第四話 魔導アーマー
ドイル王国のファイルート王は平民出身である。
これは周知の事実であるが、どうやって平民から国王にまでなったのか。
そのエピソードを知る世代は、少なくなった。
いまからおよそ七〇年前、ドイルにラルガという王がいた。
もともとの王族ではなく簒奪によって王となった男である。
世襲と簒奪のどちらが正しいか、という議論はおくとしても、ラルガは額縁付きの悪王だった。
しかも本人がそのことを誇り、自ら魔王と名乗っていたほどだ。
むろん彼は魔族でもなんでなくただの人間である。
善政を敷くつもりがないから、民を害するとことを厭わない。
後宮には国内各所から強引に集められた美女があふれ、ラルガが口を開くたびに重臣が処刑され家財を没収された。
悪政は二〇年近くに渡って続く。
それは、ある意味で公平な時代だった。
ラルガの毒牙は貴族も金持ちも貧乏人も平民も奴隷も区別しなかったからだ。
恐怖という名の暗黒のもとに、すべての国民が同列だったのだ。
平和や繁栄からはほど遠いが。
その絶望の中で立ち上がったのがファイルートである。
姉と妹を後宮の虜囚とされた彼は、巨大な公憤と私憤を抱え、五年に渡る闘争のすえにラルガを打倒する。
このあたりはドイル王国の年代記に詳しく記されている。
とにかくもラルガが殺された後、玉座は空になった。
そこに誰かが座らなくては国が成り立たなくなる。
当初、固辞していたファイルートだったが、衆望の一致するところ至尊の冠をいただくべき人物は一人しかいなかった。
二三歳の若き国王の誕生であった。
以来、彼の施政は五〇年を超え、ドイルの国力は安定を保っている。
侮られるほど弱くもなく、警戒されるほど強くもなく。
また、ファイルート王は子福者としても有名である。
彼は愛妾を抱えることがなかったが、正妻との間に七男四女をもうけた。
ちなみに七番目の息子はバール帝国の名家であるカイトス家に婿入りしている。
王太子の名はアラート。
ファイルートの長男であり、大陸暦二〇〇五年現在、ちょうど五〇歳である。
無法を許さない姿勢は父親譲りだが、性格の苛烈さは父王をはるかに凌ぐ。
ある村で泥棒が出て捕まらなかったとき、村全体の罪だとしてその村を焼き払ってしまったことがあった。
ある戦役の時には嵐の中を無理に行軍して過労で死んだ兵士まで出した。
たまりかねて抗議した幕僚は斬り捨てられた。
もちろんアラートは厳酷なだけの人物ではなく、どちらの事例にも十分な理由があったらしい。
それを証拠に彼は国民から畏怖されてはいたが憎まれてはいない。
苛烈な意志と、剛毅な行動。
猛虎郎君と呼ぶ人もいる。
そして、猛虎の牙がついにルアフィル・デ・アイリン王国に向けられる。
「アラート坊やがバールの思惑に乗るってのが、ちょっと信じられなかったんだけどね」
ローブをまとった若い男が呟く。
五〇歳の王太子に坊やという呼称は、やや違和感がある。
「‥‥あやつは、英雄になりたいのだ」
老人が苦しげに口を開いた。
「つまり父親を超えたいんだよね。
わからなくはないけどね」
「わしは、超えるほど大きな存在ではない‥‥」
「そう思ってるのは本人だけさ。
ファイルート」
「‥‥お前はあのときも、そうやってわしをけしかけたな」
「事実を言っただけだよ。
実際、君はラルガより公正で効率的で慈愛に満ちたまつりごとをしたしね」
「‥‥わしより才能のある者など、いくらでもいた‥‥」
「いまはアラート坊やもそのひとりかい?
