5 旅立ち
後で少し修正します。
◇◇◇
少年の言葉を少しずつ噛み砕き、ゆっくり飲み込んで、健二はひとつまばたきをする。
少年の言ったことは衝撃的だったが、一応は理解できた。しかし、意味が分からない。
自分に向けられた言葉だということも、もちろん理解している。だが健二には、分からないことが多すぎるゆえに、どこか他人事のよう感じられた。
「ソの手助けに……と言っては何ダけど。キミに、頼みたいコとがあるんだ。ホラ、ひトまず目的があれば生きル理由も見つけやすいだろ?」
キャパオーバーを起こしかけている健二などお構いなしに、少年は話を進めていく。
「いま、神核界ハとても不安定な状態にアる。詳しくは長くなるカら省くけど……キミにはそれヲ治す手助けをしてもラいたいんだ。
でもしばらくノ間は、そんなこと考えずニ新たな生を楽しんでほしいナ。かわいい人間の幸セは、神の望みでもあるかラねっ!」
ばちこーんっ☆ とウィンクをきめる少年。
健二の彼を見る目が、徐々に冷ややかになっていく。同時に、混乱から抜け出した脳内にある疑問が浮かんだ。
それは、最初から、確実に感じていた違和感。
健二はそれを、何の迷いもなく口にした。
「……あの、何というか。さっきから聞いてると、転生するのが前提になっていません? 僕は一度も承諾してないんですが」
首をかしげて純粋な瞳を向ける健二に、今度は少年がピシリと固まった。
よほど予想外の質問だったのか、数秒の硬直のあとロボットのようにぎこちなく体を動かす。
そして、焦った様子で健二に詰め寄った。
「──エっ、何で!? ここは転生する流れじゃないの?!」
「お断りします。流れで大事なことを決めたくないので」
「しっかりしテるね?! あっそうだ、向こうニは魔法があルんだよ、魔法。手品じゃなイ方のマジックが! ソういうの好きデしょキミたち!!」
「そういう娯楽には縁が無かったので、興味ないです。というかその話、初耳なんですが」
「まァそりゃ、言って無カったかラね。ねーネー健二クーン、これを期ニ興味持ってミないかい?」
「結構です」
「えエーー!? 困るよぉ~~!!
……ン?」
ふいに、騒がしかった少年が顔を上げる。
2、3回まばたきをして、上から下へ、右から左へと視線を動かす。
そして、ある場所を目で捉えて、少年はふっと表情を緩めた。
「……ああ、なンだ。そこに居るんダろ? 出ておいでよ」
「あら、バレちゃったわぁ♪ 結構、見つからない自信はあったのだけど」
どこからか、可憐な声が響く。
とぷん、と水面が揺れる音と共に、健二たちの頭上に一点の黒が差した。
白い空間に突如現れた異物は、インクのように周囲を侵食していく。
ほどなくして、重厚な漆黒の扉が形造られた。
その威厳と高貴をそなえた佇まいは、まるで最初からここにあったような錯覚を抱かせる。
蝶番が軋む音と共に、ゆっくり扉が開かれた。
「はは、ナーに。キミのこトは何でもわかルからね、“マリー”」
「まあ! 嬉しいわぁ」
中から、夜空色の長い髪をなびかせた一人の少女が降りてくる。少年は彼女に、愛しさいっぱいの笑みを向けた。
「紹介スるよ、彼女はマリー。ボクと同ジ神様で……ボクの奥さんサ」
嬉しそうにはにかんで、少女…マリーは彼の隣にそっと降り立つ。そうして、たおやかに微笑んだ。
「こんにちは、愛しい子。会えて嬉しいわぁ」
今にも溶けそうな真っ赤な瞳が、まっすぐに健二を見る。
黒衣に身を包む彼女は、少年と同じ年頃に見えた。少年を太陽にたとえるなら、この少女は月だろうか。
無邪気さと、しっとりした雰囲気を併せ持つ彼女に、健二は見とれた。
「…初めまして、仁科健二です」
軽く会釈をする。マリーは僅かに目を見開き、何事もなかったかのように、にっこり笑った。
「──、えぇ、初めまして。それで……このひとからは、どこまで聞いたのかしらぁ」
「ええと…? 世界のバランスが崩れているってことと……生きながら死んでしまうだろう、ってところまで…です」
