4-5 月英の恋人殿
「――よし! さっそくこれを鄒央さんに伝えないと!」
内侍省の前で、そう月英が意気込んだ時だった。
「え、月英」
不意に名を呼ばれ振り返れった先には、万里がいた。
一週間も経っていないというのに随分と懐かしく思ってしまう。
「ば、万里!」
「月英、オマエなんでこんなところに!?」
「万里こそ、こんなところで何してるの!? 春廷が万里が香療房にもほとんど戻ってないって言ってたけど……」
万里は内侍官と一緒に百華園から出てくるところだった。
どこかの宮に香療術でも施しに行っているのか。いやしかし、翔信からは香療術も全部禁止されてると聞いている。
であれば、なぜ。
「万里、もしかして亞妃様の――」
そこまで言ったところで、間に素早く翔信が滑り込んできた。
「月英、ここはまずいって。宮廷内だし、どこから御史台に漏れるか分かんないから」
「そうだった……接見禁止だ」
ぼそぼそと翔信に小声で呟かれ、月英も思わず辺りを見回してしまう。
向こう側に万里が見えているだけに、至極もどかしい。
「さ、行くよ」
未練がましく口をもごもごさせる月英を、翔信がこれ以上は、と肩に手を掛けた。
月英も諦めてその場を去ろうと、万里に背を向ける。
「月英!」
しかし、万里の声が月英を振り返らせた。
そして、万里の行動は周囲に困惑を与えた。
「え……なになに? どういうこと?」
万里は頭上で大きな円を描いたり、身体の横で振ったりと謎な動きをしていた。
手振り身振りというやつなのだが、無言でやっているから見ている方からすれば何やってんだ状態。
「ちょ……万里……大丈夫か?」
思わず、傍観していただけの内侍官すらも口を挟んでいた。
しかし、翔信と内侍官が困惑の目を向ける中、月英だけは違った。
「ハッ!」
「いや、月英……『ハッ!』じゃなくて。というかこれではっとする? どこで?」
月英も万里と同じように無言で肘を叩いたり、首を揺らしたりして応答する。
そして最後に満足げな表情で頷くと、万里も達成感あふれる表情で頷いた。
「いや嘘でしょ。何が通じ合ったの。これで何が分かるんだよ? もう二人の間には言葉は要らないってか? ばかやろう、どこの恋人だよ羨ましいんだよ」
理解を超越した二人に、翔信の情緒が崩壊していた。
内侍官はただ静かに目を閉ざしていた。
「さあ、翔信殿! ここは大丈夫みたいですから行きましょう!」
「お前、さっきまでガニ股でカニの真似してたの覚えてるからな。そんな格好付けてもガニ股で歩いてたの忘れないからな。どういった意思疎通をすればカニが出てくるんだよ」
「カニ? そんなことより、茶心堂へ急ぎますよ」
「もうやだ……ついてけない……」
泣き言を言う翔信の手を引っ張って、月英は茶心堂へと急いだ。
遠ざかっていく小さな背中を、万里は安堵した眼差しで見送っていた。
元同僚が隣で「お前ってそんな奴だったか」と若干引き気味の声を漏らしつつ、内侍省へと戻ったのを確認し、万里は思い切り背伸びした。
「さて、アイツの元気も確認できたし。俺もやることをやらないとな!」
不安が晴れ、久々の清々しさを胸に後華殿を出た瞬間だった。
「目と目で通じ合う、か……ほう?」
声に驚いて横を向けば、殿柱の陰に背の高い男が立っていた。
背に流れる髪は、いっぺんの混じりけもない黒色。身に纏う袍には金糸の刺繍が施され、佇んでいるだけで香り立つ色香。
「ぉ……ぁあぁ……っ」
男の顔がゆっくりとこちらを向く。
この国一の白皙の美貌が微笑んでいた。
「少し話をしようか……月英の恋人殿」
美丈夫――燕明の額に立った青筋を見て、聡い万里はこの後の自分の命運を察した。




