第十話「誘い2」
「どうやら君とその運転手は、いいように使われただけのようだな」
全てを話し終えた俺に対し、奴は何の気遣いもなく言い放った。終始顔色一つ変えることなく、本当に今までの話を聞いていたのかと不安になるくらいの落ち着きっぷり。
「畜生!」
街灯の薄い光の当たるベンチを思わず握り拳で殴りつけていた。すでに自分でも理解はしていた事だが、やはり人の口から聞くと心に受けるダメージは相当な物がある。目を瞑り、呼吸が整うのを待つ間、次々とアキラさんとの思い出が頭の中を駆け巡っていった。
すると奴は、そんな俺の様子を覗いながら笑った。
「やっぱり君は何か勘違いしてるみたいだ」
「なに?」
「そもそもそのアキラさんってのは、進んで悪党と手を組んだのだろう?少しでも金蔵寺誘拐の成功率をあげるために。要するに、自分の欲のためだ。だとしたら、さも善人だった彼女が悪党に一方的に騙され、殺されてしまった風な物言いはおかしいんじゃないかな?」
そう言うと、目の前の男はわざとらしく首を傾げた。
おいおい、ちょっと待て。今、こいつは一体何と言った?俺は一体何を聞いた?
あまりにも気が動転し過ぎたせいか、言葉が咽喉につっかえて出てこない。急激に瞳孔が開き、手のひらにじっとりと汗をかく。
「ふざけるなよ」俺は奴の襟首を両手でつかむと、勢いよく締めあげた。
「ふざけてなんかないさ。この件に関する純粋な被害者は、金蔵寺とその娘さんだけだ。決して君たちは含まれない」怒りに染まった俺の顔が見えているはずなのに、奴は悠然とその先の言葉を紡ぐ。「つまりは、自業自得」
「黙れ」
「さっきの話、俺に言わせれば全部言い訳というか口実というか。例えるなら・・・、そうだな。戸棚に大福があったとしよう。君はどうしてもその戸棚にある大福が食べたい。けれど背が低く戸棚に手が届かない君は、兄に頼んで取って貰う事にした。戸棚から出した大福は、当然兄と君で半分こ。けれどつまみ食いが母親にバレるや否や、兄は全ての責任を君に擦り付けた。そうしてベソをかいてるのが、まさに今の君だよ。自らが被るかもしれない損害、そして仲間が裏切る可能性を事前に見抜けず、俺は悪くないの一点張り。だったら、最初から誰とも手を組まずに、君とそのアキラさん、二人だけで誘拐を実行すればよかったのに」
「黙れよ、殺されてぇのか!!」
ついに沸点を超えた俺の怒声が、しんと静まり返った夜の公園に木霊する。奴の襟首を締め上げる俺の腕に自然と力が入り、今にも奴の足が公園の地面からさよならしそうだった。すると奴は、「俺も殺すのかい?あの四人みたいに」と微かに笑みを浮かべ、その後で「たんま。やっぱ黙るわ」とあっさり両手を空に向けた。けれど、そう言ったにも関わらず、黙る気はなさそう。まるで壊れた自動ドアのように、ぺちゃくちゃと口を動かし続ける。
「君は本当に表情豊かだ。俺には一生真似できそうもない。泣いたり怒ったり、俺は君を見てると飽きないよ」
俺はもう一秒たりとて、この場所に留まっていたくなかった。突き飛ばすように奴の体を放すと、さっさと立ち去ろうとする。だが、地面に転がった奴はその俺の背中に向けて、「最後にこれだけは言わせてもらうぜ」と前置きした上で喋りかけた。
「君には何度も計画を止めるチャンスがあったはずだ。そして、アキラさんって人はともかくとして、少なくとも、君の大事なお嬢様が連れ去られる事態は未然に防ぐことが出来た。何故なら、元から計画には含まれていなかったんだから」
「矛盾してるんだよ。悪党三人組だけのせいでこうなった訳じゃない。君が、全ての責任を彼女たちに押し付けるのは、お門違いってもんさ」
その通り。ぐうの音も出ないほど、奴は正しかった。だが正しいからこそ、今の俺には耐えられない。
俺は足早に池の周りを出口に向かって歩いていく。しかしその途中、中々のペースで走る足音が背後から近づいてきた。タッ、タッ、タッ。どうやら池の周りをずっとジョギングしていた四十代くらいの女性が、まだ家路についていなかったらしい。俺はその場に立ち止まって、女性をやり過ごす事にした。
しかし、いくら待ってもその足音は俺を追い越そうとはしない。背中からは、荒い息遣いだけが聞こえてくる。
