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【書籍化】碧玉の男装香療師は、ふしぎな癒やし術で宮廷医官になりました。  作者: 巻村 螢
第一部 碧玉の男装香療師は、ふしぎな癒やし術で宮廷医官になりました。

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18/158

4-3

 そろそろ無くなる頃だろう、といつもの蜜柑オレンジ薫衣草ラベンダーの精油を届けに来てみれば、部屋の中は泥棒が入ったように滅茶苦茶に荒らされていた。

 その中で向かい合って立つ男二人――燕明と藩季。藩季の手は燕明の襟を両手で掴んでいた。


「え……下剋上?」


 月英が戸惑いに一歩後退れば、藩季が引きつった笑みで飛んできた。


「違いますよ~。ちょっと衣装合わせをしていただけですからね~。危ない事を吹聴しないでください」


 ――せっかく、医官達に教えてあげようと思ったのに。


「何がせっかくだ。面白がってるだけだろ」


 バレた。しかも読まれた。だから何で読めるのか。




「ああ、宮祀儀礼の衣装選び……だからこんなに床が衣装だらけだったんですね」


 そういえば劉丹もそんな事を言っていた。

 それにしても高そうな着物が無雑作に床に投げ捨てられている光景は、無駄に豪華だ。色とりどりの光沢のある生地や、柔らかな薄手の紗の羽織。花街一の高級妓女でもこれ程の衣装は持っていまい。対してそれを纏わされている燕明の顔に疲れがありありと浮かんでいる。恐らく、朝からずっと着せ替え人形にされていたのだろう。


 絢爛豪華な床に目を這わせていれば、藩季の「これですね」という声が聞こえた。どうやら着せ替え人形は終わったらしい。

 目を向けた先の姿に、月英は「へえ」と感嘆を漏らした。

 白地に黒の縁取りの入った長衣に、銀刺繍の黒帯が巻かれ赤い細紐で留められている。加えて、いつもは簡単に結われ背に流されている髪もきっちりと纏められ、形の良い頭の上には大裘冕だいきゅうべんが載っている。

「殿下はやっぱり殿下だったんですね」

「何を当たり前のことを」

 すっかり慣れていたが、目の前の美男はこの国の皇太子であり、『萬華国の至宝』の異名を取る者だと改めて実感する。

 すると燕明が何やらチラチラと月英に視線を向けてくる。


「……げ、月英は……その、これは格好いいと……思うか」


 誰が見ても今の燕明なら格好いいと言うだろう。わざわざ変なことを聞くものだ、と月英は首を傾げながら思ったことを素直に返す。


「ええ、よくお似合いですよ」

「ほ、本当か!」


 途端に燕明の表情が晴れやかになる。

 同時に、その奥で衣装の後片付けをしていた藩季から「ぶふッ!」と噴き出す音が聞こえた。心なしか身体も震えている。疲労だろうか。あとで疲れに効く精油でも差し入れしよう。


「あ、殿下。ちょっと失礼します」


 帯飾りがずれている事に気付いた月英が、正しくしようと手を伸ばした。が、その手は目的地に辿り着くことなく空を切った。

 燕明がその手を避けるように身を退いたのだ。


「え……?」

「あ……」


 二人共互いに驚いたような声を出す。


「ちょっと飾りをなおすだけですから」


 言いながら月英が再び手を伸ばすも、やはりその手は空を切る。

 偶然ではなく明らかな拒否。流石の月英もムッと頬を膨らませる。


「一体何ですか。僕に触られるのが嫌ですか」


 すると焦って燕明が否定する。


「そ、そんなことはない! 違うっ! 断じてそれだけはない!!」


 血相を変えて否定しているが、じゃあどんな理由があるというのか。


「大体、この間までは殿下の方から距離を詰めてた来てたじゃないですか」

「うっ……、それは……その」


 指先をツンツンとつつきながら口をまごつかせる燕明に月英が痺れを切らし、一気に距離を詰めれば燕明の顔が一瞬で湯だった。髪を上げているため、耳まで綺麗に染まっているのがモロ見えだ。


