第98話
冒険者学園都市は、この世界で最も大きい学術研究都市である。
塔都市そのものが学園を中心に構成されており、その周囲には城下町さながらの居住生活区が広大に広がっている。
その広さはトロアナ市の約3倍以上にもなり、まさに圧巻の一言だ。
この学園は古代エルフであるウォン・ウェルスによって、800年以上前に設立された。
それそのものが高位古代遺物である『塔』や、周囲に数多く埋もれる古代遺跡の探索・研究といった目的で、ウォンとその支持者たちが研究拠点を作ったのがその前身となっている。
研究拠点として必然的に依頼件数が増加したこの拠点には、自然に冒険者や探索者が集まり、定住するものが徐々に増加していった。
人が集まれば、金が動く──拠点では商店を開く者が続々と現れ、それに伴って付近の平野では農耕や牧畜を営む者もあらわれはじめた。
そうして、この場所は気が付けば立派な小都市といえる規模になり、それから長い長い時間をかけて、巨大な都市『冒険者学園都市』となったのである。
現在は、学術だけでなく、冒険者や探索者の一大育成機関としての側面も大きく、それを志す者の登竜門として第二層大陸にその名前が知れ渡っている。
広大で豊かな第二層大陸の冒険者ギルドの本部もここにあり、学園は個々の適正に合わせた訓練や実習、そして依頼を生徒に提供しており、在籍する生徒たちは冒険者としての実績を積むことだ出来るようになっている……らしい。
……全部ルリエーンの受け売りだ。
俺はここがとにかくすごいということしかわからない。
そんな冒険者学園都市の外縁部、商業区の北にある酒場兼宿『六子亭』に僕たち一行はいる。
ルーピンたちがよく使うこの酒場兼宿はなかなか小奇麗で、清潔なベッドと温かな食事が塔攻略と一連のトラブルに疲れた僕たちの心を癒してくれた。
「奥に行こうぜぇ。その方が気兼ねしねぇしな」
ルーピンに促され、僕たちは奥の個室の席に腰を下ろす。
着席を確認したのか、丘小人の給仕がすぐさま注文を取りに来た。
「全員に冷えたエールを。あと、料理を適当にいくつか持ってきてくれ」
「かしこまりました」
ケイブの注文をさっとメモした給仕は一礼して個室を出ていき、その後すぐに全員分のエールと海産物の煮つけ、揚げ鳥、大盛になったサラダ、山盛りのポテトフライを乗せたカートを持って現れた。
なかなか、仕事が早い。
軽く礼を言いながら、ケイブが千ラカ緑貨をそっと給仕に握らせる。
おそらく人払いを頼んだのだろう。
一礼した給仕は、しっかりと扉を閉じて退出した。
扉が閉じられたことを確認したルーピンは、小さくうなずくと「んじゃ、塔の踏破を祝して乾杯と行こうじゃねぇか」とジョッキを掲げた。
「「かんぱい」」
勢いにまかせて、僕も普段は口にしないエールをちびりとやる。
第二層大陸のエールは酸味があまりなく、甘くてコクのある味だった。
「で、坊主。これからどうすんだ?」
「まずはこの都市で、準備と情報収集をして『白の教団』の総本山へ向かいます」
「場所わかるのかよ?」
“探索の羅針盤”を取り出して机に置く。
それを小さくつかんで、ミカちゃんや大和田……『次元重複現象』に同じくして巻き込まれたと思われる面々の方向を順に表示させる。
「方角は……西ですね」
ほぼ全員が冒険者学園都市の西を指していることがわかった。
何人かは方向が違ったが、『白の教団』から離れたか、あるいはその指示で大和田の様にほかの地域で動いてるメンバーだろうとあたりをつける。
「西方面に向かえば、とりあえずはなんとかなりそうです」
「便利なもんだな、その魔法道具は」
ルーピンはまじまじとコンパスを見やる。
世界にそういくつもない正真正銘の高位古代遺物であるから、自然と目がいってしまうのは仕方がない。
「えぇ、これを探すところから僕の冒険は始まったんです」