言ってから、質問の意図がよく分かっていない健二は首をひねる。
その様子を見たマリーはなるほどねぇ、とつぶやき、その大きな眼を瞬かせた。
瞬間、健二の意識が遠のく。
ホワイトアウトではなく、ブラックアウトの感覚。
何を、と尋ねる前に、マリーが驚きの表情を浮かべた。
「まぁ……! アナタったら、一番大切なところを話していないのね」
「─アっ。い、いや忘れてたワけじゃないんだヨ? ただちょ~っと、気乗リしなかっただけで……本当ダからね?」
「もう……ワタシが話すわねぇ」
分かりやすく動揺する少年に、困ったように笑って、それから彼女は健二に向き直る。
「貴方が転生する理由だけど……貴方の魂は元々、神核界にあったものなの。それがある日、ワタシたちの不注意のせいで地球へ転がり落ちてしまった。
……だから、こちらへは“帰る”と言う方が正しいわぁ。最初は戸惑うだろうけど……きっと、あちらよりも住み心地が良いはずよ」
そう締めくくって、微笑む。
彼女が話した内容は今までで一番突飛だったが、それ以上に納得のいく説明だった。さしたる混乱もないまま、むしろ人によってこんなに違うんだな、と思う余裕さえある。
すると、少年が横から口をはさんだ。
「そうそう! 元々こっちの存在はあっちと相性が悪いし、それにキミの魂はただでさえ厄を引き寄せやすいからね! こっちで生きた方がずっと安全なんだ」
「いや、それを先に言ってくださいよ……」
じっとりした視線を向けて、深いため息をつく。
その息継ぎが終わるころ。健二は「あ」と何かが腑に落ちたように手をうった。
「…と、いうことは。毎日何かしらの物が降ってきたのは、それが原因……?」
「へぇー! そんなことがあったのかい。興味深いね」
十数年来の謎が判明した瞬間である。
少年は楽しそうな予兆を感じとったのか、無邪気に目を輝かせた。健二はそんな彼に、他にも、と言いかけて。
ふと、ある可能性に辿り着いてしまった。
(……まさか)
鼓動なくしたはずの心臓が、嫌な音をたてたような気がした。
考えれば考えるほど、体の芯が急速に温度を忘れていく。
ハ、と短く息を吸って、今にも消え入りそうな声で、言った。
「じゃあ…父さんと母さんが死んだのも、僕のせい、ですか……?」
悲鳴のような、か細い声がまっさらな空間にこだまする。
先ほどまで和やかだった彼らの空気は、色を失い僅かに震えた。
とっさに少年が何かを言いかけて、やめる。
ふたりの顔を見るのが恐ろしくて、健二は下を向いた。
沈黙は、一番残酷な肯定だ。
(僕の魂が原因なら、)
また不幸を引き寄せて、家族を、周囲を巻き込む。生きる世界が変わったところで、結果は同じだろう。
だったら、そんなのはもう……いやだ。
「……やっぱり、新しい生なんて考えられません」
そう、ポツリと零した。
再び長い沈黙が降りる。
そこで──マリーが口を開いた。
「……そうね、否定はできないわぁ」
そう言って、マリーは健二の頭に手を伸ばす。
健二の黒髪に、彼女の白い指が触れた。
「っ、マリー」
少年の短い静止に微笑みだけを返して、次の句を紡ぐ。
「貴方の魂は、特殊な形をしている。それゆえに、色々なものを引き寄せてしまうの。不幸だってそう。詳しいことは後々分かるでしょうけど……でもそれは、あくまであちらの場合よ。ね、アナタ?」
「あ、ああ。キミのそれは、神核界で大きな力になるんだ。まあ……その分、こちら自体が危険だったりするんだけど。キミなら、キミ以外の命も保証できるさ」
少年の言葉に頷いて、マリーはつぶやいた。
「それと……あの子達も納得しているから、気に病まないでちょうだいな」
ね? と、彼女は意味ありげにほほ笑む。
その意図を理解する前に、健二に、少年が問いかけた。
「さて。どうする、健二クン?」
また、あお色の奥のひし形が、健二を覗き込む。
マリーの真紅の眼も、穏やかに彼を見ていた。
深呼吸をひとつして、青と赤、ふたつの瞳に視線の上に立つ。
「……ひとつ、確認させてください」
「何ダい?」