「本当に・・・見つかる・・・なんて。よかった。ウリエルを追いかけて・・・、はぁはぁ、・・・本当によかった」
「この声・・・、お、お嬢様!?どうしてここに」
お辞儀をするような格好で膝に両手をつき、何度も何度も深く呼吸をするお嬢様。伊吹の街を脱出して、近くの警察署に送り届けて以来の再会だ。その足元には、同じくその時に別れたウリエルの姿があった。だらしなく舌を口から放り出し、後ろ脚を折り畳むようにしてちょこんと地面に座っている。
「あの、まだきちんとお礼を言えてませんでしたよね?」
「そんな、お礼だなんて。私はMCとして当然の事をしただけで、お嬢様が気になさるような事じゃありませんよ。それよりもどうしてこんな遅くに、お一人で。あまりにも危険すぎます。ケイやジョーはお連れにならなかったのですか?」
「それは・・・・」
俺の問いかけに対し、お嬢様は喋りづらそうに俯く。何やら俺のあずかり知らぬ深い事情がそこにはありそうだが、しかしそれにしたってこんな夜更けに学生が一人で外を出歩くなんて無防備過ぎだ。この公園では見るも無残な殺人事件が最近あったばかりだし、それでなくともお嬢様自身、誘拐を経験した直後だというのに。
二人の間に沈黙が続き、そろそろこちらから口を開こうかとした時、お嬢様がゆっくりと話し始めた。
「どうやら母的には、私に帰って来られると都合が悪かったみたいで」
「都合が悪い?どういう事ですか?」
「・・・明後日の便で、留学していた希姉さんが帰って来ると、母にそう言われました」
わずかに口元を震わせる少女をじっと見つめながら、俺は言葉を失った。
お嬢様の言葉の意味。それはつまり娘が誘拐犯の元から生きて帰らないと決めつけた金蔵寺が、先んじて行動を起こしていたという事。これでも数年間は金蔵寺家という巨大な力の中で生きる人々を、傍で見てきた俺だ。跡取りが表舞台に姿を現さなくなったというちっぽけな理由から、この国の政治や経済が多様な影響を受けるだろう事は容易に想像できるし、それを懸念した金蔵寺が先走った行動に出た気持ちも理解できなくはない。けれど、もしもそれが一母親の行動だとしたら、果たしてどうだろうか。まだ十分に生存の可能性が残っているにも関わらず、海外にいるもう一人の跡取りを呼び戻す。それは即ち、自らの子供を見捨てたと同義にはならないだろうか。
希お嬢様にしても留学中の緊急な帰国。今回の誘拐報道と合わせて、大小さまざまな噂や憶測が飛び交うに違いない。四六時中、報道陣に付き纏われ、プライバシーを侵害され。それは妹である空お嬢様も例外ではない。いや、むしろ誘拐の当事者と目される限り、空お嬢様の方がマスコミの格好の餌食とされてしまうだろう。せっかく誘拐から無事生還出来たというのに、必ずしもこれまで通りの学生生活が送れると言い切れないのは、何とも歯がゆい限りだ。
「このままだと私、母の薦めでとある男性の元に嫁ぐことになるかもしれません」
案の定、金蔵寺の手によるお嬢様の日常の崩壊が着々と進み始めている。それを聞いた俺は混乱すると共に、怒りと悲しみ、その両方によく似た感情を心に抱いていた。それをどう自分の中で処理していいのか、爆発させればいいのか、それとも無視すればいいのか、判断に迷う。
とはいえ今のご時世、男性の元に嫁げるのはある種ラッキーな部分があるのも確かだ。男女比率が圧倒的に違う現在において、結婚したくてもできない女性は数えるまでもなく多い。それにあの金蔵寺が薦めるというのだから、お嬢様にとっても悪い縁組ではないのだろう。けれど俺はというと、その話を手放しで喜ぶ事はできなかった。こんな状態のまま、母親に見捨てられたような形のままで、お嬢様を一人遠くへやってしまってもいいのか。これじゃあまりにも可哀想すぎやしないだろうか。
それに俺には、個人的にも喜べない理由があって・・・・。
するとお嬢様は、俺の表情を覗うようにした後で、こう言った。
「だから私、母に言って家出してきました」
「・・・・・・は?」
「家出です」
「はあ、家出ですか」
この場合の家出とは、つまりあの一番有名な家出と考えてよいのだろうか。親と喧嘩した子供が、わざと心配させるために家を空ける、あの家出?そもそも家出って、母親に宣言してからするようなものなのか?