大量の財宝の中からね、という言葉を飲み込みながら僕は苦笑いした。
黒竜王のねぐらはまだちゃんと片付いているのだろうか、などと軽く心配になった。
「なんにせよ、『白の教団』には気を付けることだ。新興宗教にしては勢いがありすぎる」
ケイブが渋い顔をしている。
「拙者たちもついて行きたいところでござるが……」
「第三層大陸にちょーっと用事が残ってるのよねぇ。しかも急ぎのヤツが」
ゴモンとミーネが心底残念そうな顔をしている。
「ありがとうございます。第二層大陸に無事到着できただけで、もう十二分に助かってますよ」
正直な気持ちを、素直に口に出す。
自分とルリエーンだけでは、こんなに早く第二層大陸に到着することはできなかった。
本当に感謝してもしきれない。
「でも、ユウ。あのオオワダってヤツの話だと『白の教団』のかなり高位な役職にそのミカって子がいるんだよね? 簡単に会えるの?」
「そのために大和田君を先行させたんだけどね。それに見知った顔も多いはずだから何とかならないかな、と思ってるんだけど」
あの時、この世界に転移した人間は、直接目視できただけでもざっと二十人くらいいたはずだ。
ともすれば『神聖変異』を受け取った、『白の教団』高位にある人間がそれだけいるはず。
問題はそのほとんどのメンバーは、僕とあまり仲が良くないということだが。
「あと、並行して元の世界に戻る方法を見つけなければないけませんしね」
「ソイツがが一番難しいだろうな。前例があったとしても……帰っちまったんだから記録が残ってなさそうだ」
「『渡り歩く者』の中には帰還能力を持った人もいたらしいんです。根気よく探しますよ。こちらに関しては『鬼灯兵団』にも依頼していますし」
ザイゲンの心配はもっともだ。
しかし、何もしないわけにはいかない。
「あとは、お主の同郷の者たちがどういう状況にあるかが問題でござるな」
ゴモンが静かに問う。
まさに、その通りだ。
『白の教団』が本当に『渡り歩く者』のための互助的な組織なら問題はなかった。
しかし、サー・イボロの件を見るにどう考えても危険なカルト教団なのは間違いないだろうし、僕が疑っている例の邪神が関わっている可能性は否定できない。
『白き部屋』を訪れたクラスメートたち全員が、穢れに汚染されている可能性だってある。
──当然、ミカちゃんもだ。
一旦、悪性変異化してしまえば、サー・イボロの時と同様、竜の炎を使って浄化するしかなくなるだろう。
そしてもう一つの、確信めいた可能性。
大和田はおそらく、すでに穢れに汚染されている。
あの攻撃性の増大や狂気に満ちた思考は、サー・イボロとの間に共通点を見出すことができる。
何が引き金となって悪性変異化するのかは不明だが、その危険性は十分にあった。
「とにかく、知り合いに会ってみないと何とも言えませんね」
「いいや、違うぞ。ユウ」
考えあぐねて答えた僕に、ケイブが強い視線を向ける。
「常に最悪の可能性を想定しておけ。そして、その時に何をすべきか何を選択するべきか……覚悟を決めておくんだ」
「最悪の……」
自分にとっての最悪――それはミカちゃんが悪性変異化することだ。
そのとき、僕は……止めることができるのだろうか?
「おい、ケイブのおっさん。言い過ぎだ。坊主、今すぐ答えを出そうとしなくてもいいんだぜ。でも、よーっく考えるこった」
「そう、ですね」
ルリエーンがそっと手を重ねてくる。
柔らかなぬくもりが、まだ起きてもいない絶望に沈みそうになる僕の心を引き戻す。
「ありがとう、ルー。大丈夫だよ」
「ええ、ミカさんに会いに行きましょう。大丈夫、フラれたって私がいるじゃない?」
と、いたずらっぽい笑みを浮かべる。
それを聞いたルーピンが「おいおい、聞き捨てならねーな!」と顔を真っ赤にし、それを肴にミーネはエールをあおっていた。
『ザ・サード』との宴は夜遅くまで続いた。