6. 斜面
翌朝、明るくなると同時に起き出した一行は、簡素な食事を腹に詰め込んで作業を始めた。
荷揚げ班は引き上げが必要になったときにどうやって作業をするか、下見に出かけていった。ドルイとルーガーはトラックの改造に取り掛かった。ドルイは露出させた安定板を見せながら、考えていたアイディアをルーガーに話した。しかしルーガーは悲鳴を上げた。
「うへぇ、これどうやって曲げるの? いったん全部取り外さないとだめじゃない?」
「安定板を持ってこうやって……」
「いやいや、それは触っちゃだめでしょ!」
「大丈夫だって、こいつは」
「いやいや、それは触っちゃだめなんだってば」
「お前が知らないだけだろ、これは触っても大丈夫なんだよ」
「髪の毛一本触れさせるなって言われたよ」
「なんだよお前、役に立たない知識ばっかり詰め込まれてきやがって。そんなんだから帝国ぐ……」
ドルイが言いかけると、ルーガーがさっと顔色を変えた。ドルイは慌てて言葉を飲み込んだ。
「……帝国のフライヤーギルドは石頭、って言われるんだよ。まあいい、とにかくこいつは大丈夫だ。やったことあるんだよ」
「わかったよ、そこまで言うなら、試してみようか」
「その青いところは触るなよ、爪が腐るからな」
「やっぱり触っちゃだめなんじゃないか!」
「その青い結晶だけはだめなんだよ、安定板は大丈夫だから」
「安定板は脆いから、力を掛けたら砕けちゃうって習ったんだよ」
「そんなにヤワじゃねえよ、ホントに大丈夫だって。それにそいつを梃子にするつもりはない」
ドルイとルーガーは散々議論を繰り広げた挙句、簡単な治具を作ってフレームを曲げてしまおうと結論付けた。工具箱をひっくり返したドルイは、レンチを三本組み合わせて奇妙な道具を作り上げた。
「これでこいつを引っ掛けてみたらどうだ……」
ドルイは爪を腐らせるという青い結晶を避けつつ、フレームに合わせて治具をがっちりとかみ合わせた。そして長く伸ばした棒の先に、更にパイプをつなぎ合わせ、長い梃子を作り上げた。ドルイはルーガーに向かって確認するように言った。
「あーっと、外に広げたいんだから、上へ押せばいいんだな?」
「そうだね」
「やるぞ」
「手伝うよ」
「あったり前だ。お前はこっち持てよ」
「ゆっくり持ち上げるようにね」
「よしいくぞ……」
二人がパイプを持ち上げると、手元に確かな手ごたえがあった。ドルイはいったん手を緩め、ルーガーにパイプを支えさせたまま、安定板の角度を確かめた。
「もうちょいだな」
二人はもう一度パイプを持ち上げた。今度はギリリ、と奥の方で音がした。治具とフレームが擦れ合う音だった。角度が変化したので、噛み合せも変わってしまうのだ。
「もう限界かも」
「もう一度測るから待ってろ」
ドルイが安定板の角度を確かめると、今度もまだわずかに足りないぐらいだった。
「もう一押しだな」
「ここまでにしておいた方がいいような気がする」
「うーん。試運転してみるか」
ドルイはパイプを外し、治具を取り外した。フレームの方を確認してみたが、擦れた傷があるだけで問題はなさそうだった。ドルイは安定板のカバーを戻そうとしたが、そこで問題が発生した。
「いけねえ、カバーが干渉してる」
「そりゃあ曲げちゃったからねえ……」
「無しでもイケるか」
「いや、カバーは必要だよ」
「くそ、面倒だな……。叩いて曲げたら覆えるかな?」
「平地に戻ったら角度を戻すんだよね、そうしたらまた戻さないとだめじゃないの?」
「いや、内側に曲げるときには干渉はしないだろ」
ドルイはぶつぶつ言いながら金槌を使って、安定板を覆えるようにカバーを加工した。それから二人は運転席へ這い上がって動力を入れた。トラックはゆっくりと係留状態になった。
「おっと」
ルーガーが操縦桿を握りながら、慌てて補正を始めた。ドルイが言っていた、回転の問題が現れたのだ。トラックの後部が斜面の山側へ流れるので、結果として横滑りしているように感じられた。それはわずかな変化だったが、係留できなくなるほど大きなぶれだった。ルーガーはバランスを保とうとしばらくの間格闘するはめになった。やがてコツを掴んできたが、口を突いて出たのは呪いの言葉だった。
「……これは面倒くさい」
「まあでも思ったとおりの効果はあったな」
「本当に斜面で効果があるのか分からない」
「いっぺん前に出てみろよ」
「これってさ、つづら折を折り返すときはどうするわけ?」
「後進するんだよ」
「飛び降りたくなってきたよ」
ルーガーはぶつぶついいながらも、斜面へトラックを乗り出した。そして、改造が思いのほかうまくいったことを実感した。横滑りなく、スムーズに前へ進むことができたのだ。
「これは驚いた」
「そらみたか!」
「やってみるもんだね」
「よし、これで問題は一つ片付いたな」
「まだ別の奴が残ってるけれどね……」
*
ルーガーの操縦で、大型トラックは慎重に斜面を進んでいった。正面へまっすぐではなく、斜面に対して斜めに進むので、ルーガーは操縦桿を常に掴んでいなければならなかった。ディカースは部下をトラックの周囲に配置して、危険な横滑りの兆候がないかを見張らせていた。ただ、彼らが何かを見つけたとして、やれることはほとんど何もなかった。ルーガーが自分でバランスを取るしか方法はないのだ。ルーガーは座席から伝わる感覚を頼りに、機体のバランスを図りながら前へ進めていった。
