雪乃の世界は、神によって開かれる
処女作となりますので、お見苦しい所もあると思いますが、よろしくお願いします。
紫星雪乃の世界は閉じていた。
「僕の子供を産んでくれないかな?」
その閉じた世界を開いてくれた最初の言葉。
それが彼女にとって、全ての始まりだった。
告白とも受け取れるその言葉を告げたのは、高校一年の七月という中途半端な時期に転校してきたクラスメイト。
少し背が低く、非常に整った顔立ちをしている少年だった。
髪に、シルバーのメッシュが無造作に入っているのが特徴的だ。
「初めまして、僕の名前は一条アキラ、よろしくね」
彼女の座っていた席に近寄り、その簡素な自己紹介をしたあと、唐突に言い放ったのだ。
昨日転校したばかりで、周りの生徒から『氷刃の乙女』と呼ばれている彼女のことを知らないのだろう。
だが、例え知っていたとしても、初対面の相手に告げて良い言葉ではない。
その無遠慮な言葉を受けて、彼女は切れ長の瞳を鋭く尖らせながら、突き刺すような視線を向けた。
「私に近寄るな」
冷たいガラスのように硬質で透明感のある声が、教室内に鋭く響いた。
その声を切っ掛けにざわめきが起こる。
授業以外では滅多に口を開かない雪乃が声を上げた。
周囲には、転校生がなにかを伝えて、彼女を怒らせたように見えたのだ。
「無理にとは言わないけど、考えておいて」
彼は、彼女の拒絶を歯牙にもかけず、微笑みを絶やさずにそう伝えて席に戻る。
クラスメイトたちが、声のトーンを落とし、それぞれヒソヒソと話し始める。
それは恐れを含んだものだった。
紫星雪乃には噂があった。
彼女に近づく男には必ず不幸が訪れるというものだ。
事実として、彼女を口説いた男子が立て続けに大きな怪我を負っている。
それゆえ、彼女はクラス内で孤立していた。
噂が本当ならば、この後何も知らない転校生のアキラの身に不幸が起きる。
皆はそれを危惧していたのだ。
放課後、いつものように早々と帰り支度を済ませた雪乃。
校門を出て少し歩いたところで、再び先ほどの転校生に声を掛けられた。
「紫星さん、さっきの話なんだけど考えてくれたかな?」
それに対して完全に無視を通し、歩き続ける雪乃。
「初めては怖いかもしれないけど、僕、慣れてるから安心してくれていいよ」
「君と僕の子供なら、きっとすごくいい子が生まれると思うんだ」
「結婚は出来ないけど、金銭的な援助は必ずするから、出来るだけ多く産んで欲しいな」
「可能なら十人以上欲しい、住むところやお手伝いさんはまかせて」
歩きながら、そんな彼から延々と繰り出されるふざけた言葉の羅列。
昨日、転校初日に彼の周りへ群がっていた女子が、雪乃の近くで彼の事を話していた。
一条アキラは、日本有数の財閥である一条家の長男で、その界隈では神童として有名だったらしい。
ただ、ここ数年は体調を崩して長い療養生活を送っていて、表舞台には出て来なかったのだと。
それゆえ一条家からは廃嫡の身分として扱われているという事だった。
雪乃にとって、それらの情報は興味の無い、どうでもいい事だった。
そして、いい加減その口を黙らせるために雪乃は立ち止まり彼を見据えた。
「貴様、死にたいのか?」
その瞳は、氷の如き冷たさを孕んでいた。
それは、怒りよりも拒絶を強く含んだものであった。
実はこのような事は、私立の女子中学校を卒業し今の高校へ入学した時から、幾度となく起こっていた。
その理由は、雪乃の外見が誰もが振り返るような美しさを持っていたからだ。
端正な鼻筋に、鋭く整った切れ長の瞳。
髪は腰の辺りまで真っ直ぐに流れ、前髪も眉の位置で揃えられている。
しっとりと紫がかったその色彩は、陽の光の中で冷ややかな艶を放っていた。
モデルのようなその背筋の伸びた姿勢は、意思の強さと肉体の均衡の良さを表わしてる。
肌は、日差しを拒んでいるかのように白く、儚さすら感じさせた。
その美しさのせいで、入学してから男子生徒に付きまとわれる事が多々あったのだ。
しかし、雪乃の強い拒絶と、立て続けに起こった事故による悪い噂のおかげで、最近は皆無となっていた。
きっと、この男子もその類だろう。
先ほどの一言で、いつものように切って捨てたつもりだった。
しかし、彼は雪乃の言葉を受け、微笑みを絶やさずに答える。
「死にたくないよ、僕は死ぬことだけは全力で回避しようと思ってるんだ」
普通の男子なら、即座に撤退するであろうその視線と言葉。
だが、彼は微塵も恐れず、正面から答えたのだ。
雪乃の眉間に皺が寄る。
彼を、完全に撥ねつけなければならない輩と認識した。
「ならば、私には近づくな」
噛みつきそうなほどに歯を剥き睨む。
それは警告だった。
触れてはならないものが、確かにそこにあると伝えていた。
「大丈夫だよ」
だが、その意味をすでに理解してるかのように、彼は優しく返す。
そして、自然な流れの様に雪乃の手を握る。
意表を突かれ、反応が遅れた。
それに気付いた雪乃が、慌てて手を振りほどいたその瞬間——彼の頭部に何かが勢いよく衝突した。
それはコブシ大の石だった。
彼の頭に当たったそれは、鈍い音を立てて地面に転がる。
目の前で起こった惨劇に、雪乃は目を見開き口元を抑えた。
こうなることはわかっていたのに、また被害者を出してしまった。
「大丈夫か!」
何故、手など握らせる隙を作った——。
もっと強く拒絶していれば——。
もっと冷たく完璧に突き放していれば——。
押し寄せる強い後悔とともに、その場に立ち尽くす彼の容態を気にする。
地面に落ちている石の大きさを考えれば、良くて骨折、最悪の場合は即死もありえた。
「——平気だよ」
だが、雪乃の心配をよそに、彼はまるで何事も無かったように無事を告げる。
確かに石は当たったはずなのに、血を流すどころか傷ひとつ無い姿で立っていた。
「だから言ったでしょ?大丈夫だって」
そういって笑う彼の顔を、雪乃は驚愕の表情で見つめていた——。