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【書籍化】碧玉の男装香療師は、ふしぎな癒やし術で宮廷医官になりました。  作者: 巻村 螢
第二部 碧玉の男装香療師は、ふしぎな癒やし術で後宮妃の心に花を咲かせます。

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2-5 すれ違い

 ゴリゴリと薬研で良く分からない薬草をすり潰す春廷。

 その隣では、月英が出来あがった粉末を、決められた分だけ小さく切られた四方紙に量り取っていく。

 粉末が乗った四方紙は、既に作業台の半分を埋めていた。


「このくらい、糕がなくても言ってくれればいつでも手伝うって」


 一体、どんな後ろ暗いことを手伝わされるのかと思った。


「ふふ、美味しそうに食べる月英の、鼠小僧みたいな姿も見たかったから良いのよ」

「鼠小僧……」


 それは褒め言葉として適切なのか。

 春廷はまた新たな薬草を薬研に入れると、ゴリゴリとすり潰していく。


「こんなに沢山粉にして、どうするの?」


 天秤の片方に分銅を乗せ、もう片方に出来上がった粉末を薬匙で少しずつ乗せていく。


「調合よ。色々と分量を変えて試薬をつくってるの。やっぱり、未だどうしても治せない病ってのもあってね。治るっていう可能性を少しでも増やしたいのよ。進んでこその医術だから」

「へえ、香療術みたいだね。精油も混ぜるもの間違えると、変な匂いが出来上がったりするよ」

「変な匂いって、ちょっと興味あるわね」


 こうして話している間も、春廷の視線は薬研から離れない。長い髪が首後ろで一つに纏められている為、彼の横顔もはっきりと見える。

 真剣な眼差しを薬研に向ける春廷。その額には薄らと汗が滲んでいる。

 乾燥して砕きやすいとは言っても、葉を粉末にするのは重労働だ。しかし、春廷は泣き言一つ言わずひたすらにしごく。

 てっきり薬研の交替要員で呼ばれたのかと思ったのだが、春廷は一人黙々と作業をこなしていく。


「春廷、僕がかわるよ」

「なに言ってんのよ。そんな細腕じゃ三往復で筋肉痛、五往復で骨折よ」

「筋肉痛から骨折までに何があったの」


 絶対、二往復の間で薬研の中に腕入れてる。


「それに均一に潰すにはコツがいるし、これは大人しく専門医のワタシに任せてなさいって。それよりアンタは、ちゃんと種類毎に同じ量に分けてるんでしょうね?」

「も、もちろんであります!」


 じろり、と横目に作業台に並んだ四方紙を確認する春廷。思わず月英も姿勢を正してしまう。

 春廷はふと目元を和らげると、「良く出来ました」と猫を撫でるように、月英の頬を指の背で撫でた。くすぐったさに月英が首をすくめケラケラと笑えば、「粉がついてたのよ」と、最後にもう一度頬を撫で作業に戻った。

 耳に心地良い春廷の声。彼がふと鼻から優しく息を抜く音は、月英の心にパチパチと弾ける嬉しさの泡沫をつくる。

 小さく弾ける泡沫が、胸の内側をむず痒くさせた。


 ――こんな兄さんがいたらな……。


 そんな事を思っていれば、そういえば彼は既にあの者の兄だった、という事を思い出す。

 万里は、自分の兄である春廷を『人殺し』と言った。

 春廷について、月英は分からない事の方が多い。それでも、彼は決して人など殺してはいないと信じる事が出来た。

 先程、頬に触れた指。あれは人を傷つける者の触れ方ではない。

 過去、月英は多くの者に、それこそ意識無意識を問わずに傷つけられてきた。彼らの指は、蔑み、嘲笑うためだけに月英に向けられていた。触れることすら彼らは嫌がった。時には小婆のように心優しき者もいたが、触れるときには何かしらの理由がある。

