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8 破壊期

◇◇◇



 その夜。

 自室のベッドの上で頭まで布団を被り、リージェンは大きな溜息をついた。


 何かがおかしいとは薄々感じていた。

 人にしては特異な色彩に、食事のあといつの間にか歪んでいる食器。

 思えば、気づくきっかけはいくらでもあった。それでも、生まれ変わっても当たり前に、ただの“人”の生が続いていくんだ、と。そう思い込んでいた。


(思い込みは僕の悪い癖ですね。…改善していかないと)


 もう一度溜息をつく。

 けれど、これには人間(それ)以外の選択肢を知らなかったことも大きい。エルフやドワーフ、天使、魔族などの異種族が実在すると知ったのは、神核界(この世界)に生まれて、色々な本に触れてからだ。


(……まあ、名前ぐらいなら知っていましたが)


 よくアパートに押し掛けては一方的に語り倒し、漫画や小説(ラノベ)を置いていった親友の顔が浮かぶ。はぁ、と、これまでとは毛色の違う息をついた。


 カリナンに住まうこの一族は、『亜竜(ありゅう)族』と呼ばれている。

 群を抜いた怪力と、上質で豊富な魔力。500年は生きるという長い寿命。何より、(ドラゴン)のものによく似た黄色の瞳。

 それらをすべて物語るのが、“亜竜”という称号である──


 リージェンはあの後、両親からそう教わった。力加減ができずうっかり周りの物を壊してしまう“破壊期”も、亜竜族の幼児の特徴だそう。マヴィルが言った通り、誰もが経験するらしい。


(でも、精神年齢は16+αのはずなのに……癪です)


 頬を膨らませて、寝返りをうつ。

 年相応の舌っ足らずな言葉遣いに、肉体に引っ張られているのか時々制御が効かなくなる自我。その2つでも十分苦労していたのに、物理的な影響まで加わるなんて、とふて腐れた。

 昼間はなんだか、フレンに距離を取られていたような気までした。


 芋虫状態からのそのそ這い出て、リージェンは手のひらを眺める。暗くてよく見えないけれど、まだ小さいその手は()()となんら大きな違いはない。まだ、自分が“人”ではないことが信じられなかった。

 仰向けになりながら、ふとつぶやく。


(……そういえば、あのムカデがそんなに怖くなかったことも関係があるんでしょうか)


 初めて魔物に遭遇した日、自分は確かに恐怖した。でもそれは、“死の気配”のみに向けられたもの。たまに庭で小さなムカデを見かけても慌てることはないし、なんなら素手でつまみ出すことだってできる。


(でも、人外になったからといって心まで影響がでるとは思えません。……以前もムカデはよく見かけてましたし、まあ、きっと慣れでしょう)


 もう一度寝返りをうつと、すぐに眠気がやってくる。その心地よい波に身を任せ、リージェンはすっと意識を落とした。



 翌朝。

 いつものように着替えを持ち、両親の部屋に行こうとして、リージェンはある異変に気がついた。ドアノブの色が変わっている。ちょうど昨日、書斎に付け替えられていたものと同じ銀色だ。


(昨日の夜はまだ変わってませんでしたよ、ね……?)


