第二話「巡り会い」
「おはようございます、奥様」
息の合った動きで、俺たちは一斉に頭を下げた。それをちらりと横目に見た秘書の一人が、女性の肩口から書類の束を手渡す。女性は歩きながらその書類に目を通すと一言、「却下」と言って目線を切った。
「これくらいの事、私の目に入れる前にあなたたちで判断しなさい」
女性は歩みを止めず、秘書を一喝した。四人の秘書が、「はい」と揃って返事をする中、当の書類を差し出した秘書だけが、遅れ気味に返事をした。一度だけぶるっと震え、そのままひょこひょことアヒルの子供みたいに後をついていく。
当然の事だが、俺たちの挨拶に返事はない。聞こえているのか、聞こえていないのかと言われれば、物理的には前者だ。だが、聞こえないものとして頭の中で処理されている。俺たちと彼女では、生きている次元の断層が違うのだから、それも致し方のない事。そうだとしても、俺たちは黙って頭を下げ続ける。
今しがた食台のある部屋に消えていった女性の名は、金蔵寺やす子。金蔵寺グループの創設者にして、与党である共生党の議員として、政治にも関わっている。
彼女の経営方針は、社長自らに決定権を集めるワンマン経営。有り体に言うと、独自の裁量をもって会社の進む方向を決めてしまう。だが世の混乱の最中、これだけ会社が大きくなったのは彼女あってこそ。社内や株主の中に、彼女の決定に異を唱える者など一人としていない。その手腕を買われ、かつての外務大臣、現総理大臣の手で、政治の世界へと担ぎ上げられた。しかし彼女には、血の滲む思いで育て上げた会社を放り捨てるなどという意思は鼻からなく、一度は丁重に誘いを断った。だが大臣は「それでもいい」と、あっけなく法律の方を捻じ曲げてしまった。社長と議員という二足の草鞋は前代未聞だったが、当時の日本にはなりふりかまっているだけの余裕はなく、彼女もそれにしっかりと結果で答えた。どうにか国を立て直した今でも、彼女がそのまま議員としての地位を維持しているのは、そういう訳だ。そして、・・・おっと肝心な事を忘れてはいけない。何より彼女こそが、俺たち三人のMCの雇用主だ。
金蔵寺が食事の席に向かったにも関わらず、まだ残っていたお嬢様が気まずそうにこちらに頭を下げた。はじめの頃でこそ、金蔵寺は曖昧な相づちのようなものや、会釈するくらいの事をしていたのだが、それもずいぶんと昔になくなり、その代わりに彼女がああやっていつも一人残り、苦笑いを浮かべながら頭を下げる。ただし、俺たちもそこで挨拶を返すことはしない。ただ無言で、じっと首を垂れる。
お嬢様の名前は、金蔵寺空。言うまでもなく、金蔵寺やす子の娘だ。性格はいつもぽわぽわしていて、温厚。けれどお転婆な一面もある。争い事を極端に恐れる節があり、喧嘩になると必ず自分から折れるタイプ。そんなお嬢様が、鬼や悪魔と並んで恐れられる金蔵寺やす子から生まれてきたなんて、まるっきり信じられないが、本当の話だ。絹のような美しい黒髪が、背中の中ほどまで伸びている。すっと通った鼻筋に、細長の眉。そして薄く紅潮した頬。俺はこれまで、彼女以上に綺麗だと思う女性に出会った事がない。お嬢様は現在、カトリーヌ聖女子高校に通っている二年生だ。
俺たちが頭を上げると、もうそこにお嬢様の姿はなかった。
「さて、今日も一日頑張りますか」
「そうだね~。えっと、今日のモルモットは?」ケイは俺とジョーの顔を見比べる。
「あ、俺だ」
小さく息を吐き出し、急いで次の行動に移る。一旦、ケイやジョーと別れ、俺は長い長い廊下を通って玄関へと向かった。
パッと見、宮殿みたいな造りの屋敷は、不便さの塊だ。廊下は無駄に長く移動に時間がかかり、一部屋が広いので掃除に膨大な時間がかかる。人口が一気に減り、土地が有り余ったせいで、宮殿風の住宅を建てることが成功のシンボルみたいになった時期があった。その名残というか、一時の気の迷いがこのざまである。鎖国で外国文化を遠ざけるどころか、日本は見事、西洋建築の楽園になってしまったぞ。しかも時代を逆行して。
