に捧げてきたのですよ」

「貴女様も、先代も、先々代も、全て私がお支えしたのです!」


 女中は、頭を上げた綾乃に詰め寄る。


「紫星は特別なのです、唯一無二の絶対なる者なのですよ!」

「それを壊すなど、先代たちに何と言って詫びれば済むというのですか!」


 女中は止まらず言い続ける。


「見定めの儀式の為に、私が何度手を汚し、体を穢されてきたか知っておりますか?」

「どうやって、あのような男たちを集めて来たのか知らないでしょう!」

「全て!私が!自分を犠牲にして成り立たせていたのです!」

「何故だか、わかりますか?紫星が私の全てだったからです!」

 

 綾乃はそれを黙って聞いていた。

 思い返せば、確かに彼女が全てを取り仕切っていたように思う。

 公私共に、世話になっていた自覚もある。

 

 “見定め”も、雪乃には一切行わなかったので、その準備の事を知ることは無かった。

 きっと、自分には見えない場所で、彼女はその身を削っていたのだ。


「紫星の為に貴女の人生を壊してしまい、すまなかった」


 綾乃は真っ直ぐ彼女を見て、詫びる。


「そうではないのです!紫星の女は媚びず、詫びず、何者にも屈しない!」

「そうでなければならないのです!それこそが、私が憧れた、特別な力を持った貴女方(あなたがた)の生き様なのですから!」


 綾乃は、立ち上がると、彼女の両肩に手を置き告げる。


「その力は、もう無くなったのだ」


 それを聞いた彼女は、目を見開いて固まる。


「そんなわけ……そんな事は有り得ない……ならば私は、何のために全てを犠牲にし、この紫星に尽くしてきたのか……」


 目の焦点が合わず、ぶつぶつと呟く。


「そうだ、そんなわけは無いのです……それを今……証明してみせましょう……」


 次の瞬間、綾乃は腹部に熱を感じた。

 女中から視線を外し、下を見ると、そこには彼女の手に握られた“何か”が生えていた。


 遅れて来る痛みに、思わず(うめ)く。


「な、なんで……なんで弾かれない!砕けない!」

「こんなの……本当にあの力が無くなってしまったようではないですか!!」


 女中は取り乱し、綾乃の腹に刺さった物を引き抜いた。

 途端に、着物の白い帯が赤く染まり始める。

 

 悲鳴が起きた。


 皆が慌てふためき出す。

 悲鳴を上げ続ける者、固まったまま動けぬ者、震える手で電話をかけようとするもの。


 屋敷の騒動に気付き、雪乃は部屋から出た。

 何か、尋常じゃない事の起きた気配がする。


 急ぎ騒ぎの元へ駆けつけると、そこには腹から血を流し、膝を着く母がいた。


「母様!」


 母のもとに駆け寄り、その体を支える。


「どうしてこんなことに!誰か!救急車を!」


 そう言って周りを見渡すと、雪乃の視界に、血の付いた刃物を握る女中が目に入った。

 その手にあったのは、先ほど雪乃が持ち出した出刃包丁だった。


「なんで……ここに……」


 思い出そうとするが、自分がそれをどこに置いたのか記憶が無い。

 確か風呂場で服を脱いだ時に、無意識にそこに置いたような気がした。

 それを女中が片付けようと持っていたのだろう。

 

 ——自分のせいだ。

 

 急激に、体が冷えていくのを感じた。

 震える声で母に声を掛ける。


「母様!ごめんなさい!私があんなものを持ち出したせいで!!」

 