 いつの間に、と首を傾げつつ手をかける。同時に昨日の失態を思い出し、慎重に慎重に取っ手を握り込んだ。


 カチリ、と途中で何かに阻まれる。


「あ、れ?」


 立て付けが悪いのか、ノブが異様に堅い。ためしにもう一度捻っても、扉はうんともすんとも言わなかった。静かな朝の部屋に、時計の針の音がやけに大きく響く。


 どうしようか、とリージェンは扉を前に思案する。今の力加減では開きそうにない。だったら、ともう一回取ってを掴む。堅い部分に差し掛かったところで、徐々に力を強めた。

 あと少し、というところで金属が唸り声を上げ始める。リージェンは嫌な予感を察知した。


──…………後で、謝ろう。


 悩んだ末にそう決意して、手首の動きを進める。ガキョンッ! と盛大な音が鳴って、手のひらに金属塊がゴロリと転げ落ちた。

 いかにも呆気なく扉が開く。その向こうで、自身を起こしに来たであろうジークと目が合った。


「おはよう」

「あ……おはようございます。とうさま、その、」

「お、ちゃんと作動しているね」

「……へ?」


 全くもって予想外な言葉に、リージェンは目を丸くした。その手から、根本から折れた取っ手を受け取って、ジークは扉を指さす。


「これは魔力で動く“魔道具”になっているんだ。ほらココ、紫色の水晶があるだろう? これがこの魔道具の“魔術核”で──…あ、まだ早いか。

 とりあえずこれを持って、手をかざしてごらん」


 扉に残った部分を見ると、確かに水晶が嵌まっている。もう一度ドアノブを手渡されて、リージェンは言われるがままに手をかざす。


 すると──何かが抜け出ていく感覚と共に、手の中のものが硬さを失った。


「え?」


 見ると、金属塊がドロリと溶けて、扉の取っ手部分に引き付けられている。銀色の液体は瞬く間にリージェンの手を離れて、元と同じ形に収まった。

 恐る恐る爪ではじくと、金属特有の甲高い音がした。


 目の間で起きた、“奇跡”にも似た出来事に、リージェンは「すごい」と感嘆をこぼした。

 ジークはそれを聞いて、得意げに笑う。


「だろう? これと同じものが、今は家じゅうにある。だから──ゆっくりでいいから、力加減を覚えていこう」


 慈愛に満ちた目の下には、うっすら隈が見える。

 リージェンはグッと背を伸ばして、大きく返事をした。



 着替えを手助けしてもらい、父と共に居間(リビング)に向かうと、そこには母と兄の他に見慣れない人影があった。

 最近見たような、あのポニーテールは──


「まゔぃる、さん?」

「はい、リージェン様。おはようございます」


 舌足らずなリージェンに、マヴィルは爽やかな笑みを向ける。昨日よりずいぶんラフな格好の彼女は、とても仕事の報告をしに来たようには見えない。それに、警備隊の仕事は主に外での見回りだと以前ジークが言っていた。

