3. 谷間
ルーガーは計器をひっきりなしにチェックし、温度と圧力が異常を示さないよう慎重に操縦した。そもそも夜の暗闇の中で、ライトの明かりを頼りに山道を進んでいるので、ほとんどスピードが出せなかった。にもかかわらず、横に座った山賊が急げ急げと口を挟んでくるので、ルーガーは心底疲れてしまった。
半刻ほど進んだところでトラックを停車させ、ルーガーはドルイを呼んで修理カ所の確認をした。作業中、二人の後ろには山賊のリーダーがぴったりと付いて歩き回っていた。ドルイとルーガーは当たり障りのない会話を続けた。
「一応冷却は問題なさそうだよ」
「うーん。熱交換器の振動が気になるな」
「普段からこれぐらい震えてないっけ?」
「そうだったか?」
「さあ。第一、ここまで乗ってきたトラックと違うからね、これ」
「そうなんだよな……」
「後ろ側のナットは? 締め直した?」
「もうやったよ」
「レンチ貸してよ。もう一度やるから」
二人は確認を終えると、再びトラックを走らせた。振動は相変わらずだったが、温度と圧力は安定していた。案外修理はうまくいったんじゃないかとルーガーは考え始めた。
山賊は山道の途中で細い脇道を示して、そちらへ入るように指示した。トラックで入るには少々難しいが、ルーガーは仕方なく言われたとおりの道へ進んだ。その頃には夜が明けて、ライト無しでも道を進むことが出来るようになった。ルーガーは操縦がぐっと楽になって胸を撫で下ろした。トラックは細い道を奥へ奥へと進んでいった。
道はどんどん険しくなり、山の絶壁が近づいてきた。ルーガーはこのまま大型トラックで進めるとは思えず、どこかで立ち往生するのではないかと心配になり始めた。しかし二刻ほど山道を進んだところで、突然目の前に、峰に隠れた谷間が見えてきた。ルーガーは指示されて、その谷間を通してトラックを進めた。そしてその谷の先に、山賊たちのキャンプが見えてきた。
そのキャンプは谷間の空間に巧妙に隠され設営されていた。二十ほどの大小のテントが張られ、中には木造の簡易小屋もいくつか建てられていた。そして見たところ三十人ほどの男女が、物資をまとめたり運んだりする作業に従事していた。
トラックを停まめると、ルーガーは山賊に促されて降ろされた。荷室にいた山賊たちも降りてきた。リーダーとドルイ、そして縛られたグリオーとシートも続いた。ドルイは初めて外の様子を見たので、驚いて目を丸くした。それを見たリーダーは、自慢げに言った。
「面白い場所だろう?」
ドルイは何か言い返してやろうと口を開きかけたが、気の利いた皮肉を思いつけず、何も言わずに口を閉じた。リーダーはにやりと笑って先を続けた。
「さて、一晩中働いて疲れてたからな、今朝は休んでもいいだろう」
そういってリーダーは手を振った。奥からやってきた別の手下が、ドルイとルーガーを連れて一張りの大きなテントへ連れて行った。そこは二十席ほどの椅子を備えた食堂だった。手下の見張りがいるものの、二人は用意されている食事を自由に取って食べることができた。腹を満たして一服すると、今度は木造の小屋へ連れて行かれた。そこは簡易営倉だった。
「しばらくここに入ってもらう」
見張り役の手下はそう言って、ドルイとルーガーを一緒にして部屋に入れた。二人は牢獄のような場所を予想していた。ところがその部屋は、狭くて簡素ではあるが、清潔なベッドと高級そうなソファが一つずつ用意されていた。ドルイは何も言わずにベッドにごろ寝したので、ルーガーはソファの方に腰掛けた。ルーガーはソファの座り心地に感心して思わずため息を漏らしたが、突然これは山賊たちの戦利品のひとつだと気づいた。急に居心地が悪くなり、渋い顔をしてドルイの方を見た。ドルイの方は何も感じないのか、黙って天井を睨んだままだった。二人はじっと耳を澄ませていたが、何も聞こえてこない。
ドルイは首を回してルーガーを見た。ルーガーもドルイと目を合わせた。ドルイが口を開いた。
「ここがどこか、見当がつくか?」
「だいぶ山奥まで来たよ。かなり東のほうだと思う」
「まさかザイーツまでか?」
「いや、そんなには。あそこまではまだかなり距離があるはずだよ……」
ルーガーは地理を頭に思い浮かべながら答えた。二人が今いるのは、ケレックの東の端、スフイトの街から北の山岳地帯へ奥深く入ってきた場所だった。そのすぐ東側には山脈があり、そこがザイーツとの国境だった。仮にこの辺りが平地だったとしても、フライヤーで急いで二日はかかる距離のはずだ。のろのろとしか進めない山道で、一晩のうちにザイーツにまでたどり着けるはずがなかった。
