2-1 本当にご兄弟ですかね
燕明に言われたとおり、内侍省のはいっている後華殿を訪ねてみれば、入り口のところに月英と同じ年頃の青年が立っていた。
「――へえ、噂通り本当に碧いんだな」
顔を合せた途端、青年は挨拶より先に月英の瞳への感想を口にした。
青年は月英を上から下まで、優に深呼吸三回分の時間を使ってたっぷりと眺めると、最後にもう一度月英の瞳を見つめ、口を歪めた。
「ハッ、変なの」
確かに、月英の存在やその瞳の色について、宮廷内で大きな声が上がることはない。しかし、全く嫌悪を示す者がいないというわけでもない。
このような反応も、まだだまだ日常茶飯事である。
ただ、初対面でこうもあからさまな嫌悪の感情を向けられれば、さすがの月英も気分を害するというもの。
「……香療師の陽月英です」
月英は、不満を声に表わし挨拶する。
本当ならば、ここでその眠そうな垂れ目に蜜柑汁でも浴びせてやりたいところである。しかし、今回の仕事は、彼がいなければ仕事場である芙蓉宮にすら辿り着けない。
月英は、蜜柑の皮を握り締める代わりに、竹籠を抱える手に力を込めやり過ごす。
――あー、僕も大人になったもんだ。
大人ならばまず懐に蜜柑の皮は常備しない、という常識は月英の中にはない。
「内侍省主事の春万里だ」
月英の挨拶を受け、青年も横柄な態度ではあったが挨拶を返した。
どうせ無視されるだろうなと思っていた月英は、青年が名乗ったことに僅かながらの感心を覚える。
――へえ、そこはちゃんと返すんだ……って……あれ?
しかしそこで、青年の名乗った名に引っ掛かった。
「春……って、もしかして君! 春廷の弟じゃない?」
身を乗り出すようにして、わっと喜声を上げる月英。
よく見れば、確かにその垂れた目元は、春廷そっくりである。
髪の長さこそ違うが、真ん中から撫で付けるように分けられた前髪や、柳のような細身の身体、立っているだけで漂ってくる淑やかな気品も全て、月英にはなじみ深いものだった。
彼の先程までの態度もすっかり忘れ、月英は湧いた親近感にキラキラと顔を輝かせる。
「わぁ、本当に会えるなんて思ってなかった。そっかそっか、君が春廷の弟かあ、会えて嬉しいよ! 春万里って言うんだね。ねえ、万里って呼ん――」
「なあ、それって業務に関係ある?」
いきなり冷や水を浴びせられた心地だった。
「……え、あ、いや……そんな事は……」
月英が喜びを露わにしていた分、春万里の底冷えするような淡々とした声は、一層際だっていた。
月英より少しだけ高い位置から見下ろされる目は、恐ろしく暗い。
黒い瞳に見える感情は、月英の碧を見たときにみせた嫌悪でもなく、仕事の邪魔をするなという叱責でもない。
――怒ってる……? どうして……。
柔和な印象を抱かせる垂れた目が、どうしてか今は、眦が裂けんばかりに吊り上がっているように見えた。
そんなはずはないのに。
「呼び方は好きにしろよ。むしろ『春』なんて、奴と同じものがなくなって清々する」
奴というのが春廷を指しているのは、月英でも分かった。
月英が口をすっかり閉じてしまえば、春万里は踵を返し、後華殿へと入っていく。肩越しに振り向いた目が、月英に『着いてこい』と言っていた。
「――っ万」
「いいか。余計なことは考えるな、するな。当然ここから先もだ」
『ここから先も』――その言葉は、月英の心に湧いた疑問を解く機会を奪った。




