死神と少女
優しい顔には似合わない、黒い翼とシンプルな黒いスーツをぴしりと着込んだ死神は今日も477号室の窓を叩いた。
「やぁ、お嬢さんこんにちは。今日もいい天気だね」
よっとと声をあげ、窓枠に腰掛ける。
死神によって開けられた窓から、吹き込む春風を感じ少女は、くすぐったそうに笑った。
彼女の名前はニーナ。
ニーナは生まれつき病気がちで歩く事が出来ず、入退院を繰り返していた。
12歳の時に別の病気を併発しそれ以降視力が衰え今、彼女の目には何も映ってはいなかった。
彼女曰く、目が見えなくても見えているらしい。
それは目に何かを映すとか言う類のものではなく、感じるのだそうだ。
初めて会った時も、悪戯を仕掛けた幼子のようにクスクス笑い、死神さんはとっても優しい顔をしているのねと言った。
動く事も無く筋肉の衰えた四肢はまるで花の茎のように細く、力を込めれば折れてしまいそうだった。
今にも散ってしまいそうな、白薔薇のように美しい何処か儚げでもある少女から目が離せなかった。
嫌味や恨み言は何度も聞いてきた死神だが、そんな言葉を掛けられるのは初めてでどの様な反応をしたらいいのか分からない。
だから、クリーム色の睫毛をぱしぱしと動かし、目を丸くして少女に尋ねた。
オレが憎くないのと。
少女は何処かピンと来ない顔で、キョトンとこちらの方に顔を向けて言った。
何で初対面の人……じゃないや、死神さんを憎まなくちゃならないの?
さも当然と言わんばかりの回答に、またもや死神は困惑してしまった。
何でってそれはオレが死神だから?
歯切れ悪く、疑問文で返した死神に、大真面目な顔で少女は言ったのだ。
死神さんも大変なのねと。
それから死神の病室通いが始まった。初めて出会ってからもう二年が経つ。月日が経つのは早くニーナはもう時期16歳になる。
しかし、彼女は16歳になる前に様態が悪化して死んでしまうのだ。
それを見届けるのが、死神の役目であり彼女の運命なのだった。
死神にはルールがいくつかある。
その一つにターゲットに明確な寿命を教えてはならないというものがあった。
言えないもどかしさと、何とかしてやりたいという死神にあってはならない情に、流されかけている心を落ち着け死神は少女に問い掛けた。
「本当にお願い事しなくていいの?」
少女は、はらりと花弁を着実に散らす白薔薇を、見ながら寂しそうに答えた。
「あら、変な事を聞くのね。お願い事ならもうしたじゃない」
何時もの穏やかな笑い声では無く、喉に何かがつっかえている様な、そんな笑い方だった。
死神は目に熱い何かが溜まるのを感じながら、吐き捨てる様に言う。
「静かに穏やかに最後の時をだろ」
その後に続く言葉が、喉に引っ掛かりまるで出てこようとはしないのだ。
少女はただ黙ってこちらを見ていた。
死神は振り絞るようにして言の葉を紡ぐ。
「ニーナが、ニーナさえ望めば歩けるようにだってなる。それに目だってまた見えるようになるんだ。残りの寿命の半分という対価があるけど元の生活には、それにやりたい事だってできる」
そこまで言って死神はまた黙ってしまった。
ニーナはゆっくりと呼吸をすると死神に語り掛けた。
「死神さんあのね、私足が治ったとしても歩けないのよ。産まれてから一度も歩いた事が無いんですもの。それに筋肉だって衰えているわ。とても自分の身体を支えられない。仮に歩いて退院出来ても、私には帰る場所がないの。私の視力が衰え出した時にお医者様に余命宣告をされてね、お父さんもお母さんも穴が空いた様な顔をしていたわ。それ以来私の病室には来てないの。私には弟が居るのだけど、私と違ってとても元気だから」
ニーナは言い終わるとそっと手を伸ばし、丁寧に白薔薇の花弁を毟り、びりびりと裂いた。
そして細切れになった花弁を、両手に乗せてふうっと息を吹き掛けた。細切れになった花弁が雪のように舞、放たれた窓から風に乗って外へと消えて行った。
「余りにも酷いじゃないか、それじゃあ」
少女は飛んで行った花弁の方を見て、何かを押し殺した様な顔をして言った。
「死神の癖に可笑しな事を言うのね」
「君もね、人間はみんな生きていたいんだと思ってた」
人間にも色々あるのよ色々、ぼそりと溢れたた少女の言葉を死神が聞き取る事はなかった。
それ以降死神が願い事を話題に出す事は無かったし、彼女も口には出さなかった。
ただ何時ものように死神は少女に会いに行き、たわいも無い話をして過ごした。
「死神さん。今までありがとうね。とても楽しかったわ」
もう時期夏が訪れる。そんな明くる日、ニーナは唐突に死神に告げた。
明日ニーナは16歳の誕生日を迎える。そしてそれは叶わずに終を迎えるのだ。
いきなりの事に死神は面を食らい、言葉が出てこない。
「自分の事は自分がよく分かるのよ。もうすぐなのね」
彼女は相も変わらず穏やかだった。
暫くすると少女の病室は慌ただしくなり、やがて静かになった。
少し前まで彼女が寝ていたベットは片付けられており、彼女の纏っていたふわりとした空気も、重々しい薬品の香りにかき消されていた。
そこには忘れ去られて、枯れた白薔薇だけが残っていた。
もう時期これも捨てられてしまうのだろう。
死神は何時ものように、窓枠に腰を掛けて足をぶらつかせた。
言葉にならない塊の様な何かが腹の奥底から這い上がって、自分が今どう感じているのか解らず嗚咽に変わる。
死神の目から熱い物が流れていた。
死神はそれが何なのか最後まで理解が出来なかった。
ただ何かが壊れたのはわかった気がした。
ぽつりと言の葉が漏れる。
「死にたい」
そして羽をたたみ窓から身を投げた。
それ以降死神の姿を見た者は誰一人としていなかった。