終-1 藩季
路の真ん中でぐるぐるに拘束された配達人と小袋を翔信に渡せば、すぐに御史台と刑部に連絡が行き、配達人は牢塔へと収監されることとなった。
それと入れ替わるようにして、月英は晴れて牢屋から解放された。
「やっぱり、『出される』と『出る』とじゃ全然違うなあ」
いつもは翔信が迎えに来て初めて牢塔の外へと踏み出せていたが、今、月英は初めて一人で牢塔の外へと出た。
「お世話になりました」と入り口の衛兵たちに頭を下げれば、「出てからも、たんと食べるんですよ!」との声が返ってきた。お母さん。
牢塔から宮廷中心部へ通じる道を、月英は大きく背伸びしながら歩く。
昨日までと同じ景色や空気だというのに、吸い込まれる空気は爽やかで、目に映る緑の小道はまるでおとぎ話の世界のように輝いて見える。
「月英殿」
世界はこんなにも綺麗だったんだ、と景色を堪能するようにキョロキョロしながら歩いていれば、目の前から自分を呼ぶ声が聞こえた。
「あ、藩季様!」
路の真ん中に藩季が立っていた。
「昨日はどうもありが――」
すると藩季は、何も言わずに両腕をすっと横に開いた。
月英の脳内で、ある夜の言葉が響く。
『牢塔を出たら、抱きしめさせてください』
まさか、本当に出た瞬間だとは思わなかった。
「月英」
くっと月英の口角が引きつったように下がる。
いつもと違う藩季の呼び方に、広げられた腕の意味の深さを知る。
しかし、月英の足は、地面にくっついてしまったかのように動かない。気持ちと状況への理解が噛み合わないのだ。心では今すぐにでも跳んでいきたいのに、頭が初めての状況に怯え、本当に行っても良いのかと妨げてしまう。
こういう場合、月英にはどうしたら良いのか分からなかった。
口を薄く開いてはくはくとさせ、月英はただ藩季を見つめた。
そんな月英を見て、藩季はたった一言だけを囁く。
「おいで」
気持ちが全てに勝った。
気がつけば、月英は藩季の胸に飛び込んでいた。
掛ける言葉も力加減も分からず、ただ藩季に飛び込んだ。あまりの手加減のなさに彼が転んでしまうんではと自分でも思ったが、しかし彼は揺らぐことなく受け止めてくれた。
「お帰りなさい、月英」
開いていた腕が背に回される。
「ただいまです……っ!」
身体の中の何かが緩んだようで、ぶわっと目に熱いものがあふれてくる。
「よく一人で頑張りましたね」
背中を暖かな手が優しく撫でれば、月英の目からはぽろぽろと雫がこぼれ落ちた。藩季の胸元を濡らしていることは分かっているが、それでも月英は猫がそうするように、彼の胸に頭を擦り付ける。
「おやおや、どうやら随分と気を張っていたようですね」
「……っ」
本当は怖かった。
宮廷を追い出されてしまうかもしれないこと。
香療術を取り上げられてしまうかもしれないこと。
大切な仲間たちに会えなくなってしまうかもしれないこと。
もう……誰からも『月英』と笑いかけてもらえなくなるかもしれないと。
「大丈夫ですよ。もう、全て元通りですから」
ゆっくりと藩季の身体が離れる。
あらあらと言いながら、彼はグズグズになった顔を袖で拭ってくれた。
「本当はもっと一緒にいたいですが、あなたを待っているのは私だけではありませんからね」
藩季の指が北東を指さしていた。
その指の先にあるのは――。
「行ってらっしゃい、月英。皆待っていますよ」
月英はズッと鼻をすすると、こくりと頷いた。
「はい、父さん」
一瞬、面食らった顔をした藩季だったが、すぐに眉も目尻も垂らし、愛しくてしょうがないとばかりの笑みを漏らして月英を抱きしめた。




