4-9 逃走中の追いかける方
「なるほど。そういう方法があったんだね」
翌日、月英と翔信はさっそくに東明飯店を訪ねていた。
「長くても明日までですから。張朱朱さんには迷惑でしょうが、あと少し協力をお願いします」
すみません、と頭を下げた月英。
それに対し、張朱朱は今までとは違った様子を見せる。
「悪かったね」
張朱朱の突然の謝罪に、月英は「え?」と顔を上げた。
「あんたらのこと、話も聞かず疑ったりして」
「いえ、それは当たり前というか。自分の大切なお店が被害にあったんですから、張朱朱さんの反応は普通のでしょう」
移香茶が原因で迷惑を被ったのだ。ならば、その移香茶を作った者に怒りを向けるのは当然のことだと思うが。
「突然どうしたんですか。だって昨日までは……」
最初に比べ険は落ちていたものの、昨日の時点ではまだ疑いをもたれていたはず。
すると彼女は、自分の前髪をくしゃくしゃと乱し「あー」と焦った声を漏らす。
「最初は、言い訳を並べにきたと思ったんだよ。それで、また扱ってくれって頼み込むつもりだろうって……でも昨日、あんたたちは一言もそのことには触れなかっただろう。むしろ、犯人を捕まえることだけに一生懸命で。診療所に駆けていくあんたたちの姿を見たらさ、本当に今回の件には関わってないんじゃないかって思えてね。今日だって、移香茶がどうとかは言わず、手伝ってくれって頭を下げて」
「張朱朱さん……」
「朱朱でいいよ」
ふっ、と彼女の唇が柔らかい弧を描いた。
たちまち月英の表情も輝く。
だってそれは、彼女が赦したものしか呼べない名。
「まあ、真犯人が捕まって初めて充分って言えるだろうけど、それでもあんたらは事実はあたしに見せてくれたからね」
綺麗に片目だけ瞬きさせた張朱朱はとても魅力的だった。
「絶対に、犯人を捕まえて、御史台に連れて行かれる前に朱朱さんに差し出しますから!」
「ああ、一発殴らせておくれ」
二人して微笑みを交わす一方、少し離れたところで翔信が目を半分にしていた。
「微笑ましい雰囲気で会話は野蛮なんだよな。朱朱さん、どうか犯人と一緒に俺もお願いします」
なんでだい、と首を傾げた朱朱に対し、月英は無言で道ばたに落ちて踏まれた桃饅頭を見るような目を翔信に向けていた。
「ああ……っ、だからその目はだめだって、月英。お前じゃなくてどうか朱朱さんに……!」
「…………」
刑部に訴えたらこれも罪として裁いてくれるだろうか。
そんな事を願っていると、「さあ」と張朱朱がパンッと手を叩いた。
「そろそろ配達人が来る時間だよ」
言って、彼女が東明飯店の入り口に目を向けた時、ちょうど計ったかのように「こんにちは」との声が聞こえた。
◆◆◆
入り口で張朱朱が配達人から荷を受け取るのを、扉の影から身を潜めて確認する月英と翔信。
話が終わった張朱朱が店に戻り扉を閉めれば、二人は飛びつくように荷に駆け寄る。
割り印は、鄒央が指定通り押してくれているのなら二カ所あるはず。
荷の表の目立つ場所に一つ。
――まず、一つ目の印は……!
