表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/15

2 地上ではない、どこか

◇◇◇



 気づけば、一面の青に包まれていた。


 溺れているかのような息苦しさに、冷たいようでどこか暖かい、不思議な感覚。

 何ともいえない心地よさに、だんだん“自分”の輪郭が溶けていく。


 自我が完全に霧散しそうな、その時。



「───、」



 ささやくような、懐かしい誰かの声がした。



(──え?)



 微睡んでいた意識が、一気に冴えていく。


 この声を、逃がしてはいけない。そんな焦りにも似た意思が、彼を突き動かした。

 寝起きのようなけだるさの中、必死に声の元を探す。



(いた……!)



 目星をつけた途端纏わりつく、海とも空とも違う()()。それを無我夢中でかき分けて、進む。


 あと少しで影に触れる。

 そう確信を持った瞬間、大きな圧力が加わった。

 上にあがることも叶わぬまま、水に押し込められるように流される。奔流に逆らおうともがいても、どんどん声は離れていく。



(待って、教えて。あなたは、まさか──)



 完全に見えなくなる前。

 そのシルエットはふっ、と優しく笑ったような気がした。



 手を伸ばしたまま、深く深く沈んでいく。

 声の正体を確かめる術は既になく、もはや抗う必要もない。腕が、静かに下ろされた。


 視界が深い青に埋め尽くされる。意識が再び、暗闇へと落ちていった。



《──おいで》



 また、声がした。

 混濁した意識の中、今度ははっきりと言葉が届く。

 だれ、と疑問が言葉になる前に、押しつぶされそうな彼を誰かが拾い上げた。そのやけに細いくせに意外と芯のある手に、ただ身をゆだねる。


 水から引き上げられる感覚と共に、真っ白な光が健二を包んだ。




 ◇




 まぶた越しでもわかる、外界の眩しさ。


 しつこく目覚めを促すそれに、もう少し寝ていたい、と健二は無意識に顔を覆った。



「…………あれ、手……?」



 寝ぼけ眼で、至近距離のそれを動かす。握って開いて、また開いて。当たり前に見えるそれが、なぜか健二には無性におかしなことに思えた。

 どうして、と寝ぼけた頭で考えて。


 健二はやっと、自分が死んだことを思い出した。



「…あー、そうだった……」



 思考が徐々に冴えてくる。

 やけに冷たい背筋には、轢き潰された感触がまだありありと残っていた。その不快感に吐き気を感じて、健二は顔をしかめる。

 と、そこでまた違和感を覚えた。


 あらためて、目の前の腕を見つめる。



「…………ん?」



 見間違いかと目をこすっても、確かに腕は己の肉体の一部としてそこにある。



「……え? 死んだはずじゃ──ええっ?!」



 健二は勢いよく飛び起きた。


 脳内に、カーブミラーで見た自分の姿がよみがえる。叫びそうなのを抑えて、健二は恐る恐る自身を見下ろした。

 あらぬ方向に曲がっていた腕、折れていたはずの胴、肩から首、最後に顔。体のパーツを一通り触って確めて、ようやく健二は肩の力を抜いた。



「っはぁーーー、よかった……」



 幸い、どこも折れたり裂けたりしていない。

 轢かれた時と同じ制服姿に、安心したような、呆れたようなため息をつく。それから辺りを見回して、健二はなんだここ、と首を傾げた。


 上下左右、白が絶えることなく続いているだけの空間。明確な光源もないのに、確かなまばゆさに包まれている。しかし、体の下を覗くと影もなかった。

 暴力的なまでの白が、健二という異物を浮き彫りにしていく。


(──どうして、体と意識があるのか、疑問だったけど……そういうことか)


 この浮世離れした空間と、自分が死んだという揺るがない事実。これら2つを合わせれば、自然とこの異質な場所の正体がわかる。



「これが、死後の世界なんだ」



 呟いて、それ以外に何があるだろうか、と肩をすくめる。

 ここで『実は自分は助かって、どこかの実験施設に連れこられたのではないか』などと考えたら、それこそSF小説の読みすぎだ。健二の友人のように。

 あいにく健二にそんな趣味はないし、それを楽しむ余裕もなかった。



(本当に、終わったんだ。全部)



 まだボーっとする頭に、死の自覚は生まれてこない。逆に、こんなにあっさりしたものか、とすら感じていた。

 健二起き上がった体制のまま、残してきてしまった妹の周囲のことを思い浮かべてみる。そうすれば実感できるかもしれない、と考えてのことだった。



(ええと、高校の学費は……奨学金があるから大丈夫。当面の生活費は貯めてあったし、万が一を考えて巖谷(いわたに)の家に援助を頼んである。生命保険も降りるし、真奈実は優秀だからバイトもすぐ見つけられ……あ、もうやってたんだっけ。

 で、料理は…………大丈夫だ、あいつがいる)



 頭の中で指折り数えて、健二はうんうんと頷く。どう考えても、不安な要素はひとつとして浮かばない。

 もう一人で色々出来るようになったんだな、と誇らしい反面、健二は少しの寂しさを感じた。その中に、“悲しい”という感情はなかった。


 思考にひと区切りをつけて、健二は再び周囲を見渡す。

 辺りにはやはり何もなく、誰もいない。視界には少しも変わらない純白が、ただ横たわるだけだった。


 こんな場所で何をしていようか、と目を閉じた、その時。



「やア!!!」



 無邪気な声が、健二の耳を貫いた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