 なのにどうして、と尋ねる前に、リージェンに、ユリウスが抱きついた。


「マヴィルがね、今日からうちで働くことになったんだって!」


 彼にしては珍しく、弾んだ声。頬を上気させて、弟を抱えてぐるぐる回る。

 その足元では、フレンがリージェンを避けつつ器用に踊り狂っていた。


 ユリウスの喜びように、少し照れた様子でマヴィルは言った。


「その……このたび、人手を雇いたいとのことで、僭越ながら応募させていただきました。ユリウス様、リージェン様の成長をそばで見守れること、嬉しく思います。

 これから、よろしくお願いいたしますね」


 深々と頭を下げて、はにかむ。彼女に、ユリウスは「よろしくね!」と天使のような笑顔を浮かべた。


「おねがいします」


 目を回しながら、リージェンも言う。


 さ、朝ごはんにしましょうか、とルナリアが声をかけた。

 領主の屋敷に、新たな仲間がひとり、加わった。



『そうかそうか、無事に破壊期を迎えたか!』


 ぼんやり光を放つ水晶玉の向こう。快活さと貫禄を併せ持つ声が、喜色に満ちる。


『生まれる前に死んでもおかしくない、と聞いた時はどうなるかと思ったが……元気に育っているようで何よりだ。些か、元気が良すぎる気もするがな』


 まさか1発であの魔道具を破壊するとは、と声が言う。


『まあ、それも良し。むしろ、我らには丁度いい刺激だ。点検用の魔法銀液は足りているか?』

「貯蓄は十分あります。それでも足りなくなったら、またご連絡いたしますね」

『あいわかった。……しかし、聞けば聞くほど興味深いな、その子ども。ユリウスの方もかなり特異だったが、それとは別の異質さがある。

 一体、何が眠っているのやら』


 笑っているのだろう、水晶玉から押し殺すような声が聞こえてくる。その、“獰猛”とも取れる笑みを思い浮かべて──ジークは少し、身震いをした。


『“確魂(かっこん)の儀”はいつだ? …2年後か。待ち遠しいな』

「ええ。……少し、怖くはありますが」

『なに、他でもないお前たちの子だ。心配はないだろう。重要なのはどう育つか、だ。

 さて、黄金と成るか、黒に転じて雪と散るか──楽しみに待つとしよう』


 水晶玉の繋がる先は、“郷”と呼ばれる魔法仕掛けの絶海の孤島。

 その最奥で──古老エルナリエトは、尊大に笑った。


 ◇◇


 季節は、あっという間に過ぎてゆく。


 大樹海は紅葉の最盛期を迎え、リージェンの5歳の誕生日が刻々と近づいていることを示していた。


 亜竜族において、5歳という年齢は特別な意味があるらしく、ジークとルナリアは何やら準備に追われていた。特にルナリアはここ最近、地下の工房に入り浸りである。そのため、家事に雑用にとマヴィルが存分に力を奮っていた。


 父の仕事場である書斎も、怪しげな巻物や晶石が入った箱に侵食されている。リージェンはいつもより狭く感じる部屋の隅で、分厚い本を読んでいた。


 文字が読めるようになったリージェンが目を付けたのは、図鑑や百科事典。特に、絵つきの魔物図鑑がお気に入りだった。


(“蜈蚣(センティピード)”……あの時のムカデですか。ええと、なになに?

『…強靭な顎と無数の脚をもつ、第Ⅲ位階1類に属する土棲の魔物。体格に見合わず俊敏で、歯に毒があり、また頭・胴部を覆う装甲がたいへん硬いため短時間かつ真正面からの討伐は困難。脚をひとつひとつ潰し、水魔法で窒息させるなどして討伐するのが安全…』

 ああ、だからあの冒険者(人たち)はすぐに切りかからなかったんですね。…………ん?)


 記述と記憶に大きな矛盾があった気がして、リージェンははてと首をかしげる。けれどすぐ、内容に没頭した。幼い竜は、貪欲に知識を求め続ける。

 それに──書類の山から顔を上げたジークが待ったをかけた。


「リージェン、目が疲れるから今日はそのぐらいにしておきなさい」

「むぅ……じゃあ、このページまで読んで終わりにします」


 ジークが言っても、往生際悪く図鑑にしがみつく。そんな様子に、彼はやれやれと眉を下げて、次の策を講じ始める。

 その時、ユリウスが人形のフレンを連れて書斎に入ってきた。


「リージェン、今日のおやつはクッキーだって」

「今すぐ行きます!」


 その声を聞いた途端、ぱたりと本を閉じた。顔には満面の笑み。いつものことながら素晴らしい反射速度である。甘味にだけは目がない我が息子に、ジークは苦笑した。そして声の方を向いて、一言かける。


「ありがとうね、ユリウス」

「お礼なら母さんに言ってあげて。リージェンを本から引き剥がすためにわざわざ焼いてくれたんだから。リージェンも、ちゃんとお礼を言うんだよ?」

「はいっ!」

「ああリージェン、扉は丁寧に──」


 嬉しさのあまりドアに突撃していたリージェンは父の言葉に一瞬振り向き、それから正面を見て「あ」と間抜けな声を漏らした。


 直後、木と金属とが捻じれた悲鳴を上げる。

 一拍置いて、盛大な衝撃音が屋敷中を震わせた。


「…開けないと、大変なことになる、って言いたかったんだけど……」


 遅かったね、と伸ばしかけた手を降ろすジーク。ユリウスはあちゃー、と口を覆う。同じ材質でできているからか、フレンはブルブル震えながら主の後ろに避難した。きっと、階下では箒を手にしたマヴィルがまたか、と呟いているのだろう。

 状況を理解して、リージェンはサッと青ざめた。


 10秒も経たずに、階段を駆け上がる音が聞こえてくる。

 リージェンは慌ててドアの骸から降り、すぐに正座の構えをとった。


 破壊期というのは、亜竜族の幼児が力加減を覚えていく過程を指す。そのため、本来なら1年足らずで収まるものだ。

 しかし、前世の感覚を覚えているからなのか何なのか、リージェンのそれは一向に治らず、そろそろ3年目を迎えようとしている。そればかりか被害は取っ手に留まらず、扉を支える蝶番へと拡大し、1か月前には扉そのものが破壊されたほどである。

