8. 帰還
谷間を抜け、山脈を越えると、そこはザイーツの領地だった。山岳地帯は続いていたが、道は整備され、大型トラックでもなんとか通れるようになっていた。とはいえ楽に進んで行ける道ではなく、ゆっくりとした操縦は相変わらず続けていかざるを得なかった。
長い下りの山道を運転するのは、もっぱらルーガーの役目になった。トラックの操縦については、一行の誰もがルーガーの腕前に一目置くようになっていた。ある切り立った崖に差し掛かったときには、道が狭くて通れないとルーガーが言うと、荷揚げ班の連中が先に見えていた樹木を切り倒し、それを材料に路肩を補強して通れるようにするという具合だった。ドルイの方といえば助手席にふんぞり返ってその様子を眺めながら、にやにやと笑っている始末だった。しかしルーガーは、行程は楽になったというのに浮かない顔をしていた。ドルイはそんなルーガーの様子に気づいていたが、周りのザイーツの兵士たちの目があるので、何も言わずに黙っていた。
そうして三日三晩に渡って山道を下り、最後に森の中を抜け、一行はザイーツ軍の駐屯地に到着した。そこは町と隣り合わせになっていて、一般市民も一緒に暮らしているような場所だった。
ディカースと部下たち不正規活動軍は、駐屯地の連中の熱い歓迎を受けた。先発隊の連絡を受けて準備されていたと思われるクレーンを使って、大型トラックの荷台に載った荷物が、うやうやしく地面に降ろされた。ドルイとルーガーはそれを遠くから眺めていた。ザイーツの熱狂の輪に加わる気はなかったのだ。ドルイがルーガーに向かって言った。
「連中、あれを降ろしちまったぞ。いったいどうするつもりだろう」
「さあねえ。ここまで来たらもっと大きなフライヤーもあるだろうし、積み替えるんじゃないかな」
「なるほど、ということは話がしやすくなるな」
「何を考えているの?」
「まあ見てな」
ドルイはディカースを探した。彼は駐屯地の仕官用の建物にいた。入り口の歩哨が嫌な顔をしてドルイとルーガーを止めようとしたが、ディカースの方が招き入れたので、二人は中に入ることが出来た。ディカースは二人を個室に通すと、長椅子を示して座らせた。自分はテーブルの向こうの簡素な椅子に腰掛けた。ディカースは口を開いた。
「君たちには感謝しないとな。今回の任務は厳しかったが、君たちのお陰で大きな成果もあった」
「そいつはよかったな」
「犠牲もあったがね……。今回は百三十五人連れていったが、二十人が死んだ。優秀な部下を失うのは辛いことだ」
そう言ってディカースは顔を曇らせた。ドルイとルーガーは顔を見合わせた。ドルイは、百三十五人の中に自分たちは入っているのかと考えた。ルーガーは、殺した人数は二十人どころではないだろうと思った。しかし二人とも、考えを口に出さなかった。ドルイは椅子に深くもたれ掛かり、足を組んで話を切り出した。
「約束の見返りのことなんだがな」
「ああ、そうだな。そろそろ決める頃合か」
「おれたちからの要求は二つだ。金は要らないから、あのトラックを譲り受けたい。荷を降ろすところを見たぞ。もう必要ないんだろう?」
ディカースは眉を上げて言った。
「困った奴だな……。あれは貴重品だぞ、そう簡単には渡せない」
「あんなポンコツを引き取ろうって言うんだ。金額は釣り合ってると思うがね。もちろんおれたち二人分の額だ」
「ばか言っちゃいかん、釣り合っているとは到底言えないぞ。ただ、確かに君たちがいなければ成し遂げられなかったな……」
「もうひとつはメンレンに抜けられる通行手形が欲しい。ケレックには戻りたくないし、帝国へ行くのにフェベ経由も面倒だ。直接帝国に行きたいんだよ」
「そちらは簡単だ。きみたちが本当に帝国国民ならな」
「それは余計な心配ってもんだ。おれに言わせればザイーツの中を移動するほうがずっと怖いからな。ちゃんとメンレンまで行ける裏書が欲しいんだよ」
「問題ない。書類を整えて、私がサインしよう」
「いつ用意できる?」
「どうした? 急ぐのか?」
「別に。予定はきちんと決めておきたい性分でね」
ディカースは目を閉じて考え始めた。ドルイとルーガーはおとなしく待っていた。やがてディカースは目を開き、こう言った。
「よし、いいだろう。トラックは君たちにやろう。書類もすぐに用意できる。準備でき次第、出発してくれて構わんよ」
「そうこなくっちゃな! そういやザイーツってのは帝国の通貨は使えるのか? 両替も頼んだ方がいいのか?」
ディカースは笑いながら言った。