印がズレていないか確認する。
「合ってる!」
包の蓋と地の部分に掛かった印は、きっちりズレることなく押されていた。
「じゃあ、二つ目だ」
翔信の声に、月英は手にした荷をくるくるとひっくり返す。
「目立たないところって言ってたから……多分裏とか隅とか……」
どこに押してあるのか月英たちも知らず、二つ目を目をこらして探す。どうやら表のとは違った印を使っているようだ。表の印ならば大きくてすぐに見つけられるのだが。
どこだどこだと次第に眉間に皺がよりはじめる中、翔信が「あっ」と荷を手で押さえた。
「あった! ここの隅だ」
指で示されてようやく気付いた、小さな印。
これは最初から二つあると教えられていなければ気付かない。
そして――。
「ズレてる!?」
印は表の大きなものと違い、半円分はズレていた。
「朱朱さん、今の配達人は!」
「は、配達人なら次の配達先にって、そこの角を曲がっていったけど……まさか、本当に? そんな悪人には見えなかったけど」
張朱朱は驚きを隠せない様子で、指を控えめに右に向けていた。
彼女の気持ちも分かる。
扉の影から彼女と配達人の会話を盗み聞きしていた月英も、そのような雰囲気は感じなかったのだから。気さくな配達人だな、という印象しかない。
「とりあえず、間違いでも直接聞いてみれば分かることですから」
「おい月英、行くぞ!」
月英が張朱朱に声を掛ける時間も惜しいというように、先に翔信が店を飛び出す。月英もすぐに後を追って出た。
張朱朱に言われたとおり、店を出てすぐの角を曲がる。
さすがは配達人。歩いて配達をしているということはないのだろう。そんなに時間は経っていないはずなのに、もう姿は見えなかった。
「まさかだよ! いや、探してたんだから当然だけどさ、本当にその瞬間が来ると焦るもんなんだな」
「しかも、本当に印の二つ目がズレてましたね。さすが呂内侍ですね」
呂阡は二つ割り印を用意しろと言った時、その理由を、開封された場合、開封者は表の目立つ方だけきっちりあわせ、裏は絶対に見落とすだろうからと言っていた。
実際、本当にその通りになったものだから、素直に感心を覚える。
「おい、先の道が二つに分かれてるぞ!?」
路地の奥はさらに左右に道が分かれており、配達人がどちらへ行ったのか分からなくなっていた。
「えぇ! じゃあ、分かれます!?」
「いや、俺はお前の監視役だし……」
「でも間違ってたら取り逃がしちゃいますよ」
こうして喋っている間も二人は走っているため、ぐんぐんと岐路は近づく。
「早く! 早く! 翔信殿! 決めないなら僕は勝手に左に行きますからね!」
「え、あ!? ちょっ! ――っああもう! 見つけたらすぐに叫んででも呼べよ!?」
「りょーかいっ!」
月英は左の道へと飛び込んだ。
「って言っても、配達人の顔は見てないし……目印っていえば、配達人が使う籠だけだし」
ぶつぶつと呟きながらも、左右に目を配りながら路地を駆け抜けていく。
大通りから外れると途端に路は狭く荒くなり、躓かないように足元の石をよけながら走ることになる。
「配達人ってどれだけ早いの!?」
結構な速さでもう随分と走っていると思うが、それでも籠を持った者は見当たらない。
これは、ハズレを引いたかなと思った矢先、路地のさらに枝分かれした路の奥にそれらしき人物が見えた。
「いた!」
すぐに後を追って奥へと入る。
路に面した店は昼も近いのに沈黙しており、どんどんと人気も少なくなっていく。
「すみません! そこの配達の方、待ってください!」
呼び止めようと声を上げるも、聞こえないのか配達人の足が緩むことはない。
「あれ、聞こえないのかな?」
結構大きいな声だと思うが。
「すみませーん! そこの籠を背負った人! 落としましたよー!」
今、月英の視界にいるものたちの中で、籠を背負っている人物は目の前の配達人とおぼしきものだけ。
しかし、配達人はまるで振り返る素振りもない。
かなりの大声で叫んでいるのだ。気付かないはずがない。現に、周囲の者たちはチラホラと何事だと月英を振り返っている。しかも、嘘ではあるが「落とした」と言っているのに、一切を気にしないとなると怪しさ満点だ。
「――って、ちょっと!?」
呼び止めているのに、なぜか配達人の速度がぐんと上がった。
「もう間違いないでしょ、これ」
このまま後を追って走っていても、最初から全力疾走している月英の方が不利である。きっとすぐに見失ってしまう。
そこで何を思ったか、月英は一旦足を止めた。
そうして、先行く配達人の進路をじいっと確認すると、次に周囲をキョロキョロと見渡し、にぃと口端をつり上げる。
「下民を舐めてもらっちゃ困るね」
次の瞬間、月英は配達人が消えた先とは違う路地へと身を滑らせた。




