4 神の願い
◇◇◇
「マあまあ、そンな怖い顔しなイでよ」
少年はそう笑って、しかめっ面の健二の頬をつまむ。
「ほら、スマイルスマイル!」と頬をみょいんみょいん引き伸ばされながら、健二は怪訝な視線を少年に向けた。それを華麗にスルーして、彼は続ける。
「キミには、ボクたちガ直接管理する世界に転生しテもらいたいンだ。“神核界”ってイうんだけど……まア、知らないヨね」
目線の問いかけに、健二は顔の手を押しのけながら無言で頷く。
少年は言葉を探すようにいったん目を閉じて、それからピン、と人差し指を立てた。
「キミにも分かリやすく言うト、神核界は“超重要”な世界さ。なんせ神の心臓の役割ヲ持つからね。ココがダメになルと、ボクとボクに連なるモノが全て死んデ、無くなっちャう」
さらりと言い放たれた事実に、健二は「え、」と動揺を零した。まばたきひとつできないまま、問う。
「全部、ですか……?」
「ウン、全部。神核界もこノ空間も、もちろんキミが暮らしていた世界だってソう。……ま、これは“最悪の事態”ダ。余程のことがナい限りありえなイから、安心してくれたマえ?」
そう笑って、少年はまた健二に手を伸ばす。
嫌な予感を察知して一歩引いた直後、健二の口の前で彼の手が空を掴んだ。まさか躱されると思っていなかったのか、少年は目を丸くする。それも束の間、ニヤリと笑って…健二の頬を本格的に狙いだした。
意外にも俊敏な少年の手が、健二の柔らかほっぺに迫る。それを後ずさることでギリギリ躱しながら、健二は何だこの茶番、と悪態をついた。
膠着する状況にしびれを切らしたのか、少年は口を尖らせる。
「あーもー、何で避けルのさ!」
「地味に痛いんですよ、それ。……ひとつ、お聞きしたいんですが」
「ン~~? なん、だいっ」
「何で、そこまで転生を勧めるんですか?」
「うーん、そウだね……」
少年の足が止まる。それを見て、疲れ始めていた健二は密かに胸をなでおろした。
そんな彼をよそに、少年は思案するように口元に手をやる。
「…とコろでキミさ、生まレ変わったらやリたいことっテ、何かあるカい?」
何でもないような問いかけだった。世間話の途中にふと浮かんだ、とでも言わんばかりの、あまりにも脈絡のない質問。
肩透かしをくらったようで、健二は数秒言葉を失う。いきなり何ですか、という抗議は少年の真剣な眼差しに飲み込まれた。
つかみどころのない笑顔とは裏腹に、健二を見つめるあおい瞳は恐ろしいほど澄んでいる。
落ち着いた声で、少年は重ねて問う。
「タとえば生きる目的とカ、何でも良いンだ。あ、でモ自分の為のものだけネ」
それだけ言って、少年は黙った。戸惑う健二に救いを差しのべる者は、誰もいない。
不気味なほどの沈黙に促されるまま、健二は口を開いた。
「別に、特別なことはありません。僕は、今まで通り家族を守れればそれで──」
「ソレは、本当に自分ノためのものなのカい?」
そう言われて、ハッと息をのんだ。
顔を上げると、少年の目がこちらを見ている。口元にだけ笑みを湛えて、健二を試すように見ていた。
嘘や建前すらも、許されないような気がした。
「……わかり、ません」
健二の額を、大粒の汗がつたう。
本当は頷けるはずだった。
家族に悲しい目に遭ってほしくない、家族を守りたい、という気持ちは紛れもない本心で、健二の望みだ。
──だが、脳の片隅にある“もしも”の不安が邪魔をする。
目の奥で、再び赤がよみがえった。
わかりやすく狼狽えた健二を見て、少年はやっぱりそうか、と呟いた。
「…すみません」
「いヤ、謝る必要はナいさ。まだ生まれル前だし、ワかんなくて当然とーゼん。こっちコそ、変な聞き方してごメんよ」
先ほどの真剣さを捨てて、少年はにこやかに笑みを浮かべる。
一歩進んで、まだ青ざめたままの健二の顔をムニっとつまんだ。今度は、優しく励ますように。
そしてまた、内緒話をするように声を落とす。
「……たダ、これだけハ言っておきたクて。
良イかい? 次に会う時マでに、“やりたいこと”ヲ見つけておいデ。キミの為だけノ、或いは一生追い求めラれるような、何カを。
厳しいこトを言うようだケど、でナいとキミは生きながらニ死んでしまウだろうカら」
そう言い終えて、少年は満足気に手を下ろした。