ゆまり -後日譚-
仕事関係で知り合ったその女性は人付き合いが苦手な人だった。その女性は10人が10人振り向く程に綺麗だったり可愛いと言う訳でも無い。別にその人を好きだとかいう気持ちが私にある訳では無い。特段興味があった訳でも無い。ただただ何かに惹きつけられるようにして私は彼女を居酒屋に誘った。その際、少し強引な誘い方もあってか彼女は乗り気では無かったものの、不承不承と言った様子で誘いを受けてくれた。私としては互いに40歳を超えての独り身という事もあり、それなりに色気のある話でも出来るかと期待したが、終始俯き加減に話す彼女からはあまり明るい話は聞けなかった。
今まで彼女は男性と深く付き合った事は無かったと言う。彼女と付き合う直前だったり直後だったりに、殆どの男は原因不明の病気になりこの世を去ると言う。私はそんな小説のような話がある訳ないだろうとその話を本気で信じる事は無かったが、本気で心配している彼女を安心させるべく、「俺は決して君の元を去らない」と冗談交じりに言ってみた。私のそんな言葉に彼女は力無く笑った。
その力無い笑顔に私は少なからず動揺した。自慢では無いが私は数多くの女性と付き合ってきた。その中でも彼女は異質な存在であり、私が今までに付き合った事の無いタイプの女性であった。楽しいはずの会話の中でも時折不穏なワードを口にする。そんな彼女に薄らとではあるが闇が見え隠れする。そんな彼女に多少なりとも興味も沸き始め、軽い気持ちで「俺と付き合わない?」と言ってみた。そんな私の軽い言葉に彼女は暫し沈黙した後、「……いいよ」と、俯きながらに上目遣いで言った。
その翌日、彼女が体調を崩し病院に運ばれたと言う。私は彼女が心配になり直ぐに病院へと見舞いに行った。何が原因なのかを彼女や医者に尋ねてみるも原因は不明という事だった。前日に何かしたのかと聞いてみるも、いつものように料理をしていて味見していたところ、急に具合が悪くなり救急車を呼んだと言う事だった。私は何か持病でもあるのかと心配したが、その日の晩には体調が回復したと言う事で翌日退院となった。彼女が退院する際、私は彼女に付き添って病院から家まで送って行く事にした。そしてそのまま彼女の住むアパートへと招き入れられた。
「お見舞いのお礼代わりに手料理を御馳走させてくれる?」
彼女は赤と白のハート柄を象ったエプロンを慣れた手つきで以って身に着けながらそう言って、私はそれを喜んで受け入れた。とはいえ退院したての病み上がりでもある事からも、簡単な物で良いよと一言付け加えた。
「じゃあそっちの部屋で適当に座ってテレビでも見ててよ」
私は彼女の言葉に従い、決して広くはないそのアパートの中、8畳程のフローリングの部屋へと入り込んだ。初めて入った彼女のその部屋はピンク一色といった様相で、私は目がチカチカして慣れるまでに時間を要した。部屋の中央には丸い小さなガラステーブルが鎮座し、壁際にはそれがどこで売っているのか聞きたくなる程にハートマークだらけのピンクの布団が掛けられたシングルベッド。その布団の上にはハート形のクッションが2つ。彼女は随分とハートマークが好きなようだった。
壁には洋服、いや、衣装と言った方が正しいのだろうか。ゴスロリと言われるカラフルな衣装が所狭しと掛けられていた。その壁の一部には1メートル四方のコルクボードが掛けられ所狭しと写真が貼ってあった。見るとそれら全ての写真は彼女1人が映る写真だった。
猫耳を付け手を丸く招き猫の様なポーズを取る彼女、パステルカラーのドレスを纏って両手でブーケを持った彼女、メイドさんの格好で竹箒を手にした彼女。そして壁にかかったゴスロリの各種衣装で写る写真がずらりと貼られていた。私が目にしていた普段の彼女は長い黒髪を下ろすか後ろで1本に束ねているかという髪型。だが写真に写る全ての彼女はツインテールであった。それが本来の彼女の髪型なのかもしれない。
そして私の目はとある1枚の写真に留まった。恐らくはこの部屋で撮られたであろうその写真。小さなガラステーブルの上にはカットチーズと皿に乗った一切れのメロン。それら越しに体育座りで俯くツインテールの彼女が映った何ともシュールな1枚の写真。その写真には黄色い文字で以って『メロンとチーズとぼっちな私』と書かれてあった。
ひょっとしたら見てはいけない写真だっただろうかと思うも見てしまった以上は仕方がない。しかし何とも形容しがたいその文言。これは「詩人だね」とかの言葉で褒めるべきなのだろうかと悩むも、そもそもそれに触れて良いのかが分からない。私は何故だかその写真に闇を感じた。だがそれが闇だとするならば、それは相対的に彼女を輝かせているとも言える。
更に気になった事がある。それらの写真は一体誰が撮ったのであろうか。1人でタイマーモードで撮ったのだろうか。その事が気にはなったがそれも触れてはいけない事かも知れないと聞く事は出来なかった。そういえば自分1人が映る写真のみを自分の部屋に飾る女性を私は初めて目にした。それは何とも言えない不安が過った。だが見方を変えれば、それはそれで可愛いのかもなと思い直す。私はそれらの写真を見ている内に思わず顔がニヤけてしまった。
それから10分程が経過した後、「さあどうぞ。沢山あるから一杯食べてね」と、笑顔の彼女が大きめの器を手に私の前へとやってきた。その笑顔は正に太陽のように輝くほどに可愛く思えたと同時にとても愛おしく思えた、守りたいと思えた、その笑顔をいつまでも見ていたいと思った。具体的な何かでは無いが彼女には闇のオーラが見え隠れする。その闇の中、余計に太陽の様な笑顔が一層際立つように見えた。