「ごめんなさい。昼間の出来事、他のMCの方から聞きました。それからユーリさんが屋敷に戻って来れないかもしれない事も・・・。だから一緒に」
「駄目です」
「でも母はユーリさんと一緒ならと」
「駄目です。お嬢様、今すぐ屋敷へ戻りましょう」
俺はお嬢様の両肩に手を置き、強い口調で続けた。「何が何でもあの屋敷に残るんです。あの屋敷は他でもない、お嬢様の家なんですから」
「でも私はもうあの家には」
「お嬢様、これはお嬢様の一生のためです。お嬢様は何も悪くないのですから、堂々とあの家で暮らせばいい。だからどうか家出なんてやめて、屋敷に戻ってください」
しかし俺の必死の説得にも、お嬢様は中々首を縦に振ってはくれない。仕方なく、卑怯な言葉を付け加える。「友達を、・・・これ以上友達を困らせないでください」
するとお嬢様は、はっという顔をした。その顔がみるみるうちに暗く沈む。「・・・はい」
地べたに伏せていたウリエルを抱き上げ、お嬢様はとぼとぼと来た道を戻って行く。数メートル先まで行ったところで急に振り返ると、深くお辞儀をした。「あの、お礼だけは言わせてください。助けてくれてありがとう。それと、自分の事を『私』じゃなくて『俺』って呼ぶユーリさんも新鮮で、その・・・かっこよかったです」
言い終えると、肩を落としながらゆっくりとつま先を前へ進める。
「あーあー、泣ーかした、泣ーかしたー」
気配を消して背後から近づいてきた男は、そう囃し立てながら俺の隣に並んだ。「女の子を泣かせるなんて、ユーリ君サイテー」
「また地面に転がされたくなきゃ、三秒以内に失せろ」
「いいのかい?彼女、本当に行っちゃうぞ?」
「・・・いいんだよ。これでいいんだ」
金蔵寺がお嬢様を他所へやろうとするのは、明らかに厄介払いが理由だ。それが騒ぎの収まる間なのか、それとも本当にそのまま親の一存で嫁がせてしまおうと考えているのかは分からない。だが確実に言える事は、当分の間金蔵寺と空お嬢様との間に距離が出来るという事。それは物理的にでもあるし、心理的にもそう。最初こそお互いに寂しさを感じるだろうけど、時が経つにつれそれにも慣れる。そうなると距離は段々と溝になり、最後には恨みや憎しみに変わるかもしれない。今回のように別れ方がひどければ、なおさらだ。それじゃいけない。家族はいつまでも家族でいなくては。幸い希お嬢様は、空お嬢様にとって本当に優しいお姉さんだ。それに心底、空お嬢様の事を愛していらっしゃる。決して空お嬢様を見捨てるような事はしないだろう。だから家族三人近くにさえいれば、また笑顔で過ごせる日が必ず来るはずなんだ。
「そんな顔して言われても説得力がないよなぁ」
何とでも好きに言えばいい。この選択こそが絶対に正しいに決まっている。第一に優先されるべきは、お嬢様の幸せ。俺の個人的な理由など、考慮に入れる事すらおこがましい。そう、分かっている。分かっているはずなんだ。・・・・それなのに、俺は。
「ごめん、空。やっぱり俺と一緒に行こう」
満天とは言い辛いまばらな星空の下、意を決して発した男の言葉が背中越しに女の耳に届いた。
「ユーリさん」それまで泣いていたのか、目の周りや鼻をまっ赤にした女が振り返り、駆け寄って来る。
まるで映画のワンシーンのような展開。そして、心に響く台詞。仮にこれが本物の映画であれば、その後二人は抱き合ってキスをし、そのままエンドロールが流れるだろう。しかし、ここに問題が一つある。それは、残念ながらその台詞を叫んだのが俺ではないという事。お嬢様は目を丸くして驚いていらっしゃるようだが、同じく俺もその言葉を聞いて驚いている。むしろ俺の方が驚いているくらいだ。さて、じゃあ一体誰がそんな感動的な台詞を叫んだのか。なんとその台詞を叫んだのは、他でもない俺の隣にいた男。これまで散々悪魔のようだと罵っていた男の口から、『完璧に瓜二つな俺の声』で発せられていたのだ。