山の斜面は一定ではなく、きつくなったり緩くなったりする。それに合わせて、ルーガーは機体の方向を調整して対応した。そうすると自然に、機体はあちこち方向を変えることになる。それにつれてトラックは、徐々に経路を外れて下のほうへ流れていってしまった。ディカースが時折それを指摘して、ルーガーが補正するというのを繰り返すことになった。補正というのはすなわち、急な斜面を上へ登るということだ。その度に操縦は難しく、時間がかかることになった。
途中で大きな岩に出くわし、後ろへ下がるしかなくなった。ルーガーは嫌々ながら後退して、その岩をやりすごした。さらに急斜面を登ることになって、改造トラックでも横滑りが始まった。
「まずいなあ、これ」
「もうひとがんばりだ、入り口まではもう少しだ」
ディカースが励ますと、ドルイが口を挟んだ。
「後ろ側が流れるのを防ぐのに、ロープで引っ張るのはどうだ?」
「それ危なすぎるけど」
「何もしないよりマシだろ」
「いや、本当に危ないけど」
「人力で引くんだ、バランスは保てる」
「だからそれが危ないって言ってるんだって」
ルーガーは機体に人間が近づいて、それを轢いてしまいかねないのが怖くて言っているのだった。しかしそれを聞いた荷揚げ班の連中が、やろうと言い出した。ルーガーがその場に停車している間に、ロープを後部の角に結びつけ、五人がかりで引っ張るのだ。
「無理に引っ張らないで。流されたときに支えるぐらいで充分だから」
ルーガーは後ろへ叫びながら、ゆっくりとトラックを前に進めた。繋いだロープに体重を掛けるだけだが、それでも微妙なバランスが回復したおかげで、かなり進みやすくなった。しかし、もし機体が大きく滑ったりしたら、ロープを引いている人間たちを引きずり倒してしまうことになる。そうなったら怪我人が出るかもしれない。ルーガーはさらに神経を使うことになって、ますます汗をかき始めた。
「あーくそ、これは大変だ……」
ドルイが鼓舞して叫んだ。
「ぶつくさ言うな、ほらまた岩があるぞ。上へ登ったほうがいい」
「分かったよ、もう」
ルーガーとドルイ、ディカースと兵士たちは一丸になって、大型トラックを前へ前へと押し進めた。そしてその日の終わりになって、とうとう谷間の入り口前まで到達することができた。そこは平らな場所がどこにもなく、安定して着陸できそうな場所がどこにもなかった。ドルイが叫んだ。
「ルーガー、谷側に板を挟むからその上に着地させろ」
「本気で言ってんの?」
「やるしかないだろ」
「どこか見えないよ!」
「もう少し上だ!」
「どっち?」
「上だって言ってるだろ!」
「上ってどっち!?」
「山側だよ!」
ルーガーとドルイが苦戦しているのを見ながら、ディカースも部下たちと一緒になってロープを引いた。
「もっと強く引け! あと少しだ!」
疲れと興奮で怒りっぽくなった皆は、お互いに叫んだり怒鳴ったりしながら、トラックを何とか台の上に着地させた。歪んだ地面の上に降り立ったトラックは、荷台を大きく軋ませて止まった。
「うがー」
ルーガーは動力を切ると、そのまま操縦桿にもたれかかって動かなくなった。ドルイもその場に尻もちをついた。屈強な兵士たちも、さすがに疲れた顔をしていた。しかしディカースが命令を下すと、きびきびと休む準備を始めた。
*
食事を終えて夜になる頃、周囲は真っ暗闇に包まれた。明かりが使えない中、ルーガーとレトニは二人で斜面を這い回るようにして、支点に使えそうなものがないかを探し回った。トラックの重量と出力では、いくら改造を施してもこの斜面は登れない。ロープと滑車を使って、足りない出力を補うために人力で引っ張り上げる必要があるのだ。そのための足がかりがないかを探しているのだった。しかし二人はすぐにあきらめて言った。
「今朝も探したけれど、こんな岩場じゃ使えそうな物は何もないよ」
「そうだね……。せめて丸太の一本でもあればよかったんだけれど」
「あの谷間のキャンプはよかったわ。物資も豊富だったしね」
ほんの数日前のことだったが、レトニは懐かしいと言わんばかりの口調でそう言った。ルーガーは考え込んで言った。
「となると、小型トラックの方を谷間の入り口に停めて、あっちを支点にするしかないかなあ」
「そうね、そういうことになるね」
「重量は足りるかな」
「大丈夫だと思う。何なら小型フライヤーを荷台に積んでしまえば、もうちょっと重量を稼げるしね。それにどうせ人力じゃあ、あれを動かせるほどの力は出せないと思うよ」
「確かに、それはその通りかも」
ルーガーとレトニは、手探りで大型トラックのところへ戻った。運転席を覗いてみると、ドルイはもう眠り込んでいた。ルーガーは肩をすくめて、レトニの方を見た。
「ロープは大丈夫かな」
ルーガーはロープの強度について質問したつもりだった。しかしレトニは長さについて聞かれたと思った。
「まあ、ぎりぎり足りるかな」
ルーガーはその返事を聞いて、少しの間考えを巡らせた。もしロープが切れたらどうなるだろう? トラックが横転するか、最悪の場合は谷から落ちるかもしれない。そうなる前に飛び降りることができればいいが、いかに危険を察知するか、だろう。それなら自分が用心していればいいいのだ……。
「まあ、ここでくよくよ考えても仕方ないかな」
「そうねえ、引っ張ってみれば分かることよ」
ルーガーはあくびが出てきたので、トラックの操縦席に上がった。レトニは小声でお休みを言うと、仲間が固まっている方へ歩いていった。