終ー8 部下の変化
「どうやら亞妃様の体調は戻られた様子。いやはや、良かったと喜ぶべきなのか、これはこれでまた面倒臭いと言うべきなのか……」
呂阡は神経質そうに、指先で書類を捲っていく。
「しかも、なにやら早速百華園で騒ぎを起こした様子。桂花宮から苦情が来ていましたよ。何でも侍女が脅されたとか何とか」
「それは芙蓉宮のお姫様には非はありませんよ。オレもその場にいましたから。桂花宮の侍女達の性格が悪かったってだけです」
呂阡は目の前に立つ万里をギロリと一睨し、そしてまた手元へと視線を戻す。
「問題の火種が増えたことは憂慮すべきことですよ。全く、例の医官も余計なことをして。和を乱してないと生きられない病かなんかでしょうか。わざわざ狄まで行くとは……それを容認した陛下も陛下で――」
「狄ではなく白国ですよ。先日、布令が出ましたよね」
呂阡の言葉を訂正で遮った万里に、呂阡は捲っていた手を机に叩き付けた。
「一体何ですか、春万里! 先程からそこに突っ立って。何か用件でもあるのですか? ないのであれば、私はあなたの感想に付き合っている暇はないのですから、さっさと仕事に戻りな――」
ただでさえ瞳が小さい呂阡の三白眼が、興奮にさらに瞳を小さくした時、万里がついと手紙を机に置いた。
突然差し出された手紙の題字を見て、呂阡の瞳はそれこそ点になる。次の瞬間、呂阡の眉間にかつてないほどの谷が刻まれる。
「……春万里、これは何ですか」
机に置かれた一枚の紙を手に、呂阡は目の前で素知らぬふりをしている万里を睨んだ。呂阡が手にしている手紙には、『辞表』としっかりと記してある。
「見ての通りのものですが?」
はぁ、と呂阡は頭が痛いと溜め息で伝える。
「…………理由はなんですか」
「逃げるのはもうやめたんです」
万里は、眉一つ動かさぬ涼しい顔をしていた。
「逃げるとは何のことです。分かるように話しなさい」
「自分の本当の気持ちから……ですかね」
訳が分からないと、呂阡の眉間の皺はさらに深くなっていく。
「多分このまま官吏として進んでも、オレなら結構良い位置までいけると思うんですよね」
「自意識過剰です……が、概ねそうでしょうね。あなたなら、私のように若くして長官席に座ることも可能でしょう」
万里は「どうも」と人懐こい笑みで顎先を下げた。
「でも……オレは多分、呂内侍の椅子に座った日には後悔すると思うんです。その座り心地良さそうな椅子の上で、オレは呂内侍みたいに眉間に皺寄せて、選ばなかった道ばっかりをずっと気にする羽目になるんですよ」
選ばなかった道というのは、もしかすると彼の奇妙な経歴のことだろうか。
「し……っ」
呂阡は口を開きかけて、出そうになった言葉を呑み込んだ。
『くれぐれも、上が下の邪魔をしてはならんぞ』――記憶から蘇った孫二高の言葉が、呂阡の言葉を奪っていた。
「……理由はわかりました」
しかし、まだ納得はできない。