君より才能ある」
「‥‥‥‥」
「前にも言ったけどね。
ファイルート。
国を治めるのに天才の鋭気なんか必要ないんだ。
凡人の誠実さの方がずっとずっと大事だよ」
「だが、あやつは止まるまい。
無理に止めようとすれば、わしを幽閉し譲位を迫るだろう」
老人の顔に苦渋が広がる。
青年が溜息をついた。
弱気を咎めているようでもあり、友人の老いを嘆いているようにもみえた。
「僕に何とかして欲しい、と、言うつもりかい?」
「‥‥‥‥」
「そりゃ僕だって何とかしてあげたいけどねぇ」
できることとできないことがある、と付け加える。
父が諫めて聞き入れないアラートを自分が説得できるとは思えなかった。
かといって、まさか暗殺するというわけにもいかない。
「‥‥もしも、四カ国連合がアイリンに勝利したら、中央大陸は滅茶苦茶になってしまう」
「ま、群雄割拠の到来だね」
「いや‥‥言葉を飾っても仕方ないな。
我が国がバールの食料庫にされるのが、わしには我慢ならんのだ」
バールが期待しているのは、残念ながらアラートの軍才ではない。
世界一を誇るドイルの農業生産力だ。
ファイルートが心配するのは当然だし、健全でもあった。
本来、王と自国のことを一番に考えなくてはならない。
大陸全土が云々というのは、その次にくることだ。
あるいは、アイリンのような国力があるからできることだともいえる。
「アイリンに勝ってはならぬ‥‥だが‥‥」
「大敗するのも困るんでしょ?
難しい注文だねぇ」
「‥‥‥‥」
「そんな顔しなさんなって。
断ったりはしないから」
「すまぬ‥‥」
「けど、あんまり期待しないでよ。
僕は軍略家じゃないんだから」
青年が苦笑を浮かべた。
老王の頭が自然とさがる。
五〇年以上前、ラルガとの決戦前夜に語り合った未来。
彼はそれを思い出していたのかもしれない。
冬の強風が枯れ草を吹き飛ばしてゆく。
草原。
どこまでも続く緑と茶の海。
かつてはイェールの帝都サマルカーンが存在した場所。
「やれやれ‥‥ちょっと偵察にきてみれば」
オリフィック・フウザーが肩をすくめた。
どことなく芝居がかった仕草だった。
「とんでもないモノと遭遇しちゃったねぇ」
手にしたハーフスタッフを構えなおす。
青い眸が、上空から一直線に飛来する物体を見つめていた。
「さーて。
どこのトンチキかな?
空までも戦場にしようってバカは」
瞬間、ふわりと宙に浮くフウザーの身体。
みるみる間に、相対距離が縮まってゆく。
そして閃光を放ったのは、双方同時だった。
「くっ!?
速いっ!?」
すんでのところで回避したフウザーが感嘆のうめきを発する。
彼を知るものであれば、この不遜な魔法使いでも冷や汗を流すことがあるのか、と驚くだろう。
「ホーミングレーザーっ!」
不安定な姿勢のまま放たれた光が不規則な軌道を描きながら人型の物体へと迫った。
だが、
「鏡面装甲かっ!?」
ことごとく弾かれる。
「なるほどね‥‥噂の魔導アーマーってやつか」
青年の視線が険しくなる。
相対する白銀の甲冑。
全長は三メートル半ほどだろうか。
むろんそんな大きさの人間がいるわけがない。
「どの程度の魔法でダメージいくか試してみたいところだけど、あんまり時間がないからね。
一気に決めさせてもらうよ」
不敵に笑ったフウザー。
唇が呪文を紡ぐ。
来たれ来たれ
光の眷属
我は統べる者なり
刻の狭間より
星辰の彼方より来たれ
「シャインドラゴンっ!!」
空間が櫨割れ、双頭をもつ巨大なドラゴンが現れる。
純白の体躯。
赤く光る四つの目。
無音の咆吼を放ちながら、魔導アーマーへと突進する。
異形の怪物を迎え撃つ異形の兵。
左腕に光が収束してゆく。
そして‥‥。
爆光。
轟音。
濛々と視界を埋め尽くす黒煙。
「なんてこったい‥‥」
フウザーの頬を汗が伝わり、落ちた。
えぐれた地面の中央にそそり立つ白銀の甲冑。
傷ひとつ負うことなく。