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【書籍化】碧玉の男装香療師は、ふしぎな癒やし術で宮廷医官になりました。  作者: 巻村 螢
第三部 碧玉の男装香療師は、国を滅亡させる!?

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3-2 オホホホホ! わたくしを誰だと思って!(第三者視点)

 亞妃が口にした名は、万里のぐちゃぐちゃに散乱していた思考に中心を与えた。

 身体の中に一本の矢を突き立てられたように、そこを中心として急速に思考がまとまっていく。


「それとも、一言余計やぶへび男……とでもお呼びした方がよろしいでしょうか?」


 亞妃が目元で微笑んでいた。

 それはいつもの皮肉ったものではなく、純粋なただの笑み。


「ふざけんなですよ。オレは……オレは、香療師の春万里ですからね!」


 今、自分のやるべきことがハッキリと定まった。


「香療術ができない香療師なんて笑いぐさだもんな」


 空になった香療房を元に戻す必要がある。

 いつでもすぐに再開できるようにするために。


「でも、道具が……いや、たとえ道具があっても精油作り自体が禁止されてる中じゃ、見つかった瞬間オレも投獄されかねねぇし……あークソッ! 竈一つまともに使えやしねえ!」


 今、香療房の中には何も残っていない。すべて押さえられ、鍋一つないのだ。


「医薬房……は一緒だ。食膳処も厳しいだろうな。冷浸法なら……ってダメだな。最後はやっぱり蒸留が必要になってくるし、いっそ実家で……」


 ぶつぶつと一人、万里は竈が使えそうな場所を探す。

 すると、亞妃の控えめな咳払いが聞こえた。


「これは独り言なのですが」


 そう言う亞妃の声は、しっかりと万里の耳まで届く大きさだ。


「それぞれの妃妾の宮には竈が備えられていまして。ああ、元内侍官様ならご存じでしたでしょうけど」


 万里の眼がみるみる大きく開いた。

 わざわざ独り言と前置きして、すまし顔で手を差し伸べている目の前の姫に、万里の口元も自ずと弧を描く。


「お姫様……いえ、亞妃様。お願いがあります」


 万里は居住まいを正し、亞妃に向けて拱手を仰ぐ。


「芙蓉宮の竈を貸していただけませんでしょうか」


 そうすれば、冷浸法の精油だけでも作れる。


「竈だけでよろしいのですか」

「そりゃあ道具もあったら助かりますけど。でも、香療術の道具は変わったものが多くてですね……」


 だから、冷浸法で作れるものだけをと思ったのだ。

 蒸留法の道具には、豚の胃袋やら玻璃管やら変わったものが多く、すぐに揃えるのは難しいだろうと。


「わたくしを誰だと思っているのです」


 しかし、亞妃は余裕のある笑みを見せた。


「白国の姫であり陛下の第三妃ですよ。望んで手に入らないものはありませんわ」


 思わず万里は噴き出した。


「随分とまあ、図太くなって」

「そう生きろと教わりましたから」


 誰に、とは口にしなくても良かった。

 きっと今、脳裏に思い描いている者の姿は同じなのだから。





        ◆◆◆



 

 静かに執務室に入ってきた藩季に、燕明は視線と一緒に声を向ける。


「それで月英の様子は」

「刑部の官吏と一緒に、何度も問題の起こった店を訪ねているのですが……」

「が……上手くいっていないという顔だな」


 藩季は肩を竦めることで是認とする。

 燕明は月英が投獄されたと知ったときから、密かに藩季を月英の護衛に付けていた。


「本当ならば俺自身が動きたいところだが……」

「こればかりはどうにもなりませんからね」

「権力と自由は併存しない……か」


「もどかしいな」と、燕明は拳を握った。


「茶に毒、なあ。しかもこれが月英の作った移香茶だという。王都に出回っている茶の量を考えれば、故意に移香茶が狙われた可能性が高いな」


 ただ店や客を苦しめたいのなら、もっと流通量の多い茶を選ぶはずだ。

 わざわざ出始めで量も少ない移香茶だけにたまたま毒が盛られたとは、楽観的に考えても偶然とは言いづらいだろう。


「香療術を城下にも、と広げようとした矢先でしたね」


 燕明の拳を握る掌に爪が食い込む。


「なぜあいつばかり、こうも問題が降りかかるんだ。俺は月英にこんな思いをさせるために宮廷に入れたんじゃない。少しでも……幸せになってくれたらと……っ」


 あまりに悲惨な生い立ちの月英。

 彼女は、国が作り出してしまった不幸を凝縮させたような者だった。


「もう充分だろう、あいつが苦しむのは……。あいつにはただ笑って自分の思うとおりに生きてほしいだけなのに。どうして皆邪魔をするんだ」

「良くも悪くも彼女は誰よりも特別ですからね」


 目立ってしまうのだろう。

 こと、碧い瞳を露わにしている宮廷内では特に。


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