「いったいあいつら何者だ? ただの山賊じゃないな」
「軍隊じゃないかな」
「なんだって?」
「軍隊っぽいなって思ったんだよ。命令の出し方に無駄がないし、命令される方も慣れてる感じだし。役割分担がきっちりしてるし」
「はーん、さすがに詳しいな。経験者は語るってか?」
ドルイはルーガーが元軍人だったことを仄めかした。ルーガーは苦い顔をして頷いた。
「まさかケレックの反乱軍じゃないだろうし……。たぶんザイーツ軍じゃないかな。そういう汚い仕事といったらお手の物だから」
「そうか、なるほどな」
ザイーツは帝国とケレックに挟まれた国で、周辺からは孤立した軍事国家だった。帝国とは何十年にも渡る小競り合いを繰り広げているし、ケレックや南の諸辺境国とも関係が悪い。山間部では国境や資源を巡る諍いが絶えないし、街道や農地では略奪行為が横行している。これに軍や国家が加担しているという噂も絶えなかった。どうやらこの山賊たちは、不正規活動として山賊行為を働いている軍隊のようだった。
「とにかく連中は普通じゃない。何を目的にしているかはよく判らないけれど」
「せこい小遣い稼ぎじゃないのか」
「どうだろうね、山賊まがいの不正規活動で、大して稼げるとは思えないけれど」
「判らんぜ、おれたちの荷物だって安くはなかったんだ。鉱山向けの物資といえば、連中が欲しがる物もあるんじゃないか」
「そういう物にはもっと厳重な警備がついているし、派手に動けば目立ってしまうし、うまくいかないんじゃないかな」
「それをうまくやろうってのが、連中の魂胆なんじゃないか」
「かもね……」
それからルーガーは黙って物思いに沈んでいた。ドルイはしばらく横目で眺めていたが、やがてベッドを活用してぐうぐう眠り始めた。ルーガーはソファに座ったまま、何かが起こるのをじっと待った。
*
ドルイとルーガーが起こされたのは夕刻にさしかかる頃だった。山賊の一味がやってきて扉の鍵を開け、出るように言った。ドルイは眠そうな目をこすりながら、ルーガーは疲れてはいるものの油断なく周囲を見渡しながら外へ出た。
二人が連れて行かれたのは、到着したときに食事を取った同じテントだった。今度は見張りではなく、山賊のリーダーと、もう一人女がいて、ドルイたちを待っていた。驚いたことに、四人で夕食を取る準備が進んでいた。
「ゆっくり休めたか?」
「ぜんぜん、寝足りないね」
ドルイは不満げに言った。リーダーは苦笑いをした。
「ここはもう撤収しなきゃならん。時間があまりないんだ。この周辺のの警備など物の数ではないが、見つかるとうるさいからな。そういうわけで、のんびりしていられんのだ」
ドルイとルーガーは促されてテーブルに座った。リーダーと女は向かいに座った。ルーガーは給仕がやってきて食事を準備し始めたのを見て、目を丸くした。
「まずは自己紹介させてもらおう。私はディカース、彼女はマーカン」
ドルイは二人の顔を交互に見ていたが、やがてこう言った。
「おれはドルイ」
ルーガーはあきらめて、続けて言った。
「ぼくはルーガー」
ディカースは微笑んで言った。
「何を飲むかね?」
「のんびり飲んでる場合かよ?」
「言ったとおり、もう撤収だ。残りものは全部捨てていく。空にしておかないと、もったいなくてな」
「へえそうかい。じゃああんたと同じのでいい」
「では選ばせてもらおう」
ディカースは給仕に耳打ちをした。給仕はてきぱきとボトルとグラスを用意して、酒を注いで回った。これも盗品に違いない、とルーガーは思った。ディカースは軽くグラスを掲げ、二口ほど飲んで味わった。ドルイも儀礼的に口をつけたが、飲み込んだかどうかは怪しかった。ルーガーはそれを横目で見つつ、グラスには手をつけなかった。ディカースの横のマーカンも同じく飲み物には触らなかった。
「ドルイは帝国から来たと聞いたが。ルーガーもそうか?」
前菜を食べながら、ディカースは尋ねた。ルーガーは、いつか聞かれるだろうと思っていたので、最初から考えていた通りに話を始めた。とにかく、以前帝国軍にいたことを悟られてはいけない。ゆっくり慎重に返事をした。
「うん」
「生まれはどこだ? どこで育った?」
「北部の田舎の方。近いのはフレイヨン……いやウーベリかな」
「二人は組んで長いのか? どんな仕事をしている?」
「うーん、説明が難しいね。知り合ったのは割と最近なんだけど、運送屋の仕事があるってんで、一緒にやろうと思って」
「君が誘ったのか?」
「まあ、なんとなく」
「フライヤーが好きなのか」
「まあね。あちこち旅するのが面白いし。歩くよりは楽だし」