玄関に飾ってある写真立てに目がいった。金蔵寺、お嬢様、そしてその隣には、お嬢様の姉に当たる、希お嬢様が笑顔で写真におさまっていた。希お嬢様は高校を卒業し、現在は海外へ留学中。つまり少し前まで、この家にはお嬢様と呼ばれる存在が二人もいた訳だ。お嬢様と声をかければ、二人が一斉に振り向いた、なんて事もあった。今はなんとも呼びやすくなり、こちらとしても助かっている。
「おはよう、少年」
「おはようございます、アキラさん。本日もよろしくお願いします」
豪勢な飾りをあしらった玄関を出て、横付けされていた黒のハイヤーに近づいた。運転席の前で羽箒を動かしていた運転手のアキラさんに挨拶を返す。
「今朝は君か。じゃあ奥様の機嫌は最悪だな」
「ええ、きっと」
そう言って、俺は後部座席の扉を開けた。車内を目で確認してから、静かに扉を閉める。
「いいのかい?トランクとボンネットは」
「ええ、俺はアキラさんを信用してますから」
「何だよ、それ」
アキラさんは、少し照れくさそうに鼻をこすった。首元のネクタイをきゅっと引締め、「今後ともご贔屓に」と笑う。
アキラさんは元タクシーの運転手だ。それが老舗の館林交通にヘッドハンティングされ、今や社内でも指折りのドライバーとして一目置かれているらしい。良く言えば男勝り。悪く言えばじゃじゃ馬な性格のアキラさんは、しかしそれを補って余りあるドライビングテクニックを有している。あのわがままな金蔵寺が一年間、何の文句も言わず乗り続けているのだから、そこに疑いの余地はない。
「しかし君たちは働き者だね」
「そうですか?」
「そうだとも。毎朝同じ点検作業をして、よくもまあ飽きないもんだ」
羽箒をトランクにしまいながら、アキラさんが言う。先ほど俺が踏んだ、後部座席の扉を開けて車内を確認するという手順に対して、彼女は呟いたのだろう。誘拐に備えて後部座席に潜んでいる者がいないか確認するというのが名目だが、実際には扉を開けた瞬間に起爆するトラップが仕掛けられていないかをチェックする意味もある。要するに金蔵寺が危険に合わないよう、先に俺たちが危険に飛び込んでいるのだ。ケイの言った「モルモット」という言葉は、そういう部分からきている。
「私も頑張れば、君たちみたいな子を家に迎えられるのかね?」
「うーん、どうですかね」俺は少し考えてから答える。「アキラさんの稼ぎじゃ無理じゃないですか?」
「なにを!?・・・・くっくっくっ」
「はっはっはっ」
少して、金蔵寺がまた秘書をぞろぞろ引き連れて屋敷から出てきた。しかし車に乗り込むのは金蔵寺ただ一人。秘書たちは、後からおのおの電車やバスを乗り継ぎ、会社へと向かう。車に乗り込む際で、後部座席の扉を開けて待っていた俺の顔を見るなり、彼女はひどく気分の悪そうな顔をして、「最悪な日ね」と呟いた。ほぼ休日のない彼女にとって、最悪な日は三日周期で訪れる。俺は「いってらっしゃいませ」と言い、扉を閉めた。黒のボディが角を曲がって見えなくなるまで、また頭を下げ続ける。
午後、屋敷に金蔵寺家の者が一人もいない時間は、待機室でじっとしている事が多い。金蔵寺家は屋敷のでかさだけでなく、使用人の数も他の家庭に比べて圧倒的とあって、家事全般はその人たちの仕事だ。つまり俺たちの仕事なんてほとんど残っておらず、まあ暇。実のところ、MCの養成学校にいた頃の方が、まだ訓練に勉強に忙しかったくらいだ。
「また嫌味を言われたの?あの人も飽きないねえ」
「まあな」
目はじっとテレビの方に向けたまま、ケイがせんべいをぼりぼりかじる。
「何でだろうね。最初からそうじゃん?」
「別にもう気にしてねえから、何でもいいよ」
言いながら、俺はせんべいには手を付けず、自分の前髪を指でいじった。
「『もう』ってことは、前は気にしてたんだ?」
