終ー6 赤子の記憶
足元に向けていた視線を上げれば、正面には慈愛ともよべる温かな目でこちらを見つめる、燕明と藩季の姿。
「――っつまり陛下も、とっても温かいんですよ!」
勝手にニヤけてしまう口を、言う事をきかそうと力を入れた結果、思いがけぬ大声になってしまった。
ハッとして口を両手で押さえてみるも、後の祭り。
突然の大声での賛辞に、一瞬顔をきょとんとさせていた二人だったが、月英の『やってしまった』とばかりの表情を見て、盛大に噴き出した。
「はははっ! 良い照れ隠しだ! なあ、藩季」
「月英殿の照れ顔は貴重ですからね。しっかりと目に焼き付けましたよ」
「その線みたいな目でどうやって焼き付けるんだ?」
「眠いんですね? 待っていてください、すぐ永眠らせますから」
また始まった燕明と藩季の口喧嘩を、月英は微笑でもって眺めていた。
――この人達は、いつも僕に色々な感情を分け与えてくれる。
医官という立場を与えられ、誰かと分かり合える喜びを知った。
香療師という職でもって、認められる嬉しさを知った。
最後の父親だからと優しく抱き締められ、人の温もりを知った。
それで充分に月英の心の世界は色付いたのだ。しかしそれでもまだ、彼らは何かしらの感情を与えてくれる。
長いこと心の中で埋もれていた感情を、砂を掻き分けるようにして、一つずつ見つけ出してそっと手に乗せてくれる。
改めて、月英は香療師としてこの場に留まれて良かったと思った。
「――あ、それと実は、白国に行った事で思い出したことがありまして」
亞妃の報告も終わり、ゆったりとした空気の中、いつものお茶会が始まっていた。その中で、月英が桃饅頭片手に発した言葉。
「多分、僕、白国に行ったことあります」
「はあ!?」
「そんな馬鹿な!?」
月英の言葉は、一瞬にして空気に緊迫感を与えた。
あまりの衝撃的な言葉に、燕明も藩季も思わず椅子から立ち上がっていた。
しかし、先に燕明が冷静さを取り戻し、落ちるようにして長椅子に腰を乱暴に下ろす。
「待て、それはおかしい。俺は子供の頃、赤子のお前を見ている。その時お前は、まだ一つになるかならないかだったんだぞ。一体、いつ行けたというのだ」
「もしかして、その後……っ男、に連れ回されていた時ですかね。もしかして違法な抜け道があったとか」
藩季は月英の養父達を、『父親』とは言わなかった。
一瞬言い掛けた口を噛んで閉ざし、男と忌々しそうに濁す。それは月英の最後の父親である藩季の、『一緒にされてたまるか』という思いからなのだろう。
連れ回されていたという言葉も、養父達と一緒にいたのが月英の意思ではない事を繊細に汲んでくれた結果なのだろう。
本当、優しいことこの上ない。