「だだだだって! お前が女性だって分かったから!」


 奥から、またも「んふッ!」と奇音が聞こえる。


「後宮を持ってる方が何言ってんですか」

「こ、後宮とお前を一緒にするな!」


 意味が分からない。確かに後宮の美姫と自分とを一緒というのはおこがましかったが、今更女性相手に赤面するタマでもあるまい。


「やめろ! 必要以上に俺に近付くな! 俺もそんなに強い方じゃない!」


 両手を付きだし、月英との距離を稼ごうとする燕明。


「いえ、絶対殿下の方が強いでしょう。僕、剣とかからっきしですし。それ以前に命なんか狙いませんよ」

「違う! いや命に関わる点では間違ってないが、色々と違う! 察してくれ! 俺を変態にしないでくれ!!」

「ははは、手遅れですよ」

「嘘!」


 最初から変態だと認知している。

 すると、「では鍛える必要がありますね」と、奥から声を上擦らせた藩季がやって来る。


「月英殿、燕明様よりお話伺いました。よろしければその美しい瞳を私にも見せて頂けませんか?」


 突然何だろうかと不思議に思ったものの、相手が藩季ならば問題ないと月英は素直に前髪を捲れば、黒髪の下からは翡翠ひすいもかくやと言わんばかりの碧が現れた。


「――っこれは……本当に美しいですね……」


 ほぅ、とうっとりした溜息交じりに、藩季の目が双眸に釘付けになる。


「聞く以上の衝撃ですよ、本当に。こんな美しい瞳がこの世にあったとは……」


 まじまじと至近距離で瞳の奥まで見つめられ、少々気恥ずかしく、つい視線を逸らしてしまった。それを合図に藩季は身を退き、「失礼しました」と満足気に頷く。

 次の瞬間、藩季は月英の背後に回り込み、ズイッと燕明に向かって月英を押し出した。


「え、おぁ――んぐッ!?」


 唐突に背を押された事により、月英は為す術もなく燕明の胸に突っ込み、案外と硬い胸板で鼻をしこたま打つ。


「――っ何するんですか、藩季様!? 驚きましたよ!」

「ふふ、すみません。手が滑ってしまったもので」


 どんな滑り方だ。

 抗議に振り向けば、藩季はにこやかな顔で「上を向けと」指を天井に向けていた。


「ん? 上?」


 言われるがまま顔を上げれば、そこにあったのは眉を垂れ下げ、何かに耐えるように唇を強く噛む燕明の情けない顔。


「……殿下?」


 月英は首を傾げた。燕明の胸板にしがみ付いた状態で。すると必然的に上目遣いになる。


「ぅ゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん――ッ!!!!」


 燕明は宙をきりもみしていた両手でバチンと顔を覆い隠し、そのまま奇声を上げながら天を仰いでいた。

 奇特なものを見る目の月英と、笑いすぎてひぃひぃと口も腹も痙攣させる藩季。異質な空間の出来上がりだ。


「さあ燕明様! 理性を鍛えるお時間ですよ!」

「~~ッ藩季ィィィィィ!!!!」


 これが皇帝になって大丈夫なのか、と月英はぎゃあぎゃあとやり合う二人の間で、密かに溜息を吐いた。




 

       ◆◆◆





 蔡京玿は自分の机に置かれた手巾をじっと眺めていた。

 日が経つにつれ染み込んでいた香りは薄まり、今では鼻に押し当てないと分からない程度だ。


「蔡侍中、失礼いたします。宮祀儀礼の水鏡に使う清水せいすいを頂きに参りました」


 戸の向こうから若い男の声がした。礼部の者だろう。

 蔡京玿が入るように促すと、静かに一人の青年が部屋に入ってきた。横一文字に結ばれた唇と眠たそうな垂れ目で無愛想に見えたが、口を開けばそうでもない事が分かった。


「礼部の劉丹と申します」


 言葉はそれだけだったが、その声は低くも高くもなく、まろやかな水のように心地良いものだった。目をあわせれば、垂れた目尻に皺が寄り人懐こい雰囲気になる。

 蔡京玿はその青年に心当たりがあった。


「ああ、お前は……確か先日城門で会った」


 一瞬劉丹の表情が陰ったが、すぐにニコリとして「覚えて頂いて光栄です」と人懐こい顔になる。陰ったように見えたのは、傾きだした日の影のせいだろう。


「清水はそこの棚の上だ。りゅうげんさんの湧き水だから問題ないだろう」


 目で部屋の隅に置かれていた小机を示す。


「北の龍巌山まで行かれたのですか。それは凄いですね。こちらの清水で十分すぎる程ですよ」

「ほう、龍巌山を知っているか。あまり有名ではない小さな霊山だが」

「僕は北の出でして。丁度その麓に村があるのですよ」

「そうか」

「今回北の霊山を選ばれたのには何かわけが? 例えば、過去に残してきた愛妾や子を密かに訪ねたとか」

「はは、そんなもの居らんさ」

「そうですか」


 劉丹は清水の入った革袋を手に持つと、世慣れしていそうな綺麗な笑みを向けた。


「では、確かに清水を頂戴しました」


 来た時と同じ様に、劉丹は会釈すると静かに部屋を出て行った。

 会釈から顔を上げた時に見えたその顔は、どこか酷薄で、誰かに似ている気がした。


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