「うるせえな」
「ユーリって、怖い顔してるのに可愛いところあるよね」
ケイは人懐っこい笑顔を浮かべる。かと思えば、俺の前に置いてあったせんべいまで奪い取り、封を開けた。こいつは一体何枚のせんべいを腹におさめる気なんだ。
「黒髪のMCって、かなり珍しいって言うよ?」
ケイの言う通り、MCの大半はヨーロッパが出身の白人の子供たちが占めている。俺みたいに黒髪で、目の色が茶色のMCは、天然記念物と言って過言ではない。それというのも俺にはどうも引っかかる事があり、金蔵寺が俺を見て不機嫌になる時、きまって視線の先には俺の黒髪や茶色の目がある気がするのだ。
「はぁー、怖いなあ。隣町で誘拐だってさ」
すでに俺をいじるのには飽きたのか、ケイはテレビの中にいるニュースキャスターを指さして、またせんべいをかじる。
『続いてのニュースです。先ほどお伝えした、MCによる暴行事件の続報です』
「あ、俺こいつ知ってるぞ」
「嘘。本当に?」
「ああ。って言っても、学校で2、3度挨拶した事がある程度だけど」
流れるVTRの途中に出てきた顔写真を眺めながら、俺はぬるくなったコーヒーを喉に流し込んだ。
「ねえねえ、この人ってどんな人だったの?ユーリみたいに、凶暴だった?」
「いや、だからほとんど知らないんだって。ていうかさ、さっきから君は俺の顔が怖いだの凶暴だのと、ひどくないか?」
写真は恐らくMCの学校を卒業した直後の物だろう。次いで流れた護送途中の容疑者の顔には、やはりどこか面影がある。だが、少しだけ雰囲気が変わっていた。前はもっと健康そうと言うか、こんなに頬がこけていなかったはずだ。
「珍しいな」
その声をあげたのは意外にもジョーだった。いつもは俺とケイの会話に一切入ってこず、テレビなんかそっちのけで、部屋の隅っこで文庫を読んでいたりするのだが、今は食い入るようにテレビ画面に集中している。
「俺たちMCはまだ実験段階だ。不祥事は大抵もみ消されるんだがな」
その言葉を受けて、俺とケイもテレビに釘付けになった。
「あっ、いけね。もうこんな時間か。お嬢様のお迎えに行かないと」
「いいなあ、女子高にお迎え。羨ましいなあ」ケイは椅子の上で足をバタバタさせながら、すねる。
「何言ってんだか。今は女子高なんて珍しくも何ともないだろ、だって女子しかいないんだから」
「知ってるよ。でもカト女(カトリーナ女子高校の略)って、未だに嫁入りの作法を教える授業があるくらいじゃない?もう見せる相手はいないのにさ。そういうプライドって言うのかな、頭の悪い所が逆にそそるんだよね~。分かんないかなぁ、ユーリには」
我らがMCの数少ない仕事の一つ。それが、放課後のお嬢様の送迎。
なんでも最近になって、車での迎えをやめさせるよう、お嬢様が金蔵寺に直談判したのだという。どういう訳か、その嘆願が金蔵寺の厳重なる審査を通過したおかげで増えたお仕事だ。つまり最近まで、あの待機室で管を巻く時間が今よりもっと長かった事になる。そう言うと、本当に俺たちは毎日何をしているんだと思われそうだが、正直に言おう。さほどの事はしていない。おかげで小学生でもできそうなお使いに、それなりの使命感を持って臨めている。それにしても思うのが、お嬢様はよくあの金蔵寺を丸めこんだなあという事と、金蔵寺がよくあのお嬢様の言葉を聞き入れたものだなあという事だ。
事前にお嬢様から授業のスケジュールは預かっている。予定よりも早く授業が終わる可能性を考慮し、毎度最後の授業が終わる三十分前には、校門の前に到着するよう屋敷を出ているのだが、今回俺が到着した時には、すでに今や遅しとお嬢様が待っている状態だった。
「申し訳ありません。遅れました」
もちろん遅れてなどいない。時計の針は到着予定時刻をきっかりと指している。
「謝らないで、私が早すぎたの」
「は、はぁ・・・。学校で何かございましたか?」
「いえ、別に」