私はここでようやく気が付いた。否、気付かぬ振りをしていただけかもしれない。そう、私は今になって彼女の事が本当に好きなのだと気が付いた。きっと初めて会話をした時から好きだったのかも知れない。最初は軽い気持ちで彼女に声を掛けたつもりであったが、その時既に私は彼女に惹かれていたのだろう。その気持ちに気付いた途端に2人でいる事が急に恥ずかしくなり体中が熱くなるのを感じた。今迄も多くの女性と付き合ってきたがこんな気持ちになるのは初めてだ。であるならばちゃんと彼女に伝えたいと、私は食事を終えた後に彼女に正式に告白しようと決めた。
そして私の目の前に運ばれた彼女の手料理は「お礼」と称した彼女の気持ちが籠った物であるはずなので「要らない」とは決して言えない物。日本では和洋中という料理の大カテゴリがあり、それ以外を多国籍料理などと言う事もある。私もそれなりに色々な国の料理を食べてきた自負もあるし知識もある。勿論イタリアンやフレンチも食してきた。だが私の目の前にはそのどれにも当てはまらない未知の世界が広がっていた。
彼女が持ってきた白い大きな器。その器の中には彼女の太陽のような笑顔とは真逆と言える程の地獄が広がっていた。それは人が食べて良い物なのだろうかと頭を巡らせる。否、人を含めた生きとし生ける物が口にしては駄目な物としか思えない。器の中のその「何か」は私に対して牙を剥いているようにしか見えない。手料理として私が食べるのではなく、私が食べられてしまうのではと戦慄すら覚える。湯気と共に立ち上るその香りが私の鼻腔に突き刺さる。それはドブの匂いだろうか、汚水の匂いだろうか。一瞬に気を失いそうになるも歯を食いしばりながら意識を保つ事に集中する。
私は息を止め、顔を近づけ目を見開きつつそれが何であるのか注意深く見たが、それは一見して口にしてはいけない物であると分かる程度で原材料が何かすら見当もつかない。とはいえ見ているだけでは意味は無い。私の傍に腰を降ろしている彼女から「温かい内に食べてね」という言葉が私を地獄の底へと誘う。私は深く深く深呼吸をした後、意を決して箸を手に、器の中からその「何か」を掬いあげると口の中へと運んだ。
私は目の前の景色が歪むと同時に瞬間的に意識が飛びそうになった。だがそれがとてつもなく危険だと体が悲鳴を挙げた為にかろうじて意識を保つ事が出来ていた。いっそ意識を失っていた方が楽だったのかも知れない。意識があればそれを食べ続けなければならない。
私はここでようやく思い至った。彼女が体調不良になった原因。それはまさに自分の手料理を食べたからに相違ないのだろう。普段の自分の手料理には耐性や免疫が出来ていたが、新しくチャレンジする料理にはまだ耐性も免疫も出来ておらずに流石の彼女も体調を崩したと言う事なのだろう。そして彼女は私を崖っぷちへと追い詰める言葉を口にする。
「沢山あるから一杯食べてね」
その言葉は「最後の晩餐だからね」と聞こえた。とはいえ私は「僕は決して君の元を去らない」と彼女に誓った。その時には半分冗談ではあったが誓った事は間違いない。私は力の限り意識を保つ事だけに全神経を集中させ、笑顔を作り出すと共に二口目を口の中へと運んだ。
まさしくそれは「最期の晩餐」と言える物だった。私は意識が遠のき始めるのを感じた。私の全力を以ってしても意識を保つ事は出来なかった。そこでようやく合点がいく。彼女の元を去って行ったという男達はこういう理由で去って行ったのだなと。
『殺される程に愛されたい。殺したい程に愛したい』
ふとそんな言葉が脳裏に浮かぶ。別に彼女が意図的にそんな殺人的な料理を男に出しているとは露程にも思っていない。彼女からすれば精一杯のおもてなしだというのは私には分かる。彼女の存在と彼女の魅力、そして彼女の料理を総合的に表すとすれば、ふと思いついたそんな言葉が似合うのかも知れない。
今際の際へと追いやられた私はもうすぐ終わってしまうであろうが、彼女を好きであるという気持ちに嘘は無い。それと同時に彼女が幸せになる事を願ってやまない。彼女の手料理を美味しく食べられる男が現れる事を願ってやまない。そうでなければ彼女が不遇すぎる。それを知る術は存在しないが、きっと過去彼女の元を去った男達も私と同じ気持ちであったであろう。
彼女が悪い訳ではないのだ。私を含む倒れた男達が彼女の料理を食べれなかっただけだ。むしろ彼女の料理を食べられなくて申し訳ない。そしていつかきっと彼女の料理に耐性と免疫を持つ見知らぬ男が現れるのだろう。そう思うとその男が羨ましくもあり妬ましくも思う。
とはいえそんな確証があろうはずも無い。それは儚い程に遠い夢なのかも知れない。ならば一番いい方法はと薄れゆく意識の中で考える。そして思いついたが言葉を発する事も出来ない程に私の意識は遠のき、開かれているはずの私の目は視野が段々と狭まり暗くなり、傍にいるはずの彼女の姿が見えない程になっていた。私は最期の力を振り絞り、その見えない目で以って訴えかける。
「ゆまり、君はもうキッチンに立たないでおくれ。きっとそれが君の幸せにも繋がり、皆の幸せに繋がる事になるのだから」
2020年01月06日 2版 転生譚に繋がる様に構成変更文言追加
2019年12月31日 初版