「先ほどの……世界を治す、というのは、僕以外にもできますか」
「いいや、無理さ。コのボクでさえ不可能に近イよ」
それを聞いて健二は、彼らをまっすぐ見た。
そして、躊躇いがちに、しかし確かに頷く。
「──僕に、できるなら」
「ありがとう、健二クン」
少年がそう口にした瞬間、健二の視界が白く歪んだ。
次第に光があふれて、塗りつぶされていく。
薄れゆく景色の向こうで、少年の姿かたちをした“神”と、神の器をもつ少女がほほ笑んだ。
「いっテらっしゃい、ボクらノ愛し子。しばらくは帰ッて来なくていいかラねー!」
「貴方の旅路に、祝福を。きっと素敵な出会いがたくさんあるわ、楽しんでねぇ!」
健二の意識が、完全に落ちる直前。
少年は「あ」、と口を開けた。
「そウだ! 言い忘レてたけど、****とはチゃんと――く―……!!」
その叫びが健二に伝わったかは、定かではない。
◇◇◇
健二を見送って、少年とマリーは顔を見合わせる。
ふたりとも、安心しきった表情だった。
「行っタね」
「えぇ。これでようやく……っ、」
「おっと」
ぐらり、とマリーの体が傾く。少年は、倒れこむ彼女を支えようとして。
彼女の胴に回した腕が、スルリと通り抜けた。
「うっそォ!?」
咄嗟に全身を使って抱き留める。
しかし、バランスは完全に崩れたまま。少年を下にして、ふたりはなすすべもなく倒れこんだ。
純白の羽が、舞う。
少年のあおい瞳に、延々と続く白い空が映る。
綺麗だな、と柄でもない感想を抱いて、それから少年は苦笑した。
「いヤー……、鍛える必要がアるね、これは」
「……ごめんなさい、アナタ」
「良いのサ、だいたい予想できテたし。ま、ボクの方は予想外だったケど。
それと……ありがとね、二人とモ」
折り重なるマリーと少年の傍らには、2人の人物。
1人は、色とりどりの宝石で彩られた杖を持った女。もう1人、筋骨隆々の男は、直接ふたりを抱えている。
彼の筋力と、女の杖から発せられる不思議な光で、少年たちはギリギリのところで支えられていた。
2人そろって一礼して、女の方が口を開く。
「間に合ったようで何よりです、主様、奥方様。……あ、見つかっちゃいましたね」
内緒の予定だったのに、と女は頬をかく。その背中で、白い翼がわさっと揺れた。
彼女だけではない、男の背にも、鳥のような翼がある。
天使族と呼ばれる、少年の眷属。
彼らはその中でも、“神”直々に護衛を任されるほどの実力者。本来なら、片時も警戒を解かず神のそばに付き従うのが役目だ。
だが、今回は例外だった。
「まっタく、マリーもキミたちも……来ちゃダメって、言ったジゃないか」
そう言いながらも、彼の表情は柔らかい。
一方、叱られたはずの3人は目を配せ合い、特に女性陣は「だって、」と頬を膨らませた。
「アナタばっかり覚えられて、ずるいもの」
「私たちだって、楽しみにしてたんですからねっ」
男も、2人に同意するように何度も首を振る。
彼らの熱い抗議に、少年は降参だと肩をすくめた。
側仕えの力を借りて、ふたりは起き上がる。
まだ心なしか足元がおぼつかないマリーには、少年が肩を貸した。
さて戻ろうか、と言う少年を、天使の女が呼び止める。
「主様。何故、彼の記憶をそのままにしたのですか? ここでの会話以外白紙化してしまえば、新しい生で“以前”を引きずることもない、と思うのですが……」
「何故、っテ……うーん」
少年の煮え切らない返答に、女は己の指先を握る。
マリーはそれを目ざとく見つけて、女の手をそっと、自身のそれと重ね合わせた。
「あの子が、心配なのねぇ」
「……はい」
男も、コクリと頷く。6つの真摯な瞳を受けて、少年はは観念したようにため息を吐いた。
「キミたちにそこまで言わレちゃ仕方ないね。
ほら、あノ子の人生、絶対に色々あるだロ? そこで、地球で培った未来予測じみタ危機感知能力を思う存分使ってもらおうと思ってね。
それニ──」
そこまで言って、神は何かを懐かしむように、柔らかい笑みを浮かべた。
「そっちの方が面白イ。そう思わないカい?」