3-9 香療師1と2は頑張る
――ってことは、万里も今香療術を使えない状況なんだ。
せっかく香療師になって、やれることが少しずつ増えてきたというのに、申し訳なさでいっぱいになってくる。
――ああ、せめて御史台の人達が、精油を日陰で保管してくれていると良いなあ。
あまり期待できないが。
どうやら、無事に香療房に戻れたとしても、すぐに香療術再開とはいかなそうだ。
「ああ、それなら私のところの茶葉を使おう。この間返品された茉莉花の残りと、香りの強い茶葉を混ぜてみたら良いんじゃないかい。きっと素人には分からないだろうさ」
「本当ですか! 助かります」
「とすると、やはり当時と同じ状況がいいとして、問題は朱朱だが……そこは私がなんとかするとしよう」
朱朱の名を聞いて、月英と翔信はすばやく首をすくめて肩の間に収納する。
「ど、どうしたんだい二人とも? 亀みたいになって」
「すみません、条件反射で」
「あと一回でもされたら、男としての何かが折れそうなんで」
押しかける度に、問答無用で猫のように首根っこを掴まれ、放り投げられてきた過去の体験によるものであった。
「それにしても、鄒央さん。どうしてここまで僕たちを手伝ってくれるんですか?」
彼も被害者側だというのに。
「言っておくが、今回の件は私も被害者だからね」
「ええ、それはそうですよね。本当に、申し訳なく――」
「違う」
下げようとした月英の頭を、鄒央の手が押しとどめていた。
額に手を当てられ、そのまま下げかけた顔をグググと持ち上げられる。
「月英くんからは何もされてないよ。私は、犯人から! 被害を受けたんだ」
途端に眉を逆立て、手をわななかせる鄒央。
「私の取り扱う大事な品に、犯人は何てことをしてくれたんだ! 商人はなによりも信用が大切だってのに! チクショウめ!」
わななかせていた手で拳を握り、空を切るように鋭く天へと突き上げる。
まるで、見えない犯人を殴り上げているようだ。
「正直、自分の手で捕まえて、しごき倒してやりたいほどあるね!」
翔信と月英は、「あばばばば」と指を噛みながら鄒央の変わりようを見守る。
「御史台も御史台さ! 本当の犯人を捕まえるのが役目じゃないのか!? 状況証拠で安易に犯人を決めつけおって。情けないねえ!」
どうやら鄒央は鄒鈴と同じく、喋っている内に次第に興奮するたちのようだ。普段は温厚な鄒央の目が炎を吹いている。
「だが! そこは商人の私の出る幕ではない。裁きは専門家に任せるとしよう。しかし、もし裁きが甘味屋の団子より甘い物だったら、その時はこちらで手を打たせてもらおう。王都商人の信用を傷つけたんだ。相応の代償を払ってもらわねばね。ああ、そうだ。その際は商工会の連中にも手伝ってもらうとするか」
鼻から大量の息を吐けば、少しは頭に上った熱も冷めたのか、鄒央は大にしていた声をいつもの穏やかなものへと戻していた。
しかし、言っていることは不穏極まりない。
「が、頑張って真犯人を捕まえますね」
「ぜ、善処します」
月英と翔信は口端をひきつらせて、不細工な笑みを向けた。
「ああ、頼んだよ。二人とも」
二人の肩に置かれた鄒王の手は、謎の重みがあった。
決して王都商人は怒らせないようにしようと、二人は目でうなずき合った。
◆◆◆
「どぉですかぁ? 春万里様」
芙蓉宮の奥に据えられた炊事場に、ひょこっと鄒鈴が顔を覗かせた。
彼女が様子を窺った対象――万里は額に汗を垂らしながら、真剣な目つきで玻璃瓶を見つめている。
「多分……今度こそ上手くできてるはずですが……」
語尾についた『が』という言葉が、彼の心内を如実に表わしてた。
眉宇に不安を表わし、垂れる汗も拭かず、ひたすら一滴一滴落ちる雫を見守る万里。
今度こそという言葉から分かるとおり、彼は芙蓉宮の竈で精油作りを始めて、幾度かの失敗を繰り返している。
「前回は間違って花まで葉と一緒に鍋に入れたから、香りが粗雑になってた。今度は花を全部取り除いたし、何度も必要な部位を確認したから大丈夫だと……」
やはり語尾にはまだ憂いが残る。
万里は傍の台に広げてある本を覗き込んだ。
真剣な目で記された文字を追いながら、呪文のようにブツブツと同じ部分を繰り返す。
頁の最後まで読み終われば、万里の瞳はもう一度最初へと戻って、同じく最後まで滑っていく。鄒鈴が様子を見に来てからもそれは続けられており、この短時間でかれこれ同じ動きを三回は繰り返している。
相当に不安なのだろう。
「春万里様」
すると、そこへ芙蓉宮の主が、襦裙の裾をするりと引きながら入ってきた。
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