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第二話 揺れるルーン

 ルーン王国の王都ルーンシティには、ルアフィル・デ・アイリンのアイリーンほどのにぎわいはない。

 国力が違うといってしまえばそれまでだが、もともと喧噪や雑多な雰囲気が似合う国柄ではないのだ。

 イェール帝国の残臣たちによって建てられた国。

 文化と学術の香りこそが、この街にはよく似合う。

 ただし、それが同時に他国人からは、学識ぶった鼻持ちならない国民性として映ることも珍しくない。

 実際、イェールの正統を継ぐ、と称して建国されたのだから。

 現在でも識字率は世界最高であるし、アイリンやバールがただの成り上がり者にみえるのかもしれない。

 それが、ルーンシティの欠点ともいえぬ欠点だ、と、イブレット・シャーロンは思っていた。

 だが、


「だいぶ変わったわね」


 金色の髪を掻き上げながら溜息をつく。

 彼女が恋人のアロス・ティ・フォルフィードを伴って帰国したのは一月の下旬。

 ほぼ三ヶ月ぶりの帰国である。

 わずかな期間で、ルーンシティの雰囲気はがらりと変わっていた。

 通りには活気があふれ、市場からは値引きを叫ぶ声が聞こえ、オープンテラスから陽気な歌が流れている。


「アイリーンをそのまま小さくしたような‥‥そんな感じです」


 微笑を浮かべる同行者。


「そうね」


 イブレットもまた、感慨深げに頷いた。

 かつてこの街にたゆたっていた格式と威厳という弊風はすっかり吹き払われ、リベラルな空気に取って代わられている。

 裏道もきちんと清掃され、行き交う子供たちの表情にも暗さがない。

 まつりごとが正しく行われている証拠である。


「エカチェリーナ様は良い政治を敷いておられるようだ」

「そうですね‥‥」


 顔を輝かせる恋人に対し、やや横を向くアロス。

 イブレットが主君として若き女王を敬愛しているのは理解できる。

 一度だけしか会ったことはないが、忠誠を尽くすに足る人物だった。

 この人の為なら死ねる、と、無条件で思わせるような。

 それはわかっている。

 わかっていても、嫉妬の小さな針がアロスの心を刺すのだ。


「どうかした?」

「‥‥なんでもないです‥‥」


 まったく説得力のないことを言う。


「そう?」


 説得されたようには見えなかったが、イブレットはそれ以上追求しようとはしなかった。

 大度なのか鈍なのか、それとも他のことに気を取られているのか、アロスにはわからない。

 そのわからなさが不安を掻きたてる。


「なんでもないんです‥‥」


 恋人の腕に、みずからのそれを絡める。

 そうしないと、置き去りにされるような気がして。


「行こう。

 ゆっくりと観光している時間はない」


 屹然と前方、王城を見据えるイブレット。

 会わねばならない。

 会って、その意のあるところを確かめなくてはならない。

 もしあの方が目先の利益に惑わされ間違った道を歩もうとしているなら、そのときは‥‥。

 険しさを増した恋人の横顔。


「はい‥‥」


 小さく、アロスが頷いた。




「よくきてくれました」


 エカチェリーナの声は柔らかく、温かく、心地がよい。


「は‥‥」


 深々と頭を垂れるイブレット。


「と、言いたいところですが、わたくしの代理が簡単に任地を離れるようでは困りますね」

「‥‥申し訳ありません」

「食費がなくなってしまって帰ってきたのですか?

 ちゃんと仕送りをしてあげてますのに」

「陛下‥‥」

「冗談です」


 くすくすと女王が笑う。

 絶対、誰かの悪影響を受けているに違いない。

 殺意に近いものを込めた眼光で、イブレットは赤い絨毯の敷かれた床を睨みつけていた。

 謁見の間である。

 王城を訪ねたイブレットは、他の来客を差し置いて謁見の間に通された。

 それだけで事態の深刻さがわかろうというものだが、そこはそれ、イブレットも若い女性である。

 敬愛する主君に大食いだと思われるのは、少し恥ずかしい。


「件の大同盟の件ですね?」

「は‥‥」

「まずは、あなたの存念を訊きましょうか」

「臣は、同盟への参加には反対です」


 バール、セムリナ、ドイル、シャロウの大同盟。

 それは壮大な戦術であり、アイリンには打つ手がないようにも思える。

 しかし、


「それでもアイリンに味方せよ、と、言うのですね?」

「御意。

 理由は四つございます」


 アイリンと大同盟では後者が圧倒的に強く、いまさらルーン一国が味方に付いたとしても軽く扱われるということ。

 ルーンとアイリンは三〇〇年を超える盟友であり、これを簡単に捨てるようでは、今後だれもルーンの友となってくれる者がいなくなるということ。

 大同盟はたしかに一〇〇万以上の兵力を誇っているが、それはあくまで全体を合すればの話であって、単独の兵力はアイリン軍に遠く及ばないこと。

 そしてなにより、アイリンには傑出した戦略家や戦術家がそろっており、一時的な不利などはねのけてしまうだろうということ。

 ルーンは勝者に、すなわちアイリンにつくべきだ。

 それがイブレットの見解だった。


「しかし、バールにはタティアナ・カイトスがおりますよ」

「陛下。

 臣は木蘭・カイトスの両将をこの目で見て参りました。

 あのふたりに勝る将帥は、おそらく大陸全土を掘り返して探しても見つかりますまい」


 タティアナという人物は、たしかに比類ない戦略家なのかもしれない。

 世代が違うこともあってイブレットはその人物像をよく知らない。

 だが、知っていることもある。

 戦略を立てるだけでは勝てないのだ。

 タティアナは、木蘭ほど兵士の絶対的な信頼を得ているだろうか。

 一〇年以上も現場を離れていた者に、いまさら誰が付いてゆくだろうか。


「なるほど。

 あなたの見解はよくわかりました」


 軽く片手を挙げて、エカチェリーナはイブレットの熱弁を制した。

 主君の苦笑に、若き女騎士の頬が染まる。


「失礼いたしました」

「ちょっと妬けてしまいますね。

 わたくしのイブレットを木蘭さまに取られてしまったようで」

「おたわむれを‥‥」

「でも、嬉しくも思います。

 わたくしが選択を誤るかと思って、わざわざ出向いてくれたのでしょう?」

「僭越の極みながら」

「安心なさいな。

 イブ」


 愛称を呼び、朗らかに女王が笑う。

 あの笑顔。

 かつて幾夜も理想を語り明かした、あの笑顔。

 変わっていない。

 この方は真っ直ぐに、正道を歩まれる。

 確信めいた予感。

 無言のまま、頭を垂れるイブレットだった。




「さあ、行こう」


 王城を出たイブレットが、待っていたアロスの肩を叩いた。


「もう良いんですか‥‥?」

「ゆっくりしていきたいけど、時間がない」


 居場所もないし、と、心の中で付け加える。


「では‥‥帰りましょうか」


 言って、杖を抱え直すアロス。

 はっとしたように、イブレットが恋人の顔を見た。

 そして、


「‥‥そうだね。

 帰ろう」


 言葉。

 その前に挿入されたごく短い沈黙の意味は、彼女以外、知る由もないことだった。

 北国の冷たい風が、金と白の髪を揺らしていた。

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