「しかし個人で乗り回すには高すぎるだろう」
「まあね。それで仕方なく雇われ操縦士を」
「修理はどこで学んだ? なかなかの腕前のようだが」
徐々に微妙な質問になってきたな、とルーガーは思った。口が裂けても軍で仕込まれたとは言えない。ルーガーはディカースの鼻先をちらっと睨み返して言った。
「田舎の村じゃ、なんでも自分で直さないといけないからね。修理を頼もうったって、何日も待ってはいられないし」
「ふーむ」
「地元の村にいた腕のいい鍛冶屋が、ポンコツのフライヤーをよく修理していたよ。村に一台しかないから、それは大事にしていたんだ……。それを手伝ってた」
「なるほど、だがそれは……」
ディカースが口を開きかけたところで、ドルイがいらいらしたように割り込んだ。
「なあおい、久しぶりに会った近所のおっさんみたいにぶちぶち詮索するのはやめろよ。飯がまずくなるぜ」
「ああ、すまん。つい興味を引かれてね。こう見えても好奇心が強くてな」
「質問だったら、こっちが聞きたいね。あんたの階級は?」
ディカースもまた、その質問を予期していたようだった。まったく動揺するようなそぶりを見せず、ただ肩をすくめてこう答えた。
「言えないんだ。規則でね」
それを聞いて、ドルイは吐き捨てるように言った。
「せいぜい中尉ってところか? そっちじゃ、百人隊長って言うんだっけか?」
横にいたマーカンがサッと顔色を変えた。ルーガーはかじっていたニンジンを吐き出しそうになった。百人隊長と言うのは、旧態依然としたザイーツの軍制度を馬鹿にして言う言葉だった。いかにもドルイらしい皮肉だが、タイミングが悪すぎる。ルーガーは思わず首をすくめた。ところがドルイはマーカンを見て、にっこり微笑みかける始末だった。
これを見て、ディカースは苦笑いをした。
「いや、マーカン、悪いのはこっちだ。私に免じて勘弁してくれないか?」
マーカンは口を尖らせてこう言った。
「しかし少佐……」
ドルイはマーカンが口を滑らせたのを聞いてバカ笑いを始めた。ルーガーはドルイの肘をつついて言った。
「ちょっと、やめなよ、もう」
「なんだよ、別にいいだろ、こんぐらい」
「そうじゃなくてさ」
ルーガーは頭を抱えたくなったが、実際にそうする訳にもいかず、困り果ててしまった。一方ディカースは場を収めようとしてこう言った。
「いやはや、一本取られたな。まあとにかく、私が悪かったんだ。かわりに別の話をしよう……」
ドルイは肩をすくめて、それ以上からかうのはやめた。マーカンはドルイの顔を睨みつけていたが、耳が赤くなっているのはごまかせなかった。ルーガーはディカースのよもやま話を聞きながら、食事が冷めないうちにと一所懸命皿の上のものを片付けた。やがて食事は終わり、グラスの酒をすすりながらディカースが言った。ようやく本題が始まるようだった。
「我々には運びたいものがある。大きくて重い物だ。君たちの協力で、ぴったりのトラックは手に入った。だが、まだこの先の道程は長い」
「へえ」
「これから山脈を越えて、ザイーツまで運びたい。そのためには腕のいい整備士と運転手が必要だ」
「フライヤーの運転ぐらい誰にでもできるだろ」
「ただ前に進めばよいという話ではない。この先の峠を越えるには、腕のいい運転手が必要なんだ」
「そんな話だけで、おれたちが協力すると思ってるのか?」
ディカースはにやりと笑って言った。
「適正な条件を提示すれば、君たちはきちんと話を聞いてくれると思っている」
「具体的に何をどれぐらいって話さ」
「金がよいかね? たとえば君たちが元々受け取るはずだった給金の二倍の額を出してもいい。無論、帝国の金でだ」
ドルイはじっくりと考えた上でうなずいた。
「二倍ってのは、まあ、悪くないな……。いっとくが、帝国を出てからケレックの山奥までの全部だぞ。まだ前金も受け取ってないんだ」
「いいだろう」
「ザイーツというが、具体的にはどこまでだ?」
「フリタまで行くのが目標だが、君たちはその手前まででも構わない」
「地名で言われたって分かんねえよ、ザイーツに入るのは初めてなんだ。それに山奥で放り出されても困る」
「気にしなくていい、ちゃんと道案内はする。難所の峠を越えるのに協力してくれさえすれば、後の事は悪いようにはしない」
「そもそもあんなでかいトラックが通れるのか? あの山脈にそんな道があるとは思えないな」
「試してみないと判らん。見込みは五分五分だ。だから成功すれば、より大きな褒章を与えてもいい」
「いったい何を運ぶんだ?」
ディカースは口をぐいっと拭って言った。
「お目にかけようか」