 先ほどまでの怒りなど消えてなくなる程、自分の愚かな行いの後悔を口にする。


「いいのだ……雪乃、私こそすまない……辛い思いをさせて……」


 綾乃は、青く染まった顔で、息を乱しながら詫びる。


「そんなことはもういいのです!……それより死なないで母様!」


 泣きながら必死に訴えた。


「きっと……人を呪い続けてきた揺り返しが来たのだ」


 そう言いながら、雪乃の頬を撫でる。


「最後に……雪乃に許して貰えて……良かった」


 そう言って、力なく笑う。


「母様!母様!!」


 慟哭(どうこく)を上げ、母に縋りつく雪乃。

 そして、綾乃は呟く。


「もう一度……アキラに……会いたかった」


 そう言って、ゆっくりと目を閉じる。


「——呼んだ?」


 その声を聞き、綾乃は閉じた瞳を全力で開いた。

 すると、目の前にはアキラが居た。


 あまりにも自然に現れた少年の存在とその声に、あれだけ騒がしかった広間の人間が、一斉に静まり返る。


「綾乃、また死にかけてるじゃないか。指輪がまだ馴染んでないんだな」


 そう言って、アキラは綾乃の刺された腹に手を当てる。


 すると、その手が淡く光り、見る間に出血が止まった。

 そして、顔の血色まで良くなっていく。


「僕の血を分けてあげたから、もう大丈夫だよ」


 その言葉通り、綾乃は普通に立ち上がった。

 そしてアキラに抱き着く。


「絶対来てくれると思ったぁ」


 その声は甘い。

 

「ごめんね、その指輪、着けたばかりだからまだ反応悪いみたい」


 綾乃を抱きしめ、すまなそうに微笑む。


「ちょっと痛かったけど、それより会えて嬉しい!」


 アキラの匂いを嗅ぐように、その首に顔を(うず)める。


「刺されちゃったの?綾乃を刺していいのは僕だけなのにね」


 人前で口にしてはいけないような冗談を、躊躇(ためら)いも無く言い笑う。


「もう、馬鹿……」


 恥ずかしがりながら、それでも嬉しそうに顔を赤くする綾乃。


 周囲の皆が唖然としている。

 そして、雪乃はそれ以上に驚愕し固まっていた。

 自分の愛すべき二人のその姿を見て、口が開いたままになっている。


「それで、なんで刺しちゃったの?」


 いまだ包丁を手に固まっていた女中へ、アキラが問う。

 

 彼女は、その少年の事をよく知っていた。

 昨日、綾乃に命じられ色々と調べたからだ。

 

 『一条アキラ』


 あの一条家の廃嫡された長男。


 だが、その人物がなぜここに、どうやって突然現れたのかはまるで検討がつかなかった。

 

 彼女は訳も分からぬまま、何も考えられず、聞かれたことを素直に答えた。

 

「鬼の力で……防げるかと思って、今までそうでしたし……あの力を見たくて、憧れていたので……」

「そうなんだ、あの鬼が欲しいの?」


 まるで、あのおもちゃが欲しいの?とでも聞くように問われ、老女中は混乱した。

 それは彼女にとって、自身を削り続けても憧れたモノ。


「え?ええ、欲しい……です」


 戸惑いながらも、ずっと秘めていた心からの願いを口にする。

 

「ならあげよっか、(ごう)の深さは足りてるし、紫星との馴染みも濃そうだし」


 軽い。


 その軽さのまま、アキラは空中をノックする。


 すると、小さな朱色の門が開き、中から片角の黒い小鬼がひょっこりと顔を出した。


 小鬼は、周囲を見渡すと、綾乃を見つけ手を振った。

 綾乃も、思わずそれに小さく手を振り返す。


 周囲の人間は、小鬼の出現を静かに見ていた。

 正確に言うと、静かに見ざるを得なかった。

 次々と起こる超常の現象に、頭が付いて来なかったからだ。

 

 小鬼は門から出てきて、アキラの前に立った。

 アキラはしゃがんで、小鬼と目線を合わせてから問う。


「この人が君と(ちぎ)りを結びたいんだって、どうかな?」


 小鬼が、女中をその黒い大きな瞳でじっくりと見る。

 彼女は、初めて自分の目で視る事の出来た鬼に、体を震わせ、涙を(あふ)れさせた。


 小鬼が腕で大きく丸を作る。


「いいってさ、良かったね。それじゃあ、あなたの名前を教えてくれるかな?」


 告げられた言葉は、彼女にとっての福音だった。

 信じられないといった表情で、涙を流したまま名を告げる。

 

