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第七話 変わる潮流

 ファルスアレン王国の誕生は、大きな波紋を呼び起こした。

 国土面積は取るに足りない小国だが、戦略的な意味はきわめて大きい。

 そしてそのことを理解していたものはごく一部である。

 中央大陸五カ国が緊張を高めるなか、間隙を突いて狡猾なフェルミアース・ミルヴィアネスが独立を宣言しただけ、それが一般的な解釈だった。


「西からの攻撃は不可能になりましたか」


 戦略地図を見つめながらタティアナ・カイトスが呟く。

 鬼姫の異称を奉られる戦略家には、事態の本質がはっきりと見えていた。


「さすがですね花木蘭。

 それとも、あの少女のアイデアでしょうか」


 やや苦みを帯びた賞賛が口元を彩る。

 ドイル王国は侵攻路を塞がれた。

 彼の国がルアフィル・デ・アイリン王国に侵攻するためには必ずファルスアレンの領域を通らなくてはならないからだ。

 大同盟に参加したファルスアレン国内を同盟軍が通るのになにが問題があるのか、という認識は、この際は愚者の知恵である。

 ファルスアレンの同盟参加など擬態に過ぎない。

 それを証拠に、アイリンはファルスアレンに攻撃を仕掛けていないではないか。

 バール帝国が積雪のために動けない今こそが最大の好機であるのに。

 もしドイル王国軍がファルスアレン国内を通過しようとすれば、ミルヴィアネスは街道の不備などを理由に退けるだろう。

 また、ファルスアレン軍に出撃を求めれば、訓練不足や編成の不備などを口実として進軍を遅らせるだろう。

 巨石によって道を塞がれたような状態だ。

 ではいっそファルスアレンを討つか。


「どうやって?」


 自分の内心に反問するタティアナ。

 ドイルにはそれほどの戦力はない。

 一二万以上の兵力を抱えるファルスアレンを短期間のうちに占領するなど不可能だ。

 バールから援軍を送るにしてもルートがない。

 バールとファルスアレンやドイルは国境を接しておらず、敵対するルーン王国を通らざるを得ないのだ。

 魔導アーマー部隊が守備を固めるルーンを、である。

 となれば海路を用いてドイルに援兵を送る手しかないが、この時期の北海を航行するのは至難だ。

 無理をすれば自然条件は克服できるかもしれないが、アリーズ動乱で無傷だったルーン海軍が黙って通過させてくれるはずもない。

 そもそも、参加国を攻撃するなどという暴挙をおこなえば、大同盟そのものが崩壊してしまう。

 政戦両略いずれの方面からも、ファルスアレンは放置しておくしかないのである。

 まったく、一度も戦火を交えることなく西を封じてられてしまうとは。

 辛辣という表現を越えて、そら恐ろしいほどだ。


「常勝将軍とはよくいったものです」


 賞賛しつつ、だが、タティアナの表情からは余裕が消えてはいない。

 もともとドイルに多大な期待など寄せていないのだ。

 彼の国は補給庫。

 豊富な生産力と莫大な備蓄物資をもって同盟軍を支えてくれればそれで良い。

 戦いは、セムリナ公国軍とバール帝国軍で充分に勝算が立つ。

 この二カ国の戦力だけでアイリン軍の全軍を凌駕できる。

 しかもアイリンは北と南から挟撃されるのだ。

 さらに無敵を豪語するセムリナ艦隊が王都アイリーンを突けば、アイリンは二正面作戦どころか同時に三カ所で戦わなくてはならなくなる。


「まだ、わたくしの有利は動きませんよ。

 花木蘭」


 不敵な視線を窓の外に投げる鬼姫。

 積もった雪を溶かすように、雨が降り続いていた。




「まだ、わたしたちの不利は覆らぬ」


 不機嫌そうな顔で、不機嫌そうな声を、木蘭が発した。

 アイリン王国大本営。

 王国軍のすべてを統括する心臓部である。


「南風の向きがどう変わるか、ですね」


 神妙に頷くフィランダー・フォン・グリューン准将。

 もしここで、と、彼は思う。

 この王国軍最高司令官室でいま、たった一発の魔導爆弾が炸裂したらアイリン軍は烏合の衆と化す。

 べつに全員が死なずとも、自分の目の前にいる美しい上司が倒れるだけで、歴史が変わる。

 想像は戦慄を孕むが、もちろん、そんなことは絶対にさせない。

 たとえ命に換えたとしても。


「‥‥というわけだが、どう思う?」

「は?」


 唐突に質問を投げかけられ、思わず青年騎士が間の抜けた返答をした。


「は?

 ではない。

 聞いていなかったのか?」

「‥‥申し訳ありません」

「いいけどな。

 ようするに、風を吹かせるために扇いでやる必要があるかどうか、という類のことを訊いたのだ。

 そなたはどう思う?」


 抽象的な言い方だが、むろんフィランダーには理解できる。


「やぶ蛇になったときが怖くありませんか?」

「それだ。

 わたしの考えのネックも、そこにある。

 火事を消すつもりで油をかけてしまっては元も子もないからな」

「はい‥‥」

「かといって黙ってみているだけというのも消極的すぎる」

「はい‥‥」


 曖昧な返事を繰り返すフィランダー。

 自分の意見らしいことは言わない。

 これは一種の思考実験であることを彼は知っているからだ。

 彼の美しい上司は、他人と話しながら思考をまとめるタイプである。


「決めた。

 探るだけは探ってみよう」

「では誰を送り込みますか?」


 木蘭が心を決した以上、フィランダーに留めるべき理由はない。

 それに、いずれにしても情報は質量ともに豊かな方が良い。


「そなたの弟」

「カールですか‥‥?」


 青年騎士が渋い顔をする。

 能力的に少し心許なくはないだろうか。


「この前の小競り合いに敗れて、頭から蒸気を噴き出していたからな。

 やる気だけは十分にあるだろう」

「やる気はあるかもしれませんが‥‥」

「心配か?」

「無能非才ですからね」


 身内を評する容赦がない。

 失敗すれば命の危険がある。

 それは事実だが、フィランダーが気にしているのはそんな次元のことではない。

 彼も、弟のカールレオンも騎士だ。

 ひとたび任務に就いた以上、自身の生命より人を全うすることが優先される。

 そんなことより問題は、カールレオンがまだ若く、実践経験が不足しているという点にある。

 万が一にも失敗して、セムリナとの関係を悪くしてしまったら。


「なに。

 これ以上悪くはならんよ」


 思案顔の副官に向かって木蘭が笑って見せた。

 すでに宣戦は布告されているのだ。

 それを撤回させて味方につけることができれば重畳だが、失敗したからといって状況が悪くなるわけではない。


「上手くいけば幸い、といったところですか。

 捨て駒ですね」

「身も蓋もないことを言うな。

 それに、意外とあのものは適任かもしれん」

「というと?」

「バカだからな」

「‥‥‥‥」


 表情の選択に困ったように、フィランダーが苦笑を浮かべた。

 面と向かって肉親を馬鹿にされ、怒ればいいのか、まさにその通りと頷けばいいのか。


「この際だ、同行者の人選もあの者にやらせろ」

「‥‥どうなっても知りませんよ?」

「自分の弟をもう少し信用してやったどうだ?」

「弟だから信じられないんです。

 私は止めましたからね?」


 念を押す青年騎士。

 こんな場合だが、不意に木蘭は可笑しみを感じ、同時に寂しさも覚えた。

 兄弟とはそんなものだろうか。

 彼女にはよくわからなかった。

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