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序 北地、春おそし

 この中央大陸で最高の用兵巧者いくさじょうずは誰か。

 ルアフィル・デ・アイリン王国の常勝将軍、花木蘭。

 同国の名将、洗練された剛勇とも呼ばれるガドミール・カイトス。

 あるいは、セムリナ公国の若き知将サミュエル・スミス。

 ほとんどの人が彼らのうちのいずれかを答えるだろう。

 しかし、歴史家や軍事評論家はその候補にもうひとり加える。

 タティアナ・カイトス。

 すなわちガドミール・カイトスの実妹である。

 彼女が歴史の表舞台に立ったのはわずか一度きり。

 大陸暦一九九〇年におこなわれたフォスミアの戦い。

 バール帝国に攻め込んだアイリン、ルーンの連合軍三〇万を、一兵を用いることすらなく撃退した。

 ありとあらゆる陰謀と詐術を使い、最終局面においてバール軍と戦った連合軍はわずか一万にも届かなかった。

 二九万もの兵を、戦わずして無力化してしまったのである。

 実戦指揮を兄ガドミールが、軍略を妹タティアナが担当する。

 盤石の体制が完成した瞬間であった。

 他国の軍部指導者たちが戦慄し、バール皇帝ミシエルをして、


「この兄妹があるかぎり、バールは寸土といえども侵されぬ」


 と、言わしめたほどの圧勝だった。

 戦場の勇者は数多いが、戦局そのものをデザインし、自軍の勝利を演出できるものは少ない。

 タティアナは二二歳という若さでそれをやってのけたのである。

 鬼姫。

 勝利の方程式。

 当時、さまざまな異名が彼女に奉られた。

 しかし、フォスミアの勝利から一年も経過しないうちに、タティアナは一線を退いて、家庭に入る。

 結婚相手はドイル王国の第七王子ルシアン。

 その後、一女をもうけて、まず幸福な生活を送っていた。

 運命が暗転するのは、二〇〇二年のことである。

 バール帝国軍の将軍だった兄ガドミールが皇帝との確執の末、よりにもよって最大の敵国たるアイリンに亡命したのだ。

 カイトス家の名誉は地に墜ちた。

 帝国の文官となっていた夫は地方へと左遷され、魔法学院へと通う娘は学籍を剥奪され。

 しかしそれでも、家族の絆は繋がっていた。

 娘‥‥アナスタシアの訃報が伝わる、そのときまでは。


「ご息女のことは、気の毒だった」

「は‥‥」


 言葉をかける皇帝に対し、表情を消したままタティアナが一礼する。

 諜者から、アナスタシア・カイトスがアイリン軍の手によって虐殺されたとの情報が入ったのは、前日のことだった。


「あやつらは、人の道というものを知らぬのか」


 皇帝の声が震えていた。

 怒りによって。

 伝え聞くアナスタシアの処刑は、あまりにも凄惨であったからだ。

 正確に母親に伝えることなど不可能なほどに。


「予は、アイリンを許すことができぬ」

「‥‥御意」

「彼の国の王族、ことごとく殺し尽くしても飽きたらぬ」

「‥‥‥‥」

「だが彼の国は強い。

 常勝将軍にカイトス。

 我が軍では勝てぬかもしれぬ」

「‥‥兄は‥‥」


 一度、言葉を切るタティアナ。


「兄は鬼子です。

 祖国を裏切り、血を分けた姪まで見殺しにして、いまは軍の副司令官の座に収まっているとか」

「うむ」

「わたくしは、もうガドミールを兄とは思いません。

 奴は娘の‥‥仇です」

「そうか‥‥だが‥‥」

「陛下。

 常勝将軍と不敗の名将、たしかに難敵です。

 しかし」

「しかし?」

「わたくしは、両名を相手取って敗北するとお考えになりますか?」


 決意の炎が、兄と同じアイスブルーの瞳に燃えさかっていた。


「‥‥思わぬ。

 誰が鬼姫に勝てるであろう」


 微笑が皇帝の口元に刻まれた。

 鬼姫が、列国に恐怖の代名詞として刻まれた鬼姫が、ついに最前線に戻るのだ。


「タティアナよ。

 汝に命じる。

 全ての能力を挙げてルアフィル・デ・アイリン王国を滅ぼせ」


 大雑把な命令。

 だが彼女にはそれで充分なのだ。


「勅命、賜りました。

 今年をアイリンにとっての最後の年にしてご覧にいれましょう」


 頭を垂れる金髪の女騎士。

 視線が床へと流れる。

 あるいは彼女は、あと一秒だけ、皇帝の顔を見ているべきだったかもしれない。

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