ヤーコフって誰だったんだろう?
小学生の記憶と言ったら、仲が良かった友達のことが真っ先に思い浮かぶ。 ……逆に、ヤーコフとの思い出しかないのかも知れない。
だから私は、今日、あの町を訪ねることにした。
* * * * *
駅前のカフェ。 ガラス越しに、制服姿の誰かが座っているのが見えた。 ――いや、そんなはずはない。
「……ヤーコフ?」
その名前を口にした瞬間、彼女が顔を上げた。 そして、あたりまえのように笑った。
「こんにちは、内藤。最近よくここで会うね」
「……え?」
「ほら、昨日もここで会ったじゃん。ココア飲んでたでしょ?」
――記憶にない。 でも、その笑顔が自然すぎて、私がおかしいのかと思ってしまう。
「……ヤーコフも変わったね。なんだか、ちゃんと会話してくれるじゃん」
「え、前からしてたよ?」
「いや前はもうちょっと、ズレててさ。突然『窓になりたい』とか言ってたじゃん」
「ああ……そうだっけ。懐かしいね」
「なんか、『普通の人』みたいになっちゃったね」
「そうかな。私はずっと変わってないつもりだけど」
――ほんとに? 私は、そう思わない。
お会計を済ませて、カフェを出る。 やけにスムーズに話ができたことが、逆に引っかかっていた。
帰ろうとして駅前を歩いていると、角のコンビニの前に、誰かが立っていた。
――制服姿の、ヤーコフだった。
「……あれ?」
声をかけると、そのヤーコフがふり返った。
「あっ、内藤。こんにちは。今日はいい天気だね」
……え? 今、別の場所で話してたよね?
口を開きかけて、ふと視界の端に何かが映った。 駐輪場のほう。ポールの影。制服の人影。
――また、ヤーコフがいた。
「…………ねえ」
私はふるえる声で、目の前の“ヤーコフ”に尋ねた。
「……あなた、誰なの?」
彼女はにこりと笑った。
「その質問は、今ので三億八千万回目よ」
ああ、ああそうか。ヤーコフはどこにでもいたんだ。
私の友達はヤーコフで、私の記憶はヤーコフで、今朝の天気もヤーコフで、ヤーコフから太陽は登って、
ヤーコフ式にあたヤーコフを見渡せヤーコフ、ヤーコフ、ヤーコフ、ヤーコフ……
……
「んなわけねえだろ!?」
私は、誰もいない住宅街で一人、大声を出していた。
子供連れの親子が気まずそうに、私を通り過ぎていく。
* * * * *
内藤が神経症の一種、CJDという病気を発症していることがわかったのは、
その直後のことだった。
内藤が電信柱と取っ組み合いの喧嘩をしていたところを、誰かが通報したのだ。
……内藤が電信柱に向けて言い放った暴言と妄言の断片から、医師は不思議と、彼女の病名がわかったのだとういう、不思議な話がある。
* * * * *
略称:CJD
内容は、プリオン病の一種で、神経変性疾患。進行が非常に早く、致死性が高い。
脳がスポンジ状に壊れていく、進行の早い致死性の神経変性疾患。症状がアルツハイマー症候群と類似。
症状は、めまい、視覚障害(ぼやけ、二重に見える)性格や行動の変化、物忘れなどの記憶障害。
病院では、夜な夜な……
「ヤーコフ、1億円もらえるけど、死ぬまでカップラーメンしか食べられない体になったらどうする?」
「1億円のカップラーメンを食べてから死ぬわ」
などという、内藤の独り言が聞こえたという。
どうして内藤が、『それ』のことを友人だと思ったのかはわからないし、その記憶も現実のものかわからない。
……その病気は、ヤコブ病と呼ばれる。
ナイナイとヤーコフ 了