葛城 志穂(かつらぎ しほ)と申します」


 アキラは頷くと、小鬼に告げる。

 

「葛城さんの、どこが欲しい?」


 すると、小鬼は自分の左指を一本だけ見せる。

 

「指が欲しいって、あげれば契約完了だけど、どうする?」


 それを受けて、志穂はその場へ座る。

 そして自分の小指を畳に着けて、迷いなく手に持っていた出刃包丁で切り落とした。

 

 勢いよく小指が飛ぶのを、アキラが瞬時にキャッチする。


「はい、これ」


 小鬼は嬉しそうにそれを受け取り、そのまま口に入れ呑み込んだ。

 そして、腰に差してあった、綾乃から返してもらった薄黄色の(かんざし)を志穂に渡す。

 志穂はそれを、小指から血が出たまま、両手で(うやうや)しく受け取った。

 

「これで、葛城さんと鬼の契約は成ったよ。末永く仲良くね」


 志穂は、そう告げたアキラに向かい、座ったまま深く頭を下げた。


 その一部始終を見届けていた綾乃。

 複雑な心境ではあったが、今後の事を考えればこれで良かったのかもしれないと納得した。

 

「これからは、お前が私の代わりに皆を守れ」


 そして、志穂に自分の後釜を任せる事を告げた。

 

「残り少ない寿命ではありますが、命を掛けて、務めさせて頂きます」

 

 志穂は、頭を下げたままそれを受け、決意を口にする。


 アキラが、平伏し続ける志穂の手に自分の手を重ね、柔らかな光を当てる。

 すると、志穂の小指から血が止まり傷も塞がった。


「骨を再生しちゃうと契約切れちゃうから、指はこのままだけどいいよね?」


 志穂は、自分の短くなった小指を見て、アキラの慈悲に一層の感謝を抱く。


「真にありがとうございます、この御恩は生涯を掛けてお返ししたいと思います」


 志穂の新たな神は決まった。

 後はただ奉仕するのみ。


 アキラはしっかりと頷くと、髪を掻き上げて告げる。

 

「じゃあ、僕のお願いを、ひとつ、聞いてくれるかな?」


 顔を上げた志穂の瞳は、覚悟を持って輝いていた。


「私に出来る事ならば、なんなりと(おっしゃ)ってくださいませ」


 例え、この命でも差し上げます。

 その瞳はそう言っていた。


「それじゃ、その話はまた今度ね。僕、お昼ご飯の途中だったからさ」


 そう言って、部屋を後にしようとする。


 それを見て固まり続けていた雪乃が、慌ててアキラの前に立ち塞がり、聞かねばならぬ事を問う。


「ア、アキラ……お前は私を……愛しているのだよな?」


 必死だった。


 先程の母とのやり取りを見て、自信が揺らいでいたのだ。

 

 この揺れを、お願いだから止めてくれ。

 祈るように聞く雪乃にアキラは微笑む。


「もちろん愛してるよ、雪乃は僕の子を産んで貰いたい人だからね」


 やはり杞憂だったのだ。


 母の前でも、ハッキリとそう言い切るアキラを見て、心からの安心を覚えた。


「では、母の事は別になんとも思ってないのだな?死にかけてたから助けただけなのだな?」

 

 確認の為、弾んだ心で口にする。


「綾乃の事も愛してるよ、僕の子供を産んで貰うし」


 綾乃が、嬉しそうに左手の指輪を撫でた。


 パァン——。


 雪乃の右手が振り抜かれたと共に、乾いた音が広間に響き渡る。

 そして、鬼の形相で叫んだ。


「この……痴れ者がぁ!!」


 

 こうして、雪乃は心に深い傷を負う。

 紫星の女を巡る物語は、やはり不幸な結末を迎えたのだった——。


挿絵(By みてみん)

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