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【書籍化】碧玉の男装香療師は、ふしぎな癒やし術で宮廷医官になりました。  作者: 巻村 螢
第二部 碧玉の男装香療師は、ふしぎな癒やし術で後宮妃の心に花を咲かせます。

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2-8 烏牙琳という女性

「香療師様……間違っているとは……」

「合ってるとか違うとか、そんな事は考えなくて大丈夫です。ただ、香りを楽しんでください」

「楽しむだけ……で良いのですか?」

「ええ。香療師だなんて肩書きがついて、僕こそ勘違いしてました。確かに香療術は心を癒やし治療する術です。が、それ以前にこの術は、ただ香りを楽しむ為のものなんです。楽しめないのなら、この術に意味はないんですよ」


 亞妃の震える指先を、控え目な力で月英が握る。

 下から覗き込むようにして亞妃と視線を交わせば、亞妃はきゅうと目頭に力を入れた。

 その行動こそが、彼女の全てを表わしているようだった。


「亞妃様、今だけで良いですから。もう我慢しないでください。姿勢を正さないでください。もう……頑張らなくても大丈夫ですから」


 ね、と月英はひたすら優しい声音で亞妃に微笑んだ。


「――っどうして、関係のないわたくしを、そこまで気に掛けてくださるのです」

「同じだからです」


 月英は己の瞳を指さした。


「一人、自分と違う者達の中に放り込まれる怖さは分かるんですよ……嫌っていうほど」


 亞妃の眉間が更に厳しくなる。しかし、それは月英を嫌悪したわけではない。

 まだ、彼女は我慢していた。


「亞妃様、笑ってください」


 いつも困ったように笑っていた亞妃。

 言いたい事より、言わねばならない事を優先したかのような台詞は、彼女と月英達との心の壁でもあり、彼女自身の蓋でもあった。

 しかし、今、亞妃の蓋は緩みかけていた。

 亞妃は、杏色の小さな唇を開いては閉じるということを何度も繰り返した。何かを伝えたそうに、それでも、迷いの末に喉の奥に呑み込む。


 ――何が、彼女の口に歯止めをかけてるんだろう。


 月英は、これまでの亞妃の態度を思い返してみた。

 燕明は彼女を『物静か』と形容した。恐らくそれは『内気な』と同義だったのだろう。初めは月英も同じ印象を抱いていた。確かに声を荒げることも、全身を使って派手に意思を伝えようともしない彼女の姿は、物静かと言えるだろう。

 しかし、それは粛然とした気高さからくるものだと、今なら分かる。

 彼女は強い。

 普通ならば弱音くらい吐いてしまいそうなものだが、彼女はこの期に及んでも『亞妃』を守っていた。まだ、彼女自身の本当の姿が見えてこない。

 どうしたものか、と悩んだのも束の間。月英は「あ」とある事に思い至る。


「亞妃様の御名はなんと言うんでしょうか?」


 誰もが『亞妃』と呼ぶためすっかり忘れていた。それは妃称であって、彼女自身の名ではない事を。

 月英の問いに、亞妃は『意外だ』とばかりに目を瞬かせている。


「……烏牙琳と……北ではウージャリィと言うので、皆はリィと」

「ウージャリィ様ですか。ふふ、とても可愛らしい響きですね」


 にこり、と月英が微笑めば、亞妃の目元が微かに和らぎを見せる。


「亞妃様、僕は今、亞妃様の名を知りました。これで一つ、関係が出来ましたね。もう関係ないなんて事はありませんからね」


 亞妃の瞼が縦に大きく開かれる。


「これで堂々と気に掛けることが出来ます」


 胸を反らせ誇らしげに言えば、亞妃は苦笑に肩を揺らした。

 彼女のクスクスとした愛らしい笑い声に合わせて、胸元で灰色の横髪がふわふわと揺れる。彼女の髪が揺れる度に、月英の心もふわりと軽くなった。


「……わたくし、上手く笑えていませんでしたか」

「僕には、いつも無理をしているように見えていましたよ」


 亞妃は笑いを収めると、瞼を閉じ深く長く息を吸った。

 全身の隅々にまで行き渡らせるような深呼吸。限界まで吸い、香りを堪能するように息を止め、そして静かに息を吐く亞妃。

 長い長い一呼吸が終わり、ゆっくりと瞼が持ち上がる。


「わたくしは今……二十一なのですが、結婚の歳としてはおかしくないでしょうか」


 前振りのない唐突な話題に月英は首を傾げたが、問われた事に素直な感想を述べる。


「僕はそういった事に疎いので詳しくは分かりませんが、一般的な歳だと思いますよ。少なくとも遅くはないかと。僕は十八で後ろの彼は二十ですが、全く結婚の気配はないですし」

「おい、オマエが決めつけるなよ」

「じゃあ、万里にはそういった相手でもいるの?」

「…………別に」


 なぜ反論したのか。自ら墓穴を掘っただけではないか。

 決まりが悪そうにそっぽを向いた万里は一先ず置いておいて、亞妃を向き直れば、彼女は月英の返答に、どこかホッとしたような薄い息をついていた。


「萬華国ではそうなのですね。……でも、これは北では遅すぎる歳なのです」


 亞妃の身を飾る、山吹色の襦裙に紅の長袍を重ねた鮮麗な衣装。しかしその鮮やかさが今は、亞妃の寂寥を湛えた表情を強調する羽目になっていた。


「少し、付き合って下さいますか……烏牙琳というしがない女の思い出話に」



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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白いです! 男装主人公最高! [一言] たしか第一章の頃は題名って「萬華宮の~」ってやつでしたよね。うろ覚えですけど。
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