 今回は幸いにも、蝶番だけで済んだようだった。


「……リージェン」


 妙に静かな声が書斎に響く。声の主を見上げるリージェンの背を、冷たいものが流れた。


「ごめんなさい……」


 謝るリージェンに、彼女はそっとかがんで目線を合わせる。それから、ごく自然な動作で手を伸ばした。

 反射的に、目をつむる。


 ところが、いつまでたっても衝撃は来ない。それどころか、頭に心地よい感覚。思わず目をあけると、ルナリアは微笑んでいた。


「いいのよ。どうにもならないことは仕方ないわ。()()()()()()()()()()()()。ところで…………魔術や魔法って、便利よね」


 ふっ、と会話の流れが変わる。


「怪我も治せるし、(ドラゴン)だって倒せる。もちろん、曲がった金属も元に戻せるの、知ってるわよね。

 でも、魔術は予め準備が必要だし、リージェン(あなた)はまだ小さいから魔法は使えないわ」


 そういう()()()だから、と言いながら優しく頭を撫でる。拳骨のひとつを覚悟していたリージェンは、へ、と間抜けな声を漏らした。


(これは、今までなかったパターンです……)


 蝶番が無惨に壊れて、倒れた扉。その隣でルナリアに頭を撫でられながら、これから何が起こるのかと戦々恐々とする。

 それから、自分の犠牲になったドアの数を思い出して、心の中で頭を抱えた。


(確か、今月に入って5回目……。もう少し気をつけるべきでした)


 後悔するも、時すでに遅し。

 ルナリアが、言葉を続ける。


「でも、魔力は使えるわ。魔力は魔法や魔術を発動するためだけのものじゃない。上手く操れば、何だってできるのよ?

 だから……はい、」


 女神のような笑顔のルナリアが、リージェンにある物を渡した。

 亜竜族であっても、子供にはやや重い、それら。


 恐る恐る、手の上に視線をやる。そこに乗せられていたのは、金槌と釘。それと、今しがたリージェンによってねじ曲げられた蝶番。

 リージェンはドアの屍を見て、次にルナリアの目を見た。やわらかな笑みが返される。また、手のひらに乗った物を見て、再びルナリアの目を見た。


「魔力を使った金属の結合方法を教えてあげるわ。そのあと立て付けしましょうか。

 さ、工房で特訓するわよ、リージェン」


 ルナリアは、先ほどと変わらず微笑んでいる。

 その眼だけが、『はい』としか言わせない迫力を湛えているのが、とても恐ろしかった。


 抵抗する意志もなく、リージェンは首根っこをつままれた子猫のように引きずられていく。その様子を見ていたユリウスは、うわぁ、と小さく零した。

 ルナリアの足がピタリと止まる。


「ユリウス、あなたもいらっしゃい。“郷”に行く前に魔力の応用法を知っておいた方が身のためよ」

「えっ」


 完全な巻き添えである。その衝撃が伝わったのか、肩の上のフレンが脱力し滑り落ちた。

 ユリウスは視線を彷徨わせたあと、助けを求めて父の方を見やった。リージェンも、ジークを見つめる。


 しばしの間、沈黙が降りた。


「……さぁて、僕は確魂(かっこん)の儀に使うものを集めないとだ」


 そう言って、手元の紙をひらひらと振る。兄弟は顔を見合わせ、がっくりとうなだれた。

 ルナリアは満足げに頷く。


「ええ、お願いするわ。行くわよリージェン、ユリウス。フレンちゃんもよ」


 ただの人形のごとく転がっていたフレンは、飛び上がった。『なんでなんで!?』とばかりにせわしなく動くのを、ユリウスがひょいと拾い上げる。

 そのまま、2人と1体は地下室に連行されていった。


「ああなったルナリアは厳しいんだよね……」


 ずっと隣で彼女を見てきたジークは、苦く笑う。それから一面にずらりと並んだ素材の項目を見て、僕も頑張らなきゃだね、と呟いた。


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