「問題ないよ。ただ色々面倒なことになるかもしれん。両替には及ばない、メンレンまで足りるぐらいのザイーツ貨は払ってやる」
「そいつはありがたい」
「そうだな、明日の朝もう一度会おう。それまでに用意を整えておくことにしよう。基地の東隣に町がある。宿があるから取るといい。いやまて……、こちらで部屋を用意するからそこへ泊まってくれ」
「わかった」
ドルイはそういって立ち上がったが、ディカースが制して言った。
「質問があるんだ。帝国に戻って、何をするのかね?」
「さあな、相棒と二人でよく考えるさ」
ドルイはルーガーに向かって顎をしゃくったが、ルーガーは無表情のまま何も言わなかった。ドルイはそれを見て鼻を鳴らしたが、構わずに先を続けた。
「まずはゆっくりトラックを修理して、それから運送屋でも始めるつもりだ。ただの運転手は飽きたからな」
「それはいい。君たちには似合いの仕事だと思うね」
「どういう意味だ?」
「これからも仲良くやっていきたいということさ。運送業を始めるというなら、仕事として色々頼みたいことがあるのだ」
「へえ、たとえばどんな?」
「分からん。ただいつか必ず頼みたいときが来る。そのときに当てになる人物が欲しいんだ。すばらしいトラックをやるというのだから、それぐらいいいだろう?」
ドルイはしばらく考えていたが、やがてこう言った。
「いいんじゃないかな。ただ言っとくが、料金はちゃんと払ってもらうぜ」
「よろしい、決まりだな」
ディカースは部下を呼んで、指示を耳打ちした。ドルイとルーガーは従卒に連れられ、隣町の宿に案内された。そこは田舎の町の民宿だったが、大きな浴槽と清潔なベッドがあって、二人は久しぶりにゆっくり休むことが出来た。翌朝駐屯地に行ってみると、ディカースは書類と路銀を渡してくれた。ドルイはディカースの目の前でそれを改めた挙句、無造作にズボンのポケットに突っ込んだ。
続いて、レトニがトラックを見せてくれた。
「燃料は満タンにしておいたけれど。修理とか整備とか、しなくてもいいの?」
ドルイはルーガーの方をちらりと見た。ルーガーは首を振った。
「大丈夫だよ、空荷なら問題ない」
「そうね、あなたならどこまでも行けるかも」
彼女はそういって、手を振って去っていった。ドルイはルーガーに向かって言った。
「お前、あいつに誘われてたろ」
「うん」
「どうしたんだよ」
「断ったよ」
ルーガーは運転席に座り、ドルイは助手席に収まった。操縦桿を前に倒すと、トラックはするすると前に進み始めた。
「道は分かるのか?」
「いいや、全然」
「まあとにかく東へ行くか」
「そうだね」
「こっちが東か?」
「うーん、だいたいそう」
二人は駐屯地から出て行くと、森へ続く道を見つけた。とにかくその場を離れたい一心で、ルーガーはトラックを前へ進めた。道は期待した通り、村から離れて森の奥へ続いていた。黙ったまま半刻ほど過ぎて、ようやくドルイが口を開いた。
「なあ、まだ怒ってるのか」
「いや、別に怒ってる訳じゃないんだ」
「そろそろ機嫌直せよ。とにかく無事にオサラバできたんだからさ」
「まだここはザイーツだからね。出国できないと機嫌よくはなれないなあ」
「それは言えてるな」
ドルイは腕組みをして考えてから言った。
「お前、あの荷が何だか見当がついたか?」
「いや。鉄の塊だってことぐらいしか分からなかった」
「あれはな、発電機なんだよ」
「発電機? タービンみたいなもの?」
「タービンとは違う。発電機っていうのは、銅線を巻いたコイルを組み合わせて作った、まあ確かに鉄の塊みたいなもんさ。だから途方もなく重いんだよ。あれをそう、水車とかタービンなんかに繋いで回すと電気が起きる。それでいろいろな機械を動かすってわけだ。あれだけのものだと、出力も相当なものだろうな」
「重い理由はよく分かったよ。それでますます憂鬱な気分だ」
「ザイーツに協力したのが嫌だったんだろう? 元軍人さんとしては」
ルーガーは図星を突かれて渋い顔を作った。ルーガーは国境警備隊に所属し、帝国とザイーツの境界を守っていた過去があった。そこで狡猾なザイーツの汚いやり口を散々見てきたのだ。ディカースやレトニやマーカンのような、一人ひとりの人間は個性のある面白い人物かもしれない。だが、結局彼らは命令があればどんな汚いことでもする軍人だ。ザイーツという国に対する嫌悪感は簡単には拭えない。ドルイはそんなルーガーの気持ちを充分理解した上で、皮肉っぽい口を叩くのだった。