 理由がなくとも血の通った触れ方をする春廷は、決して人を傷つけやしないないだろうと、経験値から月英は理解していた。


「ねえ、春廷」

「んー?」


 猫のように喉だけで気安く返事をする春廷。

 心を許していると取れる、彼の何気ない態度が嬉しかった。


「万里と何かあったの」


 ピタリ、と薬研が止まる。

 房に響いていたゴリゴリとした重々しい音も消えたというのに、なぜか今の方が空気が重くなったように感じられた。


「……あの子が、何か言ってたの?」

「言ってはないよ。ただ僕がそう思っただけ」


 そう、と言って、春廷は薬研から手を離し、椅子に腰を下ろした。身体は月英を向いているのに、顔は作業台に頬杖をついて遠くを見ている。

 頬に掛けた指が、トントンと彼のこめかみを弾いていた。月英にはそれが、何から話したものか、と悩んでいるように見えた。


「喧嘩でもしたの?」


 自分でも随分と不躾な聞き方だとは思ったが、きっと春廷は回りくどい方を嫌がるだろうから。

 他人が他家の事情に首を突っ込むのは、正直なところ控えるべきだろう。

 しかし今日の万里の様子は、些か感情が生々しすぎた。

 最後に春廷の事を叫んだ時、彼が見せた目には、それまで叫んでいた嫌悪の感情などなかった。

 万里と視線が交わった時、月英は彼の黒玉の瞳が、パキンと音を立てて割れたのかと錯覚した。しかし、その白く複雑に輝く筋が、ひびではなく瞳の表面が揺らいだ反射だと気付けば、彼の感情の正体に気付いた。

 あれは怒りでも嫌悪でもない。


「春廷の名を出した時、何だか万里が悲しんでるように見えたんだ」


 春廷は瞼を大きく開き、けれど月英に顔を向けた時にはもう、瞼は閉ざされていた。


「喧嘩……って言うのかしら。でも……そうね。もう、ずっと長いこと……あの子とは会ってないわ」


 寂しさを諦念で押し込めたような声音だった。


「月英が見たあの子の悲しさ……それを作ってしまったのはワタシなの」

「春廷が?」

「……昔ね、あの子を傷つけちゃったから……もちろん、そんなつもりなんかなかったんだけど、あの子とってはそんな事は関係無いのよね。信じてくれたあの子を裏切ったワタシが悪いんだから。恨まれて当然なのよ」


 大事な部分だけすっぽり会話から抜かれているような、外側だけを舐めたような話し方。

 二人の間に何があったなんて、依然としてさっぱり分からない。ただ、春廷が自分を責めていることだけは分かった。


「待って、当然とかないよ!? 傷つけるつもりがなかったなら、春廷はちゃんと万里にそれを言ったの? 説明した?」


 春廷は緩く首を振った。


「ワタシが近付いたら、きっとあの子は余計に悲しい思いをするわ。色々なことを思い出させてしまう。ワタシは、これ以上あの子の傷になりたくないの」

「違うって! 万里がじゃなくて、春廷はどうしたいの!?」


 ここまで話していて、春廷の意思は全て万里を優先したものばかりだった。

 それが月英には、どうしようもなくもどかしく映る。


「ワタシは、あの子が笑って過ごしてくれていれば良いのよ」


 垂れた目をより垂らした春廷の顔は、確かに笑っているのに喜色はなかった。

 ぐっと腹の底に何かを押し隠して、笑みで蓋をしている。

 そんな自己犠牲を、彼は良しとしている顔だった。

 眉間を寄せ口角を下げ、見ている月英の方がよほど不満を顔に表わしていた。


「だから、あの子がもし何か言っていても、責めないでちょうだい。それで少しでもあの子の気が晴れるなら、ワタシはその方が嬉しいから」

「春廷……っ、向き合うことの大切さを教えてくれたのは……春廷達でしょ」


 人との関わり方も、分かり合えることも、自ら歩み寄ることの大切さも、全て太医院(ここ)で学んだ。


「……何事にも時期っていうのがあるものよ。ワタシはもうそれを逃しちゃっただけ……」

「そんな言い方はずるいよ」

「ふふ、大人は皆ずるいのよ」


 春廷は月英にそれ以上の反論を許さず手を叩くと、「さあ、続きをどんどん量ってちょうだい!」と、再び薬研車を手に薬草をすり潰しはじめた。

 声は明るかったが、月英にはから元気にしか見えなかった。


 ――傷つけたって……何が二人の間にあったっていうんだろう。


 何があったのかは分からない。

 ただ、二人の間で、なにかが大きくすれ違っているような気がしてならなかった。


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