「んな、お前!」すぐさま隣に視線を送るも、さっきまでいたはずの奴の姿はそこにはない。
「ユーリさんならそう言ってくれると信じていました!」
「いや、そのですね。お嬢様、これにはちょっとした訳が」
「私はもうお嬢様じゃありませんから。さっきも呼んでくれた通りに『空』って呼んでください」
急な話の流れについていけず、呆気にとられる俺。「えっと・・・空?」
「はい!」
気持ちの良い返事と同時に、お嬢様の胸の中からウリエルが飛び出した。「あ、ウリエル。待って!」慌ててそれを追いかけて行く。
「一件落着だな」
またどこからともなく霧のようにふっと現れる、先ほどの声の主。その一言で、見事に俺の決断が無に帰した訳だけど、本人はまるで気にしている様子はない。「どう?似てたっしょ?」
「出たり消えたり、お前まさか幽霊じゃないだろうな?」
「うん、実はそうなんだ。戦争で離れ離れになった恋人と、どうしてももう一度会いたくてね。未だに成仏できずにいるんだ。だから気をつけてくれ。目の前であんまりイチャコラされると、俺は無意識に君の事を呪ってしまうかもしれない」
「・・・・」
「・・・・なんてね。まあ、冗談はここまで。君、行く当てないんだろ?だったら俺と一緒に来なよ。二人まとめて面倒みるぜ?」
「は?何でお前なんかと」
「まあまあ。今時、何の後ろ盾もない若者は寝床を借りるのさえ苦労すると思うけど?」そう言った奴は、すぐに自分の言葉を撤回する。「いや、後ろ盾ならあったか。金蔵寺って、どでかい後ろ盾が。頼るかい?」ニヤニヤしながら俺の顔を覗き込む。
「じゃあな」
「待てよ、立ち去ろうとするって。それじゃ、ほら。借りを返すってのでどうだい?確かあったよな、君は俺に借りが」
「ぐっ・・・」
痛い所を突かれ、俺は眉根を寄せながら考え込む。その間も、ウリエルを追いかけるお嬢様の背中がどんどんと小さくなって、闇の中へと消えかけていた。
「何を考える事があるんだか。君にデメリットなんてないはずなのに」
俺は一つ大きく息を吐き出すと、無言で奴の傍まで歩み寄った。わざわざ背後に回り込むと、帽子からはみ出した『黒髪』を指で引っ張る。
「痛っ!何すんだ!」
「それ、地毛か?」
「あ?そうだけど」
「染めてんのか?」
「染めてねえよ!」
涙目になりながら、奴は引っ張られた髪のある部分を摩った。
「なあ、お前ってどこの国の奴なんだ?俺が言うのもなんだけど珍しいだろ、男で黒髪って」
「はあ?いきなりなに?」
「いいから答えろ。地獄って言っても驚かないけどな」
奴は呆れたように苦笑いを浮かべると、帽子を被り直してから言った。
「地獄は国じゃないでしょ。・・・・・・俺は日本人だよ」
そう言った奴は、目で『君はどうなんだい』と語りかけているようだった。
「オーケー。分かった。お前と一緒に行くよ」
「え?マジ?なんで?んー、よく分かんないけど、まいいや」
「世話になるぜ、ジュンペイ」
顔から一瞬にして表情が消えたジュンペイ。面白いほどに黙りこくった後で、芝のように伸びた髭を撫でるように触る。
「参ったな。どこでそれを、とは聞かないよ。だいたい予想はつくからな」
似たような顔をした二人の話し合いがすむと、ウリエルの後を追う、空を追いかけるためユーリは走り出した。その後ろ姿に向けて、小さく呟く。
「ようこそ、未成年委員会へ。期待してるぜ、ユーリ」
一章終わり 二章に続く
よければ感想をお願いします
赦し屋とひこじろう(連載)を同時に書いてます
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