「まあ百人隊長も、あれほどの土産を持ち帰って鼻が高いだろうよ。それがますます気に入らないっていう、お前の気持ちもよく分かる。でもまあ、よく考えてみろよ。こうしてトラックも手に入れたし、うまい具合に気に入られた。儲け話として割り切って、賢く振舞わないと損ってもんだろ。取引としちゃ、大成功さ」
「とりひき、ねえ」
ルーガーはぼんやりと、言われた言葉を繰り返した。
ドルイはそんなルーガーの横顔を、薄笑いを浮かべて眺めていたが、やがて運転席から身を乗り出して後ろを振り向いた。トラックの後に誰かいないか確認したのだ。
「あいつら、尾行してくると思うか?」
「どうかな、そんな手間はかけないよ。きっと途中の町や村にいる部隊に見張らせて、報告させるんじゃないかな」
「なるほど、そうだろうな。よし、お前にもうひとつ面白い話をしてやる。発電機ってのはコイルの固まりなんだ。コイルは銅線を巻いて出来てるんだ」
「コイルなら知ってるよ」
「まあよく聞けよ。その銅線っていうのは、途方もなく長いんだ。あの大きさだと、何百回も巻いたコイルがいくつも入ってる。まあ、絶縁と保護のために樹脂で固めちまうから丈夫にできてはいるんだが」
「ふうん」
「コイルってのは、実はとてもデリケートなんだ。たとえばこいつは熱に弱い。かーっと加熱すると、樹脂や被覆が溶けちまう。そうすると銅線同士が触れ合うことになる……絶縁が破れたら大変なことになるんだ。どうなるか知ってるか?」
「いや、よく分からないけれど」
「バチバチっとなる。最悪爆発だ、ちょっとした見物だぞ。おれは近くにいたくはないな……。いや、それは大袈裟かな。煙が出るだけかもしれない。まあとにかく、焦げ付いて使い物にならなくなる。そうなりゃスクラップさ、ただの鉄の塊だ、文字通りな」
ルーガーはしばらくうつむいていた。ドルイは何かをやったのだ。ドルイが何かしたとすれば、それは魔術使いの技を使ったに違いない。ドルイなら、手を触れずにモーターの中身を焼き切ることができるのだ。いったいいつやったんだろう?
ルーガーの表情に理解の色が浮かんだのを見て、ドルイは得意げに言った。
「ほんの少し傷を付けるだけでいいんだ。だがな、言っとくが、そんなに簡単じゃないんだぞ。どういう構造か、中身をよく知ってなきゃならないんだ」
「……ディカースがどんな顔をするのかは見てみたいけれど、確かに近くにいたくはないね」
「ははは! 十人隊長に降格されないといいけどな!」
二人は笑いあった。
「でもそれ、すぐにばれるんじゃない? 地の果てまでも追いかけられそうな気がする」
「連中には、何が問題か分からないと思うぜ」ドルイは考えて言った。「傷はほんの僅かなんだ。その場所を正確に見つけられないと、本当の原因は分からないはずだ。元々不良品だったのか、おれに傷物にされたのかの区別はつかないさ。だいたいあいつら、分解してまで原因を探ろうとするかな? そのまま溶鉱炉に突っ込んで、金属として再利用したほうが手っ取り早いよ。それにそんなこと、もうどうだっていいだろ?」
「分かった、分かったよ」
ルーガーは降参してそう言った。ドルイはもう一度笑って言った。
「よし。じゃあそろそろ戻るか。ディカースの目をくらますんだったら、早めにした方がいいからな」
「え? まさかケレックへ?」
「ああ、回れ右してケレックへ行くんだ。基地は避けていけよ」
「本気で言ってるの?」
「お前、道もロクに分からないのにザイーツを横断できると思うか? まあ、書類は本物だから行けるかもしれん。でも、いつ百人隊長の気が変わるか分かったもんじゃないだろ。それに百歩譲って横断できたとしてもだ、結局帝国側で止められちまうさ。お前なら分かるだろ」
ルーガーは眉をひそめて考えた。確かにその通りだ。自分が国境警備の担当だったら、こんなオンボロのトラックに乗った怪しい風体の二人組を簡単には通さない。
「でもどうやってケレックまで行こうっていうのさ」
「来た道を戻ればいい。森を抜け、山を越えてさ。ご丁寧にザイーツが作ってくれた道だ、活用しようぜ。お前、道は分かるだろう?」
「まあなんとか。でも連中と行き会ったら、やばいんじゃない?」
「あいつら戻ってきたばかりだぞ。すぐに出発すると思うか? まさか! キャンプを破壊してきたんだから、交代を送るのも先の話さ。だから、当面は安全だよ。それに邪魔する奴がいたら、今度は返り討ちにしてやる」
ルーガーは、トラックの元の持ち主のことを思い出して言った。
「でもケレック側もそんなに安全ではないよ」
ドルイはディカースの口調を真似て答えた。
「それはそのときに考えよう」