俺の心配そうな顔から逃れるように、お嬢様は背を向けた。
「お嬢様。そちらは帰宅のルートから外れます」
「いえ、いいんです。いつもより早いのだから、寄り道をしましょう」
「しかし」
「いいから」
そう言うと、お嬢様は俺の手を取り、力強く走り出した。
お嬢様が俺の手を引き、連れてきたのは二越デパートだった。その時点で帰りの時刻が普段よりずれ込む事が予測できたので、俺は自分の携帯電話を使って屋敷に電話をかけた。電話に出たのはケイだった。
「ん?分かった。楽しんできなよ」・・・・・・それだけ?これがジョーなら「ふざけるな。お嬢様を危険に晒す気か。何を考えている。急いで戻ってこい」と、なんなら勝手に迎えに来るくらいの事はしただろう。
「こっちです」
お嬢様の言われるがままに、店の中を歩く。どのフロアも女性ばかりいて、当然女性のための商品がずらりと並んでいる。隣にお嬢様がいるとはいえ、男である自分の場違い感がはんぱない。こんな状況、MCの俺が街中を歩けば日常茶飯事だし慣れたものと思っていたのだが、デパートという独特の空間が、そうさせるのだろうか。
お嬢様は俺を試着用の小さな丸鏡の前に連れてくると、頭にカツラをのせた。
「まぁ。やっぱり似合うわ」黒い長髪のカツラをのせ、嬉しそうに手を叩く。
「あの、これは一体」
「次、こっちはどうかしら?」
俺の頭に次々と違う種類のカツラをのせ、逐一批評するお嬢様。その後も眼鏡に帽子に、着せ替え人形となった俺は、されるがままに身を任せた。
流石にそろそろ帰宅しなければという時間になって、お嬢様と同じ制服を着た三人組の女子が、後ろから近寄ってきた。
「あれ、委員長だ。隣にいるのって誰?」
絞めているネクタイの色が同じ。恐らく同学年、口ぶりからして同じクラスという事も考えられる。
「ま、それはいいや。実は私たちお財布を落としちゃったんだよね。これじゃ家に帰れないの。悪いけど電車賃、貸してくれない?」
真ん中にいた少女はそう言うと、じりっと距離を詰める。財布を落としたのにどうしてデパートに来ているのか、君たちが行くべきは警察だろうと言いそうになったが、ぐっと堪える。何故なら、そこに確かな悪意の存在を感じ取ったからだ。お嬢様は自分の足元を見つめながら言った。
「あなたたち、それと同じことを佐藤さんにも言って、お金返してないんでしょ?」
「あちゃ、聞いてたか。でも違うのよ。あの子はくれるって言ったんだもん。返さなくていいよって」少女は後ろを振り返りながら言う。「だよね?」
「うんうん」追従するように、後ろの二人が首をこくこくと上下に動かす。
十秒ほどじっと固まった後、お嬢様は歯を食いしばって脇に抱えた鞄から財布を出そうとした。
とっさに俺は、丸鏡を拳で殴りつけていた。パキンっと小さな、まるで鈴の音のような音が辺りに響き、遅れて鏡の中央から外側に向かってヒビが走った。そのヒビは徐々に徐々に細かくなって、最後にはガラスが粉状になり、床の上に降り注いだ。その場にいた全員が、息を飲む。
「早く!」
お嬢様は叫び、デパートに連れてきた時と同じように俺の手を引いて、走り出した。
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真っ暗な部屋の中。窓はなく、その事から恐らく地下ではないかと思われる。聞こえてくるのは空調の低く獣のような唸り声。微かに香る醤油を焦がしたような匂いは、まだ湯気の立ち上るカップ麺の容器から。
様々な電子機器の配線がツタのように伸びて、絡みついている。百台を超えるモニターの前に座り、一心不乱にのぞき込む少年。少年はおよそ人間のそれとはかけ離れた、悪魔的な笑みを浮かべた。
「面白い」
よければ感想をお願いします
夏のホラー2016というイベントに穴倉の実験場(短編)を出してます
赦し屋とひこじろう(連載)も同時に書いてます
暇だったらそっちも読んでみてください